01-咆哮
教室の前、黒板の上に設置されているスピーカーが、突如けたたましい異音を放った。
「け、警報だっ!!」
クラスの誰かがそう叫ぶ。
その声に弾かれるように、白峰和人は教室の窓から海の方を眺めた。
和人の視線の先、校舎から数キロ程離れた何もない海岸線の更に奥、蒼く輝く海が異様なうねりを見せていた。
その光景を和人は見たことがある。いや、和人だけではない。この街──S県城ヶ崎市の住人なら、幾度となく見て来た光景である。
それはとある現象の前ぶれ。正に災厄が訪れる嵐の前の静けさ。奴らが再びこの城ヶ崎市に上陸しようとしている前兆だ。
ざわざわとざわめく教室に、教師の声が響き渡る。
「怪獣警報が発令された! 至急避難シェルターに移動しなさい! 大丈夫、怪獣が上陸するまでまだ時間がある! だから焦らずに──」
そう。
奴ら──怪獣が再び城ヶ崎の街に上陸しようとしているのだ。
初めて怪獣が人類の前に姿を現したのは、1999年の7月だった。
真夏一歩手前、梅雨も明けきっていない蒸し暑いある日、そいつはいきなり海から太平洋に面した本州のとある都市に姿を現した。
当初気象庁では、それを津波だと判断した。
その都市の沖合いの海流が突如乱れたかと思うと、うねりを生じさせながら陸に向けて押し寄せたのだ。この時点で政府は津波警報を発令、該当地域の住民の避難勧告を出した。
だが、結果的には遅かった。
それは津波とは思えない速度で押し寄せ、あっという間に陸地に到達した。そして津波と思われたうねりの中から、そいつは姿を現したのだ。
直立歩行する巨体は全長40メートルを遥かに超えていた。その巨体を支える脚は太く短く、全体のバランスを取るためだろう長く伸びた尻尾。
脚同様太短い腕の先には、鋼鉄をも引き裂く鋭い爪を備え、同じような硬質の輝きは大きく開かれた口から零れる牙にも見て取れた。
背びれの如く背中に並んだ無数の刺。硬く、それでいて柔軟性に富んだ表皮は、戦車の装甲以上の防御力を持ち、全体に赤茶色の身体の中で、そこだけは白く爛々と狂性を秘めて輝く双眸。
後に『ベルゼラー』という呼称を与えられる第一号怪変異性巨大獣、略して一号怪獣はこうして人類の前に姿を見せた。
「どうやら本当に怪獣が来たみたいだぜ、毅士?」
海から教室内へと視線を戻し、和人は後ろの席に座っている友人に告げる。
以前に怪獣がこの街に現れたのは1年半程前だった。
「ふむ──どうする?」
毅士──青山毅士は、縁のない眼鏡を指でついと押し上げながら逆に問い返した。
「勿論! 行くに決まってんだろ!」
毅士の「どうする」という問いに和人は即答する。何を? となど聞くまでもない。
毅士との付き合いは古い。この古くからの友人が何を問うているのかなど解りきっている。
その毅士は、期待に目を輝かせている和人を改めて見詰める。
170センチちょっとの身長に、引き締まった体付き。この友人の将来の夢が、兄と同じ自衛官になって怪獣と戦う事だと毅士は知っている。
おそらくその夢のために、それなりのトレーニングをしているのだろう。
対して自分の将来の夢はというと、怪獣の研究者となる事だった。
だからだろうか。幼い頃から怪獣に興味を持ち、「怪獣博士」と周りから呼ばれた自分と、自衛官を目指すこの友人が妙に気が合ったのは。
毅士は和人ににやりと笑って一つ頷くと、教師の指示に従って避難の準備を始めた。
いや、避難のフリの準備を始めた。
ベルゼラーは上陸するなり破壊の限りを尽くした。
ビルをなぎ倒し、家を踏みつぶし、そして──人間を喰らった。
これは後に判明する事だが、怪獣は人間を喰らう。
今、地球上で最も生息数の多い生物は何か? それは人間である。
勿論、生息数で人間を超えている生物はいくらでもいる。だがその殆どは昆虫のような小型の生物であり、怪獣の捕食対象に成り得る程の大きさの生物で、最も数の多いのは間違いなく人間であろう。
地球上のあらゆる場所に人間は生息している。極寒の土地だろうが、灼熱の大地だろうが多かれ少なかれ人間はいる。
怪獣にとってどこに行っても存在する人間は格好の捕食対象なのだ、と現時点では考えられている。
突然現れた怪獣を見て、人間は驚愕のあまりパニックに陥った。
いきなり全長40メートルもの大型生物が海から現れたのだから、無理もない事ではあったが。
この前例のない事態に際して、防衛省の反応は鈍かった。
なんせ相手は怪獣である。これまで他国の軍隊を想定した訓練はしてきたが、怪獣相手に戦うなんて思ってもみなかったのだから。
怪獣相手にどのような装備で、どのような作戦行動を取るのか。
自衛隊上層部は明確な答えを出すまで時間がかかり過ぎた。いや、出せなかったと言ったほうが正確であろう。
そして暴れ回るベルゼラーを斃すため、何とか部隊が動き出したのはベルゼラー上陸後、実に4時間も経った後であった。
そして自衛隊は何とかベルゼラーの打倒に成功した。
作戦時間2時間47分5秒。
投入された戦力は90式主力戦車8両、F-15イーグル2機、F-2支援戦闘機5機、AH-1S戦闘ヘリ4機。作戦参加人員は総数約450名。
自衛隊はこれだけの戦力を投入して、ようやく1匹の怪獣を斃すことができた。
この作戦における自衛隊側の被害は、戦車大破3両、中破1両、軽破4両。
航空機はF-15が1機撃墜、F-2が3機撃墜。
ヘリに到っては4機とも大破もしくは撃墜という被害を被り、戦死した自衛官は3桁にまで昇ったという。
これに民間人の犠牲者を含めると、実に1000人を超える被害者が、7時間に満たない短い間に1匹の怪獣の犠牲となった。家屋や道路などの被害は、もはや挙げたらきりがない。
これが歴史上初の人類と怪獣との邂逅であった。
基地内に緊張が走る。
怪獣出現の報は、ここ怪獣自衛隊城ヶ崎基地にも勿論届いていた。
基地内に流れた緊急事態発生コールに、白峰明人三等怪尉は思わず駆け出そうとした。
「待ちなさい、白峰三尉!」
そんな明人を、凛とした声が呼び止める。
「ですがカーナー博士!」
自分に向かって声を上げる明人に、シルヴィア・カーナーはその碧瞳に強い意思を乗せて睨みつける。
「今、あなたが出て行ったとして何が変わるというの? 例えあながた自衛官として優秀有能であっても、人間一人の力なんて怪獣にとっては微々たるものだという事ぐらいあなたも知っているでしょう?」
現在の直属の上司たるシルヴィアにそう言われて、明人は拳を握り締めながらも彼女の言葉に従った。
「今のあなたには、あなたにしかできない大切な役割があるのよ」
シルヴィアにそう言われて、明人は黙ってそれまでいた場所に戻るべく歩き出す。
明人が先程までいた場所。そこには幾何学的で不可解な模様が床一面に書き込まれていた。その模様が、一定のリズムで明滅を繰り返している。
「さあ、始めるわ。魔方陣の中央に立って」
シルヴィアが視線でその場所を示す。彼女が頭を巡らせた際、肩で切り揃えられた美しい金髪がさらりと揺れる。それに合わせて、彼女の胸元で激しく自己主張をしてやまない双丘も同様にゆさりと揺れた。
180近い身長の明人より頭半分程低い身長──おそらく165センチ程はあるだろう。その身長に見合う身体のメリハリは、白衣を羽織っていてもよく判ってしまう。
明人は敢えて彼女の胸元で揺れる双子山を意識から外して、彼女が魔方陣と呼んだ模様の中心に向かう。
魔方陣。
彼女は床に刻まれた模様を確かにそう呼んだ。
その後、世界各地で怪獣の出現の報告が相次いだ。
だが、なぜ怪獣は突然現れたのか?──それは誰にも解らなかった。
他にも疑問は山ほどある。
1999年にベルゼラーが現われるまで、怪獣はどこに潜んでいたのか?
一体どうしてあれ程の巨体を持ち得るのか?
生態は? 知能は? 生殖は?
それよりも最大の関心は、どうすれば怪獣は倒せるのか? という事であった。
30メートルを超す大型怪獣ともなると、重機関銃クラスの火器を寄せつけない。
それ以上の兵器──ミサイルなど──を以って、初めて有効打と成り得るのだ。
だが、怪獣が現れる度にミサイルを湯水のように使用していては、コストがかかり過ぎてしまう。
そこで人類は対怪獣用に新たに兵器の開発に着手した。これに率先して携わった国は、何故か怪獣の出現数が異様に多い日本だった。
この期に及んで、防衛費がどうの憲法がどうのと言う者は誰もいなかった。
なんせ怪獣はいつ、何処に現れるか判らないのだから。
他国もこの兵器開発には全面的に協力を申し出た。怪獣の危機に晒されているのは日本だけではないからだ。
開発成功後、その技術を提供するという条件の元、日本政府はその協力を受け入れた。
低コストで尚且つ、巨大な怪獣に対して有効な兵器。
そのコンセプトに基づき、対怪獣用兵器の研究は進められていった。
そして一号怪獣出現から5年後の2004年、対怪獣用兵器のプロトタイプが完成する。
そのプロトタイプを見て、関係者は呆気に取られたという。何故なら、そのプロトタイプは、全長40メートルほどの鋼でできた巨人──所謂巨大ロボットだったのである。
──何故、対怪獣用兵器が巨大ロボットなのだっ!?
居合わせた関係者の一人が叫ぶ。
それに対して開発責任者は、「怪獣の相手をするのは鋼の巨人か、善良な巨大宇宙人のどちらかと相場が決まっているでしょう」と、しれっと答えたという。
この話が本当かどうかは定かでないが、ともかくその後も鋼の巨人の研究は進められていった。
怪獣に痛打を浴びせるだけのパワーと、怪獣からの打撃を防ぎきる装甲。この2つの課題は容易にクリアできたのだが、最後に厄介な問題が持ち上がった。
動力源である。
当初から巨人の動力には電力を、と開発者たちは考えていた。
しかし、全長40メートルを超す鋼の塊を動かすためには、如何ほどの電力を必要とするだろうか。
試算によると、鋼の巨人一体を動かすためには、実に街一つを賄うほどの電力が必要になるという。
この現実の前に、電力を動力として用いるという案は廃棄されることになった。
では、代案は? と聞かれて関係者たちは皆頭を悩ませる。
関係者の中には原子力を、と言い出す者もいたが、これは速効で却下された。
ちょっと考えれば判るだろう。万が一巨人が怪獣に倒された場合、もしくは深刻なダメージを追った場合、放射性物質が漏れたりしないのか? という不安があったからだ。
結局、動力源がなかなか見つからないまま時間が過ぎていく。
そんな時、開発責任者が一つのアイデアを提供した。歴史の影に葬り去られた古の技術を用いてみようと。
その古の技術こそ、魔術と呼ばれるものであった。