18-命名
茉莉とベリルは上空で爆煙が晴れるの待っていた。
(どう思う、ベリル? あれで倒せたかな?)
(判らん。だが倒せないまでも、深手を負わせた事は確実だろう)
そして爆煙が晴れる。
開けた視界の向こうに、深く傷付いたウナギンゴの姿があった。
ウナギンゴの身体は力なくだらりと波打ち際に横たわっている。
だが、その命は燃え尽きてはいなかった。長い身体が時々痙攣するかのように動いている。
そのウナギンゴが首だけを力なく一度空のグリフォンへと向けると、ウナギンゴは沖に向かってずるりと身体を動かした。
(あ、あいつ、逃げる気だよ!)
(海中に逃げ込まれたら我々では手が出せん。一気に倒すぞ!)
(うん!)
上空から急降下するグリフォン。だが少々高度を取り過ぎていた。グリフォンがウナギンゴを捕えられるか際どいところだ。
(間に合うっ!?)
(大丈夫だ。奴の動きは鈍い。海中に逃げ込まれる前に捕えられる)
グリフォンの鋭い爪がウナギンゴに迫る。ウナギンゴが海中に没するにはまだ時間がかかりそうだ。何とか間に合う。そう茉莉が安堵した時だった。
ウナギンゴが再び跳ねた。
最後の力を振り絞り、ウナギンゴは先程のように跳躍した。
先程『騎士』を飛び越えたような高々とした跳躍ではない。精々数メートルを跳ぶだけの僅かな飛翔。だがそれだけの距離を跳べれば、ウナギンゴの身体は完全に海の中に逃げ込む事ができるだろう。
(しまったっ!!)
(まだ跳躍するだけの力があったか!!)
歯噛みしながらも空しく空を切った爪を引き戻し、グリフォンはその視線を滑空するウナギンゴへと向けた。
あの白い奴は自分よりも遥かに強い。だが海中にさえ潜ぐれば、奴にはどうすることもできない。そのことをウナギンゴは知っていた。だからウナギンゴは最後の力を振り絞って跳躍を行ったのだ。
今は深い海底で傷を癒やす事を最優先にしよう。そう考えながら、ウナギンゴは目前に迫った海目がけて飛び込んで行く。
そこに待ち受けている結末など、全く想像もせずに。
その報告は、怪獣自衛隊城ヶ崎基地にもたらされた。
「観測ヘリより入電! 何か巨大なものが城ヶ崎に近付いているそうです」
「何だとっ!?」
指揮室に権藤の驚愕の声が響く。
「巨大なものとは何だっ!? 正確に伝えるように観測ヘリに伝えろっ!!」
だが権藤には判っていた。こちらに近付く巨大なものが何なのか。
海中から現われる巨大なもの。そんなものの正体は決まっている。決まりきっている。
単にそのことを権藤は認識したくなかったのだ。それは現実を理解しているからこその現実逃避でもあった。
だが現実は覆ることはない。その事を改めて認識し、権藤は重々しく一人呟きを零す。
「……怪獣が……怪獣がもう一体現れると言うのか……」
自分を優しく受け止めてくれる海はもう目前だ。これで逃げ切れる。そうウナギンゴが考えた時、目の前の海原が爆発した。
そしてその爆発から巨大な影が躍り出た。そいつは目の前に迫ったウナギンゴを前脚で叩き落とすと、落下したウナギンゴの喉元にその鋭い牙を深々と打ち込んだ。
(あ……あいつは一昨日の……っ!!)
(ああ……間違いない)
茉莉とベリルはその影が何なのかすぐに理解した。
海から現れた巨大な影。それはウナギンゴを襲おうとして逆に返り討ちにあったアルマジロンだった。
背中の翼はだらりと伸ばされたまま、胸には生々しい裂傷があるものの、それはアルマジロンに間違いなかった。
そのアルマジロンはウナギンゴの喉元を食い千切ると、がつがつと咀嚼して嚥下する。
怪獣が怪獣を喰う。その光景を間近の茉莉たちも、基地内の権藤たちも、岬から見ていた和人たちもただ呆然と見詰めていた。
「怪獣が……怪獣を喰う……だと……? 怪獣でも共食いをするというのか……?」
「そうではない」
呆然としたまま呟いた毅士の言葉を、幻獣の少女が否定した。
「あれは単に喰っているのではない。大きな方が小さな方を取り込んでおるのだ」
「取り込む……どういうことだよ?」
和人の問いに幻獣の少女は素直に答える。
「我らの眷族が極めて魔力的な存在であることは説明したの? そしてあ奴ら怪獣が自らの魔石から魔力を引き出せないことも。我らは魔力さえあれば肉体の怪我などたちどころに癒すことができる。では魔力を引き出せない怪獣どもはどうやって傷を癒す?」
「そうか……怪獣は傷を癒すには、別の手段で魔力を得る必要があるのか」
既存生物を取り込んでいるので自然治癒もするが、魔力を得て回復させた方が遥かに早く回復するのだと幻獣の少女は言う。
そしてそれだけではないと少女は続けた。
「片方が片方の身体だけを取り込んでいるだけならいいが、もしも相手の魔石をも取り込んでしまえば、それは既に傷を癒すというレベルの話ではなくなる」
息を飲んで少女の話を聞く和人と毅士。そんな彼らに少女は更なる衝撃を与える。
「二つの魔石が一つになる時。それは更に強大な怪獣が生まれる瞬間だ」
「アルマジロンの身体が変化して行きますっ!!」
切羽詰まったオペレーターの声が指揮室に響く。そしてその声に応える者は誰もいなかった。何故なら、そこにいる者は皆、目の前の光景に釘付けになっていたから。
ずんぐりとしたアルマジロンの身体がすらりと細長くなっていく。
太短かった四肢もやや長めに、その四肢の先の指の間には水掻きができていた。
犬科の動物のようだった頭部も細長く、どこか魚を思わせる顔つきになり、鼻先にあった角は犀のように上向きではなく、真っ直ぐ前に向かって伸びた。
ごつごつとした装甲もややスマートに。それでいてその堅牢さは少しも褪せてはいない。
大きさも40メートル程だったものが、一回り大きくなりどう見ても50メートルを超えているだろう。
それは既にアルマジロンであってアルマジロンではなかった。アルマジロンとウナギンゴ、二つの魔石が融合して全く新たな怪獣となって生まれ変わったのだ。
「怪獣と怪獣が融合するなど……聞いた事もない……」
権藤は意見を求めようと傍らのシルヴィアへと振り返る。だがそこには下着姿で呆然と立ち尽くすのみのシルヴィア。
「か、カーナー博士は一体どうしたのかね?」
半裸のシルヴィアから視線を逸らし、権藤はオペレーターたちに尋ねた。
「シルヴィア師は現在、肉体から意識体を遊離させています」
「それはつまり、体はここにあっても意識は別の場所にある、ということかね?」
「そうです。そしてシルヴィア師の意識はおそらくあそこに……」
そう言ったオペレーターの視線は、モニターに映し出された『魔像機』に向けられていた。
怪獣と怪獣が融合する。その驚愕の事実を明人とシルヴィアは『騎士』の中から、辛うじて一部が生き残っていたモニター越しに見ていた。
「そ……そんな……怪獣と怪獣が合体するなんて……」
『既存生物を取り込んでいるとはいえ、怪獣もまた魔術的な存在。不可能ではないわね』
口ではそういうシルヴィアだったが、目の前の光景はとても信じられるものではなかった。
だが、実際に目の前で怪獣同士が融合を果たした。これは動かし難い事実なのである。
ならばその現実を受け入れる。そしてその対処方法を考える。それこそが魔術師としての正しい姿であろう。シルヴィアは自分で自分に言い聞かせた。
『ともかく、『騎士』を動かせるようにしないと。話はそれからよ』
「で、でもどうするんですか? 『騎士』の内部の魔道パスは切断されているんでしょう?」
『だったら代用品を用意するまでよ』
「だ、代用品……?」
そんな事が可能だろうか? 魔力はあっても魔術はまるで素人の明人には、シルヴィアのやろうとしていることがさっぱり見当がつかない。
『意識体である私自身をパスの代用品にして、直接明人くんと『騎士』を繋ぐわ。そうすればもう一度『騎士』は立ち上がれる筈よ』
だが問題もあるとシルヴィアは言う。
『『騎士』と明人くんをリンクさせる関係上、『騎士』が受けたダメージは直接明人くんにフィードバックするわ。それでもやるの?』
「魔像機が受けた傷が自分の傷になるってことですか。でも魔像機と自分を繋ぐシルヴィアさんに影響はないんですか?」
『勿論あるわ。あなた程ではないけど、私も『騎士』からのフィードバックを受ける』
「そ、そんなっ!! 自分はともかく、シルヴィアさんにまでそんな危険な目に合わせるわけにはいきませんよっ!!」
平然と危険な事を言うシルヴィアに、明人の方が逆にこの計画を拒否する。
『でもこれしか今すぐ『騎士』を動かす方法はないわ。あなたは守るべきものを守るために命を賭けるのでしょう? なら妻である私も夫であるあなたと共に命を賭けるわ。日本ではこういうのを確か、妻の鑑って言うんでしょ?』
誰が夫で誰が妻ですか、というつっこみを明人は飲み込む。シルヴィアが本気で命を賭けるのだということを理解したからだ。
「判りました。あなたの命、自分が預ります!」
力強く頷く明人に、シルヴィアは優しく微笑んだ。
怪獣自衛隊城ヶ崎基地の指揮室は静まり返っていた。
その理由は怪獣と怪獣が融合したからではない。また、怪獣自衛隊の新兵器である『魔像機』が倒れ伏しているからでもない。
指揮室が静まり返っている理由。それはここの最高責任者である権藤が零した一言にあった。
「現時刻をもって、新たな怪獣を『アルナギンゴ』と呼称する。これ以後、目標をそのように呼称するように」
これを聞いたオペレーターたちは皆一様にこう思った。
(直球すぎないっ!?)
相変わらず権藤のネーミングはいささか直球過ぎた。
そしてその場にいたオペレーターたちは後に語る。
そう名づけた時の権藤司令は何とも満足げに口元を歪めていた、と。
周囲の人間たちの思惑など関係なく、融合を果たしたアルナギンゴは、その鋭い眼光をグリフォンへと向ける。どうやらアルマジロンであった頃の記憶は残っているらしく、グリフォンを見詰めるアルナギンゴの視線には怒りが満ちていた。
だらりと伸ばされたアルナギンゴの翼に力が通う。ばさりと数度羽ばたくと、アルナギンゴの巨体が宙に浮いた。
アルマジロンであった頃、この翼は単に滑空のための道具に過ぎなかった。アルナギンゴに変化した事で、この翼も新たに空を飛ぶ力を得たようだ。
(あ、あいつ、飛んだよっ!?)
(慌てるな茉莉。空は我らの庭だ。それに海から離れたこともこちらには有利な点だ)
(どういうこと?)
(魚型の怪獣は、周囲に水がある時にのみ魔術を使っていた。魔術を使えるといってもその能力は未熟で、おそらく近くに水がなければ魔術が使えなかったのだろう。そしてその魚型を吸収した奴も……)
(そうか! 空なら水の魔術は使えないって事ね?)
そして更に、海から離れればグリフォン最大の攻撃である雷弾が使える。水中では周りに電気による被害が考えられたため使えなかったが、空ではその問題も解消される。
つまり空にいる以上、有利な事はあっても不利な事は何一つない。
(あいつには爪も生半可な魔術も通用しない! 最初っから全力で行くわよ!)
(承知)
グリフォンの周囲が帯電し、電気は徐々にグリフォンの前方に集中してゆく。
アルナギンゴはふらりふらりとゆっくり飛んでいる。どうやら空を飛ぶことに慣れていないらしく、全く安定していない。これなら躱される心配はない。茉莉はそう判断し、集められた電気の解放を命じる。
(電弾っ!! いぃっっけぇぇえええぇぇっ!!)
解き放たれた雷の弾丸は雷鳴と共にアルナギンゴに突き刺さる。それを見ていた誰もがそう思った。
だがグリフォン最大の雷弾はあっさりと無効化された。アルナギンゴが展開した水の防御膜によって。
(あ、あいつ魔術をっ!?)
(くっ、周囲に水がなくとも魔術が使えたとは……。二つの魔石が合わさった事で、その能力も上昇したのか……)
しかもこの防御膜は、360度全方位を覆う完全な球体だった。
(だったら、さっきと同じように爆鳴でっ!!)
茉莉の指示の下、黒白の球体がアルナギンゴへ向かって飛ぶ。
そして先程同様黒白の球体が二方向にに分かれ、防御膜に接触すると電流を流して電気分解を試みる。だが──
(むうっ!?)
(どうしたのベリルっ!?)
(……電流が流れん……これでは水を電気分解させる事はできない!)
(ど、どういう事なのっ!?)
戸惑いをみせるグリフォン。アルナギンゴはその隙を見逃さず、防御膜の表面から無数の水の弾丸を射出する。
グリフォンはそれを何とか回避するが、水の弾丸は無数といっていい程次々と打ち出される。
そして遂に水の弾丸がグリフォンを捉えた。
(あうっ!!)
(……拙いっ!!)
水の弾丸が着弾した事によってバランスを崩したグリフォンに、水の弾丸がまさに雨のように降り注ぐ。
無数の水の弾丸を浴びたグリフォンは、己の領土とも言うべき空から引き剥がされ、ゆっくりと大地へと落下していった。
「どういう事だ? どうして先程のように水の防御膜は爆発しなかったのだ?」
権藤は厳しい視線でモニターを見詰めながら、必死にその理由を考えた。
「権藤司令っ!! 解析魔術による、先程アルナギンゴが展開した防御膜の分析結果が出ましたっ!!」
権藤は視線だけでオペレーターに分析結果を告げさせる。
「先程の防御膜ですが、あれの正体は水です。正真正銘、含有物を全く含まない水です」
「そうか……超純水というわけか……」
本来、水という物質は電気を通さない絶縁物質である。
だが自然界に存在する水には、様々なものが溶け込んでいる。電気はこの溶け込んだ物質を飛び石のように渡りながら流れるのだ。
つまり何も溶け込んでいない『純粋な水』は、飛び石の足場がないために電気は流れる事ができない。この『何も溶け込んでいない純粋な水』の事を超純水と呼ぶ。
アルナギンゴは自らを覆う防御膜を超純水にする事で、雷の魔術を無効化したのだった。
「まさか……怪獣にそれだけの知能が……」
もしくは全くの偶然か。その可能性も捨て切れない。
「だが、これだけははっきりしたな……」
権藤は厳しい表情のままぼそりと呟く。
「グリフォンにはもう、アルナギンゴに対抗する術は──ない」
本日の投稿。
一区切りまであと5話ほど。そろそろ物語はクライマックスへ。
がんばりますので、今後ともよろしくお願いします。