11-幻獣
シルヴィアの瞳に光が宿る。その光の名は好奇と探究。
今まで誰も知り得なかった怪獣に関する秘事が、目の前の少女から語られようとしている。
シルヴィアは魔術師である。そして魔術師とは神秘の探求者でもあるのだ。その探求者たるシルヴィアの心は、これから明かされるであろう事に激しくざわめいている。
「聞きたい事は色々あるけど、順番に尋ねるわ。まず最初は、どうして怪獣は我々人類の前にいきなり現れたのか? それについて説明して貰えるかしら?」
「勘違いするなよ魔術師の女」
幻獣の少女の朱金の瞳がシルヴィアに向けられる。
「我はお主の疑問に答えるためにここにいるのではない。そしてお主に従う道理もない」
少女の視線に込められた無形の力に、シルヴィアの身体はまるで縛りつけられたように動けなかった。
勿論、少女が何らかの魔術を発動させたわけではない。単にこの少女から発せられた気迫に、魔術師たるシルヴィアが飲み込まれて身動き一つできないのだ。
「おい、おまえっ!! おまえは自分の事を説明するためにここに居るんだろっ!?」
横合いから和人が口を挟む。少女の注意が和人に向いたためか、シルヴィアへかかっていた圧力がすっと消え去る。
「如何にも。我は主たる和人様に我のことを知ってもらうためにここに居る。だが、それは主さえこの場に居て頂ければいい話。それ以外の人間は余録に過ぎぬ」
「それならさっきのシルヴィアさんの質問に答えてくれ。俺もそのことは知りたいんだ」
「主が望むならば。魔術師の女よ、主に礼を言うがよい」
幻獣の少女のその横柄な態度に、シルヴィアは少々引っ掛かるものを感じたが、敢えてそれを口に出す事はなかった。
怪獣が突如出現した理由。それはシルヴィアだけではなくこの場の全員、いや人類全体の疑問と言ってもいいからだ。
「魔術師の女はあ奴らがいきなり現れたと言うたが、それは間違いよ。我らの眷族は遥か昔より、人間たちの前に姿を現しておる」
そして幻獣の少女の口から発せられた答えは、誰も予想だにしなかったものだった。
「ど、どういう事? 一号怪獣が現れたのは1999年の7月よ。それ以前に怪獣が現れたなんて記録は存在しないわ!」
「それはお主たち人間の主観に過ぎぬ」
「俺たちの主観……? どういう意味だ?」
少女の言葉がまるで理解できない和人は周囲を見回した。だが、この少女の言葉が理解できた者はいないようで、皆一様に首を傾げたり頭を捻ったりしている。
だが、一人だけ例外がいた。
「そもそも怪獣という呼び方は人間が一方的につけたものであって、怪獣が自らを怪獣と名乗ったわけではない。そういうことだな? そしてキミは言った。幻獣とは伝承と伝説の中の存在だと」
そう答えたのは毅士だった。
「例えば日本の昔話などに登場する妖怪、外国の伝承に顔を出す魔獣や妖精、妖魔など。それら全てが、彼女の言う幻獣や怪獣と同じ存在だとしたら……」
毅士の説明を聞き、和人は彼の言わんとしている事を理解した。
「……それじゃあ、妖怪や妖精というのは……」
「ああ。それこそが、人間の前に姿を現した幻獣なのだろう。それが伝承伝説として現在に伝わった」
和人の呟きに、毅士は頷いて見せる。
「だが解せない点もある。それまでは伝承伝説の中の存在でしかなかった幻獣が、1999年には怪獣としておおっぴらに現れた。これはどういう事だ?」
毅士が疑問を口すると、この場に居合わせた全員の視線が再び幻獣の少女へと集まる。先程同様、この疑問の答えを期待してだ。そして結果的にその期待は叶えられた。
「あ奴ら──人間が怪獣と呼ぶ奴らを生み出したのは──」
だが、これもまた先程同様、誰も予想だにしなかった答えとして。
「──他ならぬお主ら人間よ」
それは深い海の底で静かに怒りに震えていた。
それは何かに導かれるように、人間たちがアジアと呼ぶ地域の片隅の島へとやって来た。
いや、導かれるようにではない。それは確かに導かれたのだ。
まるで闇夜にただ一つ輝く星のように。それはその輝きに導かれ、広い広い海を越えてこの島へと来たのだ。
だが、ようやく島へと辿り着いたというのに、思わぬ邪魔が現れた。
あの白い奴。あいつさえ邪魔しなければ、今頃それは輝きの元に辿り着いていただろうに。 許さない。許せない。
自分を邪魔したあの白い奴の身体を爪で引き裂き、牙で噛み千切る。
そうしなければこの怒りは収まるまい。
だがそれの身体は傷付いていた。空中に放り投げられた時、あの白い奴が放った雷を躱し切れなかったのだ。僅かに掠めた程度だったが、その強力な電撃によってそれの身体は思ったように動いてくれない。
そして無理に翼を広げたのもいけなかった。いくらそれの身体が頑丈だからといっても、本来この翼はもっとゆっくりと時間をかけて広げなければ負担がかかるのだ。
その翼を急に広げたために無理が生じてしまい、現在それの身体はあちこちが激しく痛みを訴えていた。
だからそれは、こうして深い海の底で身体が癒えるのを待っていた。心の中に怒りを蓄えながら。
その時不意に、それの鋭い感覚に触れるものがあった。そいつはそれが今いる位置からさほど遠くない場所を、ゆっくりと先程の島の方へと移動していた。
どうやらそいつも、あの輝きに導かれてあの島を目指しているようだ。
確かにあの島のあの場所には、眩しい輝きが幾つも集まっている。それ以外にもあの島を目指す同族がいても不思議ではない。
しかもどうやら、そいつはそれが近くにいることに気付いていないらしい。
それ──人間がアルマジロンと名付けた怪獣──は、痛む身体に鞭打って静かにそいつに近付いていった。
怪獣は人間が生み出した。幻獣の少女は確かにそう言った。
「そ、そんな馬鹿なことあるわけないだろ!」
どうやったらあんな巨大な生き物を造り出せるというのだ? 和人には少女の言葉が信じられなかった。
少女の言葉が信じられなかったのは和人だけではない。この場に居合わせた全員が同じ思いだ。
「確かに直接人間があ奴らを造り出したのではない。だが、あ奴らが生み出された原因は間違いなく人間なのだ」
静かに和人にそう告げると、幻獣の少女は更に言葉を続けた。
「あ奴らがどうやって生まれたのかを説明するには、まず我らがどうやって誕生するのかを説明する必要があるの」
そして少女は語る。怪獣、いや幻獣の誕生の秘密を。
「そこの魔術師の女なら知っておろうが、世界には魔力が集まる場所が幾つかある」
「勿論知っているわ。パワーポイントとか霊脈とか呼ばれる場所のことね」
「その魔力の集まる場所で、月の満ち欠け、星座の位置、大地の鳴動など様々な要因が重なって魔力の結晶体ができることがある。その結晶体こそが魔石なのだ」
魔石──賢者の石の誕生。それはこれまでいかなる魔術師も解き明かすことのできなかった神秘。
それが今、幻獣の少女によって白日の元に晒された。魔術師であるシルヴィアは、体中を歓喜が駆け抜けて打ち震えるのを感じた。
「魔石は幾星霜の年月の果てに意識を宿すことがある。この自我に目覚めた魔石こそが幻獣であり、そして自我に目覚めた幻獣は、魔石を核とし魔力で以って自分の身体を造り上げる。主たちが見ている我のこの身体や、そこのグリフォンの身体も魔力で編み上げた仮初めの器に過ぎん。魔石こそが本体であり本質なのだ」
「じゃあ怪獣もあの巨体は仮初めのもので、魔石が本体って事か?」
和人のこの推察に対し、少女は首を横に振った。
「いや、あ奴らは我ら幻獣とは少々事情が異なる。あ奴らは自我を得て肉体を造り出したのではなく、本体たる魔石が何か他の生物を取り込んで変質してしまった結果だ」
それで怪獣には既存の生物と似通った部分があるのか、とシルヴィアは納得した。だが同時に更なる疑問が生じる。
「でもそれだと、1999年まで怪獣が現れなかった理由にならないわ。怪獣の生まれ方があなたの言う通りなら、1999年以前にも怪獣が現れても不思議じゃないでしょ?」
「その通りだ。そこで先程言うたように、人間が絡んで来る。いや、人間の無意識が、と言うべきであろうな」
「人間の無意識……?」
「然様だ主よ。主は1999年の7月と言われて、何を思い出す?」
「え? 1999年の7月って言ったら、やっぱりあれだろ?」
和人の言うあれとは、16世紀にフランスの医師であり占星術師が書き残した詩の一節が、世界の滅亡を予言しているとして当時一大ムーブメントとなった現象のことである。
中には本当に1999年に、世界が滅亡すると信じていた者もいた程だった。勿論、1999年から数年が過ぎた今では、もはや忘れ去られた過去のブームに過ぎない。
「当時あの第10巻72番の予言詩を、本気で信じた人間は日本中でもかなりの数が居たそうだな。しかし怪獣が現れたことですっかりその存在が薄められてしまった。中には怪獣こそがアンゴルモアの大王だとこじつけた輩も居たそうだが」
毅士がより詳細なデータを記憶の中からサルベージする。彼はこういう雑学にも滅法強かった。
「いや、その者が今言うた事は正しい。あ奴らこそアンゴルモアの大王なのだ」
少女の言葉に一同は驚きに息を飲む。静まり返った白峰家の居間に、銀の少女の声だけが涼やかに響く。
「のう魔術師よ」
「な、何よ?」
「先程その者が言うたな。この国の中でかなりの数の人間があの予言詩を信じていたと。更には、世界中には幾つもの世紀末思想が溢れている。そんな世界の終わりを信じる者たちの中に魔力を持った者が数十人、数百人と混じっておったとすれば? そしてその信じる心が神秘に辿り着いたとすれば? 一体どうなると思う?」
シルヴィアの身体が硬直する。この少女が言わんとしていることを理解したからだ。
「あ……有り得ないわっ!! 何の修練を積んだわけでもない、単に素養を持っただけの者が魔術を発動させたというの? しかもそれって偶発的とはいえ儀式魔術じゃない!!」
儀式魔術とは、一人の魔術師では成し得ないような大魔術を、数人の魔術師が協力し合って施す魔術の事である。個人の素養にもよるが、儀式に参加する人数が多ければ多い程、施す魔術の成功率は上昇する。
「魔術的な素養を持つ者があの世紀末を信じたことで、偶然にも発動した儀式魔術が世界各地に眠っていた魔石に作用して怪獣が生み出された。これこそが、お主たちが怪獣と呼ぶ奴らの誕生の動かし難い真実よ」
幻獣の少女によって明かされた怪獣誕生の秘密。人類最大の災厄が、他ならぬ人類の手で生み出されたとは。
この衝撃の事実に誰もが、物音一つ立てずに凍りついたようにじっとしていた。
「……確かにその話が本当なら、怪獣は人間の無意識が生み出したと言えるわ。でも、それってどれぐらいの確率なの?」
そんな白峰家の居間に広がる静寂を、シルヴィアの零した呟きが破る。
「ふん、魔術師とは思えぬ台詞よの? 例えどんなに可能性が低かろうが、その向こうに存在する神秘を追求することこそ魔術師の本分であろうが」
幻獣の少女の言う通りであった。どんなに低い確率であろうが、零でない以上可能性は存在する。その僅かな可能性を追い求める者こそが魔術師なのだから。
「我の話は以上だ。では主よ、本題に入ろうか」
「ほ、本題?」
幻獣の存在、茉莉がその幻獣の契約者とやらであること、そして怪獣誕生の秘密。
和人は幾つもの衝撃的な話の連続につい忘れていたが、その言葉でこの幻獣の少女がそれらの話をするために現れた訳ではないことを思い出した。
「然様だ主よ。我は主と契約を結ぶためにここに居る。いや、主と契約するために生まれたと言っても過言ではない。さあ、主よ。我との契約を今ここに結ぼうぞ」
少女は立ち上がって静かに和人に歩み寄ると、朱金の瞳に愉悦の光を浮かべながらそう告げた。
本日の投稿分。
今回、予約掲載というものを試してみる。
指定時間は午前6:00。果して上手く行くのか?
それはともかく、今後ともよろしくお願いします。