「君に相応しい人は他にいる」と言われたので、釣書を二十通集めてみました
近衛騎士の昇格試験に落ちた夜、幼馴染で婚約者のクラウスは、私の家の庭先で言った。
「ロッテ。君に相応しい人は、他にいる」
月明かりの下、彼は私の目を見なかった。拳を握りしめ、唇を噛んでいる。
クラウス・ヴァイゲルト。子爵家の三男で、近衛騎士の見習い。十年来の婚約者だ。
今日の試験は、彼が二年かけて準備してきたものだった。それに落ちた。
「俺は、君を幸せにできない。昇格もできない、領地もない、貯金もない。君には、もっといい人が見つかるはずだ」
そこまで言って、クラウスは黙った。
これは、あれだ。
私は、長年の付き合いで分かっている。クラウスは落ち込むと、極端なことを言い出す。そして内心では、「そんなことないよ」と言ってほしいのだ。
でも、今日の私は、少しだけ意地悪な気分だった。
彼が二年間、毎晩遅くまで稽古に励み、私の誘いを何度も断ってきたことを思い出す。その上、落ちた途端に「君に相応しい人は他にいる」だなんて。
「分かりました」
「え」
クラウスが顔を上げた。
「クラウスがそう言うなら、探してみます。私に相応しい人」
「いや、ロッテ、それは」
「ご安心ください。一週間以内に、候補をまとめます」
私は笑顔で言った。
クラウスは、口をぱくぱくさせたまま、立ち尽くしていた。
◇
私は有言実行の人間だ。
翌朝から、父の商会の人脈を総動員し、友人たちにも声をかけた。
三日後には、釣書が十二通。五日後には、二十通になった。
二十通。
我ながら、よく集めたと思う。医師、商会の跡取り、他国の外交官、植物学者、そして近衛騎士団の同僚まで。
私は夜なべして、すべての釣書を一覧表にまとめた。
名前、年齢、職業、年収、家族構成、趣味、身長、休日の過ごし方、そして最も重要な項目として、『ロッテへの興味の度合い』を。
一週間後。
私はクラウスの宿舎を訪ね、分厚い書類の束を、どんと机に置いた。
「お約束通り、候補をまとめました」
「……え、本当に集めたのか?」
「ええ。全員、身元は確認済みです。年収の高い順、人柄の評判が良い順、趣味が合う順に、三種類のランキングを作りました」
クラウスは書類を手に取り、パラパラとめくった。
一枚目で、顔色が変わった。
「この、医師のハインリヒ・ブラントというのは?」
「王立病院の若手医師です。年収は金貨二百枚。穏やかな人柄で、犬を飼っているそうです」
「犬……」
「二枚目の外交官は、三か国語を操る方で、年に半分は海外です。私が留守番になりますが、お土産が楽しみで」
「お土産……」
クラウスの手が、小刻みに震え始めた。
「三枚目の植物学者は、とても素敵な方でした。私が育てているハーブの話を、二時間も聞いてくださって」
「二時間……」
「もう、お会いしたのか?」
「釣書を頂くとき、一人ずつご挨拶に伺いましたので。礼儀として」
「全員に?」
「全員に」
クラウスは、書類の束を机に置いた。
その手は、完全に固まっている。
「ロッテ。これは」
「はい。あなたが選ぶ番です」
「俺が?」
「だって、『君に相応しい人は他にいる』と言ったのは、あなたですもの。それなら、その『他の人』を選ぶ権利と責任は、あなたにあると思いませんか」
私はにこりと笑った。
「安心してください。誰を選んでも、私は逆らいません。クラウスが選んだ人と、ちゃんと結婚します」
部屋の空気が、ぴんと張りつめた。
クラウスは、しばらく黙っていた。
やがて、ぼそりと呟いた。
「……選べるわけ、ないだろう」
「どうして?」
「だって、全員、ロッテの隣にいるのを想像したら、腹が立つ」
私は思わず、笑いそうになるのをこらえた。
「それは、相応しくないということですか?」
「違う。俺が、嫌なんだ」
クラウスは、両手で顔を覆った。
「分かってるんだ。試験に落ちて、情けなくなって、君の前で格好つけたくて、あんなことを言った。本当は、そんなこと、これっぽっちも思ってない」
「では、本当は何と思っているのですか?」
「君が、他の誰かと結婚するなんて、耐えられない」
絞り出すような声だった。
「俺は、昇格できなくても、領地がなくても、君と一緒にいたい。いや、いさせてほしい。次の試験も受ける。受かるまで、何年かかっても。だから、待っていてほしい」
部屋の隅の時計が、ことりと音を立てた。
私は、ゆっくりと息を吸った。
十年間、待っていたのは私のほうなのに。
「分かりました」
「分かった、って……」
「待ちます。ただし、条件があります」
「条件?」
「この釣書の二十通、あなたの手でお断りの手紙を書いてください。一通ずつ、丁寧に」
クラウスは、ぽかんとした。
それから、安堵と恥ずかしさが入り混じった顔で、深く頷いた。
「二十通、全部、自分で書く」
「字は丁寧に。誤字は無し」
「はい」
「それから、私に相応しい人を、あなた自身が目指すこと」
私は、机の上の書類の束を、とんとんと揃えた。
「その努力が、十年続いているのを、私はちゃんと見ていますから」
クラウスの目が、みるみる潤んだ。
大の男が、耳まで赤くして、必死に涙をこらえている。
その姿が、なんだかおかしくて、愛おしくて。
私は、にっこり笑って、彼の手に自分の手を重ねた。
◇
お断りの手紙を書く夜、クラウスは私の家の居間を借りて、二十通分の便箋を広げた。
「医師のハインリヒ殿には、何と書けばいいんだ」
「犬がお好きな方ですから、犬の話題から入るといいですよ」
「犬の話題で、お断りを?」
「礼儀です。唐突な断りは失礼でしょう」
クラウスは眉間に皺を寄せ、真剣な顔で羽根ペンを動かした。三行書いては消し、五行書いては破る。
外交官への手紙には三か国語の挨拶を入れようとして、ひとつの綴りで十五分悩んだ。
私はお茶を淹れながら、その横顔を眺めていた。
十年間、彼は一度も、私以外の誰かに目を向けなかった。それを一番知っているのは、たぶん私なのに。
「ロッテ、笑ってるだろう」
「いいえ。お茶が熱いだけです」
「嘘だ。さっきから口の端が上がってる」
バレていた。
◇
それから三か月後。
クラウスは、再び昇格試験に挑戦し、見事に合格した。
合格発表の日、彼は人目もはばからず駆け寄ってきて、私を抱き上げた。
「ロッテ! 受かった!」
「おめでとうございます。ところで、お断りの手紙は?」
「全部、書き終わった。最後の一通は、あのハーブの話をしてくれた植物学者に」
「あら、あの方、最後まで残念がっていたそうですよ」
「それは、ちょっと申し訳ない」
「冗談です」
私は笑って、彼の胸に頭を預けた。
足元には、二十通分の返信が入った、分厚い封筒の束が置いてある。
彼の字は、読みにくいところもあるけれど、とても丁寧だった。
クラウスは、ふと思いついたように言った。
「なあ、ロッテ」
「何ですか?」
「結婚式の招待状は、ちゃんと俺の手で書く。誰一人、断らせない」
「それ、さっきの二十通の方々にも送るおつもりですか?」
「え」
固まった彼の顔を見て、私は声を上げて笑った。
その二十通の釣書は、今も我が家の箪笥の奥に、大事にしまってある。
あの夜、彼の本音を聞き出すために、私が集めた二十人分の、小さな宝物として。
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