表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

かく語りき

花嫁はかく語りき

作者: 藤咲慈雨


豪華な婚礼の衣装を纏い、化粧を施された花嫁。その美しい姿に着付けた女官たちは感嘆のため息を漏らした。

花嫁が嫁ぐのはこの国の皇太子。そんな彼に嫁ぐ彼女は、間違いなく国一番の果報者だろう。しかし花嫁は眉間にシワをよせ、ちっとも嬉しそうではない。


「花嫁がなんて顔をしてるんです?」

「……喜んでいるように見える?」


女官長の言葉に花嫁はますます不機嫌そうな顔になった。その顔に女官長はため息をこぼす。

そんな二人のやり取りを側で見ていた新米女官は不思議そうに首を傾げた。

皇太子に強く望まれて嫁ぐことが決まった花嫁。皇帝が皇太子のために用意した大勢の花嫁候補を押し退けて花嫁に選んだのだから、てっきり花嫁もこの結婚を望んでいるんだと新米女官は思っていた。

しかし、どうやら真相は違うらしい。


「あの……殿下のことが好きで、結婚を決めたんじゃないんですか?」

「こらっ!」


新米女官は好奇心を抑えきれず、つい花嫁に尋ねてしまった。すぐに女官長から叱責の声が飛ぶ。

尋ねられた花嫁は新米女官を振り返り、その瞳に隠しきれない好奇心が浮かぶのを見て、つい頬を緩めた。


「そうねぇ……。約束は、してたわね」

「じゃあ躊躇う必要なんか……」

「でもね、それはあいつが皇子だって知らなかったからなのよ」


意味深な言葉。事情を知っているらしい女官長は困ったような顔をした。

式までにはまだ時間がある。迎えが来るのはもう少し後だろう。

花嫁は新米女官が聞きたそうにしているのに気がついていた。まぁ、暇つぶしにはなるかもしれない。


「私の父は商人で、ある屋敷に出入りしていたの。そこで私は一人の男の子と出会ったわ――」




*  *  *




皇帝が居る都から馬車で五日ほどの東の港町に玉蘭は住んでいた。父は貿易商人で、異大陸から運ばれてくる様々な商品を扱っていた。

それゆえに玉蘭の父親の顧客は多岐に渡り、その中には王府で働く官吏まで居る。

今日は父親の商談相手のお屋敷に大陸から届いた品々を売り込みに行くことになっていた。


「いいかい? 決して商談の邪魔をしないように」

「分かっているって」


父親は豪奢な屋敷の門扉をくぐる馬車の中で、何度も玉蘭に言い聞かせた。玉蘭も慣れたもので、にこにこ笑いながら歯切れの良い返事を返す。

玉蘭はよく父親にくっついてこの屋敷に出入りしていた。ここはとある官吏の屋敷で、いくら末娘に甘い玉蘭の父といえど、本来なら連れてきてはくれない場所だ。

それでも父が玉蘭を連れて行くのは――。


「あっ!」


屋敷の玄関の前で待っていた小柄な男の子の姿に、玉蘭が顔をほころばせる。男の子も馬車の中の玉蘭に気づいたのか、嬉しそうに顔をほころばせた。


「瑛蓮!」


馬車の物見窓から身を乗り出して手を振る末娘の姿に、父親は頭を抱えながらも苦笑を漏らした。



玉蘭がこの屋敷に出入りできる唯一の理由。それがこの瑛蓮の存在だった。

瑛蓮はこの屋敷で過ごす少年で、どうやらこの屋敷に預けられているらしい。身体が悪いとかで、玉蘭よりも年上なのに体格は玉蘭と変わらなかった。

身体が丈夫でない瑛蓮は一日のほとんどを屋敷で過ごす。当然友人も出来ず、毎日暇を持て余していた。それを気にした屋敷の主人が玉蘭の父親に相談をしたのだ。そうして玉蘭は瑛蓮に出会った。彼の遊び相手として。

それから玉蘭は父親と共に瑛蓮の元に遊びに行くようになったのだった。



馬車が瑛蓮の目の前で止まる。飛び出して降りてきた玉蘭を瑛蓮は笑って出迎えた。


「久しぶり」


柔らかい笑顔。その顔に玉蘭の頬が勝手に赤くなる。それを見られないように玉蘭は瑛蓮の手を引っ張って歩き出した。

瑛蓮は勝手に歩き出した玉蘭を不思議そうに見ながらも、黙って着いてくる。玉蘭は黙々と足を動かした。

玉蘭は赤くなる自分に泣きたくなる。いっつもこうだ。瑛蓮は整った顔をしている。あと何年かすれば、確実に女性に騒がれる顔だ。

それは玉蘭の周りに居なかったタイプで。だから微笑まれると勝手に頬が赤くなってしまうのだ。


「――玉蘭?」

「え?」


遠慮がちに腕を引っ張られて玉蘭の足がようやく止まる。気がつけば裏庭まで来ていたらしい。


「あれ? いつの間に……」

「大丈夫?」


瑛蓮に心配そうに顔を覗き込まれて、慌てて玉蘭は誤魔化すように笑った。そんな玉蘭を瑛蓮は不思議そうに見返す。


「なんでもないの! 大丈夫だから……」

「そう? じゃあ四阿あずまやにお茶を用意させるから行こう?」


玉蘭は喜んでその提案を受け入れた。二人は並んで裏庭に建てられた白い四阿に向かう。

四阿に着いたら瑛蓮がお茶の準備を侍女に頼んだ。そういうところを見ると、やっぱり瑛蓮は貴族なんだなと思ったりする。


「どうかした?」

「ううん。ここのお茶は美味しいから楽しみ」


そう言って笑ったら瑛蓮もにこりと笑う。やがて侍女がお茶とお菓子を持ってきてくれた。

二人でお茶を飲みながら取留めのない話をする。基本的に玉蘭が話し、瑛蓮はそれを聞いていることが多かった。

瑛蓮は屋敷からほとんど出ない。だからびっくりするくらい世間知らずで、玉蘭のする話を目を輝かせて聞いていた。


「すごいね…。この国の外にもたくさんの国があるんだ」

「そうよ。その茶器だって隣国の工芸品だもの」

感心する瑛蓮に玉蘭が得意気に語れば、瑛蓮はますます目を輝かせた。


「すごいなぁ。船で海を渡るんでしょう? 見てみたいなぁ……」

「あら、じゃあ私の家に来たら? 船でもなんでもあるわよ?」


玉蘭にとって、それはなんでない提案だった。軽い気持ちでした発言。だけど瑛蓮は悲しそうな顔をした。

瑛蓮がそんな顔をするのを玉蘭は初めて見た。だからびっくりして、まじまじと瑛蓮を見てしまう。


「……瑛蓮?」

「そうできたら、良かったんだけど」


本当に残念そうな声。瑛蓮はそんな声で「行けないんだ」と囁いた。玉蘭はそんな瑛蓮の様子に首を傾げる。


「体調を心配してるの? お医者さまにちゃんと許可を貰えば大丈夫じゃないかしら」

「そうじゃなくて……」


瑛蓮は玉蘭を見ながら、何か迷うような素振りを見せた。躊躇いがちに口を開いてはまた閉じる。その繰り返しだ。

でも結局、瑛蓮は話すことにしたらしい。いつまでも黙っている訳にはいかないと知っていたから。

瑛蓮の視線が玉蘭を真っ直ぐに射抜く。


「玉蘭、」

「なに?」


今まで見たことがないくらい、真剣な顔だった。それを正面から受け止める玉蘭の背筋は、自然と伸びる。

良くない話だ。直感で玉蘭は悟った。瑛蓮は困ったような、泣きそうな顔で玉蘭を見つめる。


「……都に帰ることになったんだ」

「え……?」

「父が戻ってくるようにって」


それは玉蘭の予想を大きく上回る言葉だった。都に帰る? 瑛蓮が?

瑛蓮が預けられている子供だということは知っていた。だが玉蘭は考えたこともなかったのだ。瑛蓮がいつかここから居なくなるということを。

まじまじと玉蘭は瑛蓮を見つめる。瑛蓮はその視線に耐えられなくなったのか、視線を逸らした。


「いつ? いつ都に行っちゃうの?」

「たぶん今月中には……」


急すぎる展開に玉蘭は何も言えなくなった。瑛蓮もまだ混乱しているのか、困った顔をしている。瑛蓮は情けない顔をしながら、玉蘭の手をぎゅっと握った。


「そっか……。都に、帰っちゃうんだ」

「離れたくないよ」


泣きそうな瑛蓮の声。顔を見れば本当に泣きそうな顔をしていた。そんな瑛蓮に玉蘭は苦笑する。


「そんな顔をしないでよ。別に今生の別れってわけじゃないでしょ?」


励ますように言ったけど、瑛蓮の表情は暗いままだ。

確かにここから都は遠い。だが会おうと思えば会える距離だ。幸い、玉蘭の父親は事業に成功した商人だ。都までの旅費をケチるような人間ではないだろう。

そう瑛蓮に言い聞かせたが、瑛蓮はやっぱり暗い表情のまま。そんな瑛蓮に玉蘭は呆れてしまう。


「もう! いつまでも暗い顔をしないでよ!」


そうやって怒ったふりをすればやっと瑛蓮がこっちを見た。眉は相変わらず下がったまま。

年上だというのに、ちっともそれらしくない姿に玉蘭が苦笑する。玉蘭は未だ繋がれたままの手に力を込めた。


「また会えるわ。会いに行くし、来てくれるでしょう?」

「もちろん会いたいよ。でも……」


妙に歯切れの悪い言葉。玉蘭が瑛蓮の顔を覗き込めば、瑛蓮は小さくため息をついた。


「戻ったら僕は二度とここに来れないと思う」

「え?」

「玉蘭が会いに来ても、会えないかもしれない」


それはどういうことなのだろう。瑛蓮の言葉の意味を図りかねて、玉蘭は困ったような顔をした。

そんな玉蘭の顔を見て瑛蓮は苦笑する。自分の額と玉蘭の額をくっつけて自分に言い聞かせるように言葉を重ねた。


「僕の家は……ちょっと複雑でね。帰ったらこっちに来ることはできないと思う」

「……私が会いに行くよ?」

「ありがとう」


その言葉だけで、玉蘭は都に会いに行っても瑛蓮に会えないだろう事を理解した。何か、玉蘭の理解の範疇を超える事情があるようだ。それでも玉蘭はこのまま会えなくなるのは嫌だった。


「瑛蓮はもう会いたくない?」

「……そんなわけない……」

「じゃあ……!」


聞こえた呟きに顔を上げれば、瑛蓮が悔しいそうな顔をしているのが見えた。それだけで瑛蓮も、この別れを望んでいないことを知る。

それでも瑛蓮は戻らなくてはいけないのだ。どんな事情があるのか玉蘭には分からないが、変える事はできない。それを分かっているから、瑛蓮も戻ることを決意したのだ。

だから玉蘭も覚悟を決めた。瑛蓮の決意を無駄にしたくなかったから。


「……分かった」

「っ、」

「会わない。我慢、する」


瑛蓮が会えないと言ったのに、会わないという言葉に泣きそうな顔をした。そんな瑛蓮の姿に玉蘭は思わず苦笑する。

瑛蓮の方が年上なのに。こんな風だからいつも年上に見えないのよね。そんなことを思いながら。

励ますように抱きしめれば、瑛蓮が玉蘭の背中に腕を回し、ぎゅっと力を込める。玉蘭は大人しくされるがままでいた。


「……玉蘭、」

「なに?」


耳元で囁かれた声。いつもより声が大人びて聞こえるのは、いつもより近い距離に瑛蓮が居るからだろうか。

なんだか動悸が激しくなったような気がしたが、玉蘭は気づかないふりをした。もちろん瑛蓮はそんな玉蘭には気づいていない。


「このまま会えなくなるのは嫌だ」

「私もだよ」

「でも僕はここには居られない」

「分かってる」


そこまで言って一つ深呼吸。玉蘭は黙って瑛蓮の言葉を待った。


「……もし、」

「うん」

「僕が家のごたごたとか全部片付けて、自由に動けるようになったら」

「うん」

「……迎えに来てもいい……?」


予想外の言葉。思わず瑛蓮の顔を見ようと身じろぎをするも、瑛蓮は抱きしめる腕の力を緩めない。微かに見えた瑛蓮の耳は、真っ赤に染まっていた。


「迎え? 都から?」

「うん」

「来てくれるの?」


微かに頷く気配。玉蘭は思わず笑ってしまった。嬉しいと思っている自分に気がついて。

そう言って欲しかった。瑛蓮とこのまま別れるのはやっぱり寂しいから。

笑いながら玉蘭は抱きしめる手に力を込める。瑛蓮の焦ったような声が聞こえた。


「待ってる」

「本当? 一緒に都に来てくれるの?」

「瑛蓮が迎えに来てくれるなら」


その言葉に瑛蓮は玉蘭を強く抱きしめる。くすぐったくて玉蘭は笑った。

子供の約束。それでも二人は真剣だった。また会えると信じて、お互いの小指を絡ませる。


「迎えに来るよ」

「期待しないで待ってる」


嘯く玉蘭に瑛蓮は苦笑する。やがて遠くから玉蘭を呼ぶ父親の声が聞こえた。玉蘭は椅子から立ち上がる。

しばらく会えなくなるが、玉蘭も瑛蓮も不安に思わなかった。玉蘭は父親と共に、乗ってきた馬車に乗る。

それからしばらくして、瑛蓮も都から来た馬車に乗って街を離れたのだった。



――やがて都の皇宮で政変が起こる。


かつて暗殺されかけ、父王によって隠されていた正妃の皇子が帰還したのだ。それを受けて、皇太子の座を狙っていた妾妃たちが動き出した。

皇宮を二分に分けたこの争いは、正妃の皇子がかつての暗殺未遂の証拠と妾妃たちの悪事を暴くことで収束する。その見事な手腕は、皇宮内部に巣食っていた悪を白日の下にさらけ出し、膿を搾り出すこととなった。

即位前からその有能さを発揮した正妃の皇子は、臣下たちの信用と民の信頼を勝ち取り、正式に皇太子の座へと就いた。

皇帝は皇太子に数多の花嫁候補を紹介するも、皇太子はその全てを断った。そしてただ一人の人を迎えに行くために、かつて暮らした街へと凱旋する。

幼い頃の約束を果たすために――。




*  *  *




「――確かに迎えに来てくれたわ。ただし、身分も何もかも変わってたけどね」


不機嫌に話を締めくくった花嫁とは裏腹に、話を聞いていた新米女官や他の女官たちは目を輝かせていた。その姿にやっぱり花嫁は嫌そうな顔をする。


「素敵じゃないですか……! 殿下はお約束を果たすために粛清断行したんですね」

「素敵って……」

「それに他の花嫁候補も全てお断りになって! 本気で愛してらっしゃったんですね!」


そうなのだろうか。花嫁は思わず唸る。

そんな花嫁を放って女官たちは盛り上がっていた。そこへ侍従が「殿下がお越しです」と恭しく頭を下げながら言う。話している内にだいぶ時間が経ったらしい。

現れた殿下は、花嫁と同様に婚礼の衣装を身に纏っていた。そのまま己の花嫁の下へと猛然と近寄ってくる。

美しい装いに身を包む花嫁に、皇太子は輝くばかりの笑顔を浮かべた。


「すごく綺麗だよ」

「……それはどうも」


嬉しそうな皇太子とは逆に花嫁は相変わらずの仏頂面。そんな花嫁の姿に、皇太子は少しだけ困ったような顔をする。


「やっぱり嫌だった……?」


皇太子が情けない顔で花嫁を覗き込む。その姿に花嫁は呆れ、それからなんだか懐かしくて笑ってしまった。

花嫁は皇太子の腕を取り、廊下へと続く扉へと歩き出す。皇太子は突然のことに目を丸くした。


「約束でしょ」

「え?」

「迎えに来てくれるって」


それは幼い頃にした二人の大切な約束。確かに大仰な迎えの行列と、立派なその姿には驚いた。

それでも嬉しかった。ちゃんと迎えに来てくれたから。

微笑む花嫁に皇太子も安心したように笑った。廊下に出た二人は、声援の聞こえる露台へと歩き出す。

お互いの手を握りながら、一歩ずつ歩んでいく。


決して手を離さない、と共に誓いながら――。






「かく語りき」シリーズ第三弾です。


今回は漢字圏での王道物語です。

ヒーローがちょっと残念な感じに…。


なにかありましたら、書き込んでくださると嬉しいです。



*藤咲慈雨*

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして。短編のお気に入りランキングからふらりとやってきました。 別れの箇所では切なくなり、政変部分ではワクワクして、この話を長編として読みたくなりました。 とてもおもしろかったです。素…
2010/09/14 12:25 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ