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サイキックシンジケート――視えない詐欺師と視える僕の心霊業界下剋上――  作者: 十凪高志


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第七話 漆黒無敵の鏡

「次はスクライングだな」

「スクライング……水晶占い、だっけ」


 僕の言葉に、獅童は人差し指を立てて左右に振る。


「ああ。だが、いきなり水晶玉を覗き込んでも、普通は何も視えやしねえ。あれは意外と玄人向けなんだよ。初心者向けのスクライングってのがあってだな……」

「初心者向け?」

「ダークミラーってやつだ。真っ黒な鏡。黒く塗った鏡面をじっと見つめて瞑想することで、己の心を視覚化する……ってヤツらしいぜ。知らんけど」


 獅童の説明に、艶華さんが頷きながら補足する。


「西洋魔術の伝統的な技法だね。古くは黒曜石の円盤を使ったり、水盤に黒いインクを垂らしたりもした。簡単なのだと、黒い画用紙を丸く切り取って壁に貼るだけでも可能だよ」

「黒いものを見つめるだけで……?」

「そうさ。真っ暗なスクリーンを凝視しているとね、だんだん光の残像だったり、幾何学模様みたいなものが見えてくるだろう?

 例えば、目をぎゅっと閉じたときみたいにさ」


 言われてみれば、確かにそうだ。

 目を閉じても、視界は完全な無色の一様な闇にはならない。まだら模様の紫や緑の光の残滓が、明滅するように浮かんでくる。


「それを見て、タロットカードの絵柄を読むときのようにインスピレーションを働かせるのさ。そして習熟していくと、黒い鏡そのものが門、つまりイメージの世界への入り口になる」

「それって、霊感みたいなものっすか?」

「違うよ、獅童。あくまでイメージの力さ。

 一部のクリエイターや、瞑想を専門にする修行者なんかはね、意識的にイメージの世界に入り込めるんだ。

 分かりやすく言うと、起きたまま夢を見るようなもんだね」

「明晰夢……ですか」

「そう、そんな感じさ。自分の無意識の海にダイブするようなものだよ」


 自分の、無意識の海。自分の心の中を覗き込む。それは、少し怖いような気もした。

 そんな僕の様子を察してか、獅童がにやりと笑いおもむろに鞄から一つの箱を取り出した。


「まあ、理屈はいい。論より証拠。とっておきの道具を用意してきたんだぜ」


 獅童が恭しく箱を開けると、中には黒いビロードの布に包まれた、円盤状の物体が鎮座していた。直径は二十センチほどだろうか。

 彼が慎重にそれを取り出す。それは、一枚の鏡だった。だが、普通の鏡とは明らかに違う。


「うわ……」


 僕は思わず声を漏らした。

 その鏡は、黒い。

 尋常ではないほどに、黒い。

 光を全く反射せず、まるでそこだけ空間に穴が空いているかのように絶対的な漆黒が広がっていた。

 見つめていると吸い込まれそうな錯覚さえ覚える。


「こいつは俺の自作だ。

 この世で最も黒いと言われる塗料、ペンタブラックってのがあってな。

 その名も「漆黒無敵」、それを使って作った特製ブラックミラーだぜ」


 ペンタブラック。聞いたことのない名前だったが、その異様なまでの黒さが、獅童の言葉を裏付けている。

 スマホで調べたとこによると、光吸収率九十九・九パーセント以上。可視光をほとんど反射しないため、物体の凹凸や質感が消失し、二次元的な「穴」のように見えるのだという。



「時計皿の凹面側に「漆黒無敵」を塗ってな。それを、金砂を敷き詰めた土台に貼り付けてある。金と黒のコントラストが、なんかこう……厨二心をくすぐるだろ?」


 獅童が悪戯っぽく笑う。確かに、漆黒の円盤を縁取るように、台座の金色の砂がきらきらと輝いている。それはどこか、日食で太陽が月に隠された、コロナの輝きを思わせた。


「……まるで、宇宙に浮かぶブラックホールみたいだ」

「だろ? 面白いもんが視えそうだとは思わねえか?」


 隣で見ていた艶華さんが、感心したようにため息をついた。


「あんたは本当に、とんでもないことを思いつくね……。こんな代物、見たことも聞いたこともないよ。

 普通のダークミラーとは比較にならないくらい、深く潜れるかもしれない」

「だろ? で、だ。こいつの効果を最大限に引き出すために、最高の実験場所も見つけてきた」



 ◇

 翌日。僕は、獅童と共に、初台にある東京オペラシティタワーを訪れていた。

 近代的なビルの内部にあるMTTインターコミュニケーション・センター 。その一角に、目的の部屋はあった。



 獅童は、どこか得意げにスマートフォンの画面を僕たちに見せた。そこに表示されていたのは、都内にある、とある施設の名前だった。


「東京オペラシティ、MTTインターコミュニケーション・センター……ICC?」

「ああ。ここの『無響室』を借りる」

「無響室って……音が全く反響しない部屋、だよな?」

「その通り。壁も床も天井も、特殊な吸音材で覆われてて、音が完全に吸収される。自分の心臓の音や血流の音が聞こえるってくらい、異常な静寂空間だ」


 完全な無音。そして、この世で最も黒い黒。

 聴覚と視覚から、極限まで外部の情報をシャットアウトする。そうすることで、僕自身の内側から湧き上がってくる情報……つまり、共感覚で捉えるビジョンを、純粋な形で引きずり出そうというのだ。


 なお、ここは普通に予約をすれば借りられる、一般公開されているものだという。


「……」


 分厚い防音扉の前に立ち、僕はごくりと喉を鳴らす。扉の向こう側は、この世界のあらゆる音から切り離された、絶対的な静寂の世界だ。


「準備はいいか、祐介」

「……うん」

「怖がる必要はねえ。お前はただ、俺の作ったこの鏡を覗き込むだけだ。俺は外で待ってるから、まあ気楽にやれよ」


 獅童はそう言って、僕の肩を力強く叩いた。

 ICCのスタッフに促され、僕は一人、ゆっくりと無響室の中へと足を踏み入れた。


 ずしり、と重い扉が閉まる。その瞬間、世界から音が消えた。

 いや、消えた、という表現は正しくない。今まで意識していなかった音が、内側から響き始めたのだ。

 どっ、どっ、どっ、と自分の心臓が脈打つ音。さあ、と血液が血管を流れていく音。耳の奥で、キーンという微かな音が鳴り続けている。

 壁も床も、鋭い楔形の吸音材がびっしりと突き出しており、まるで巨大な怪物の口の中にいるような、異様な圧迫感があった。平衡感覚が狂い、僅かに体がふらつく。


 部屋の中央には、小さな椅子とテーブルが一つ。その上に、獅童が作ったダークミラーを置く。

 僕はゆっくりと椅子に腰を下ろし、目の前の漆黒の円盤と向き合う。

 やがて、室内の照明がゆっくりと絞られていく。

 闇が、部屋を支配していく。

 完全な暗闇ではない。ダークミラーがぼんやりと浮かび上がる程度の、最低限の光量。


 その中で、鏡の黒は、周囲の闇すら飲み込むかのように、圧倒的な存在感を放っていた。


 それは、もはや「黒い色」ではなかった。虚無。無。何もない空間そのもの。


 完全な無音の中で、最も黒い黒を見る。


 言われた通り、僕はただ、じっとそれを見つめ続けた。

 最初は、何も起こらなかった。ただ、自分の心臓の音だけが、やけに大きく響いている。

 どれくらいの時間が経っただろうか。五分か、十分か。一時間か。それとも数十秒に過ぎないのか。

 時間の感覚さえ曖昧になってくる。


 その時、漆黒の円盤の中心に、微かな光が灯った。


 チカ、と瞬く、紫色の光点。それはすぐに数を増やし、幾何学的な模様を描き始める。艶華さんの言っていた通りだ。

 模様は万華鏡のように次々と形を変え、僕の意識を鏡の奥深くへと引きずり込んでいく。


 ―――視界が、変わる。


 僕は、学校の教室にいた。

 ざわめき。ひそひそ話。くすくすという嘲笑。


『見た? 八坂の動画』

『マジきもいんだけど』

『関わらない方がいいって』


 スピの介に罵倒され、晒し上げられた後の、あの針の筵のような教室。誰もが僕を遠巻きにし、汚物でも見るかのような目を向けてくる。息が詰まる。ここに、僕の居場所はない。


 場面が切り替わる。

 スピリチュアルフェスタの会場。壇上のスピの介が、僕を指差して叫んでいる。


『こいつは偽物だ! 人の善意を踏みにじる悪魔だ!』


 観客たちの憎悪に満ちた視線が、槍のように突き刺さる。違う、僕はただ……。声にならない叫びが、喉の奥でつかえる。


 次々と、僕の過去のトラウマが、心の傷が、目の前で再現されていく。

 いじめられていた小学校時代。一人で給食を食べていた中学校時代。いつも、僕は独りだった。誰にも理解されず、誰にも必要とされず、ただ息を潜めて生きてきた。

 そうだ。僕は、そういう人間なんだ。

 気弱で、臆病で、何の役にも立てない。

 そんな僕が、獅童の隣に立つ? 彼の相棒になる?

 笑わせるな。


 その時、目の前の闇が、ゆっくりと人の形をとり始めた。

 それは、僕自身と瓜二つの姿をしていた。

 だが、その表情は、僕が知らないものだった。冷たく、侮蔑に満ちた目で、僕を見下している。


『馬鹿なやつ』


 もう一人の僕が、唇を歪めて言った。


『お前なんかに、何ができる? 誰かを救う? 偽物の霊能者を倒す? 寝言は寝て言えよ』

「ち、違う……僕は……」

『お前は昔からそうだ。何もできないくせに、正義感だけは一人前。そのせいで、いつも痛い目を見てきたじゃないか。いい加減、学習したらどうだ?』


 言葉が、胸に突き刺さる。その通りだ。僕は、いつもそうだった。


『獅童に相棒だって言われて、舞い上がってるみたいだけどな。勘違いするなよ。お前は、彼の復讐のための道具にすぎない』

「道具……?」

『そうだ。あいつの目的は、枢天城への復讐。ただそれだけだ。そのために、お前の『視える』力が必要だった。それだけのことだ。お前自身に価値があるわけじゃない』


 そうだ。そうかもしれない。獅童は、僕のこの気味の悪い体質を利用しているだけなんじゃないか?

 彼の目的は、あまりにも巨大なものだ。

 対して僕を動かしているのは、ちっぽけな自己顕示欲、スピの介へのくだらない反抗心、自尊心にすぎない。

 ――何もかもが、違う。


『考えてもみろ。あんな壮絶な過去を背負った男が、お前みたいなひ弱なガキを、本気で対等なパートナーだと思うか?』

「……っ」

『復讐が終われば、お前は用済みだ。必ず、失望されて捨てられる。お前は、また独りになるんだ。今までと、何も変わらない』


 やめろ。

 聞きたくない。

 でも、その言葉は、僕の心の奥底にずっと燻っていた不安、そのものだった。

 獅童は、僕を必要だと言ってくれた。光だ、とまで言ってくれた。

 でも、本当に? いつか、僕の力が及ばなくなった時、彼が僕に幻滅した時……それでも彼は、僕の隣にいてくれるのだろうか?


 自信が、ない。


 そうだ、僕は彼にとっての光だ。そして光はいずれ消える。切れた電球のように。そして新しい「光」に挿げ替えられる、ただの道具、消耗品だ。


 もう一人の僕が、勝利を確信したように、冷酷な笑みを浮かべる。


『ほら見ろ。お前も、心のどこかでは分かってるんだ。お前は、誰かにとって不可欠な存在になんて、なれっこないんだよ』


 ああ、そうだ。僕は、きっとまた独りになる。

 絶望が、冷たい霧のように心を覆っていく。体が、鉛のように重くなる。

 もう、どうでもいいか……。


 その時だった。


『―――捨てねえよ』


 凛とした声が、背後から響いた。

 ハッとして振り返る。そこには、いつもの不敵な笑みを浮かべた、獅童の姿があった。

 ビジョンだ。でも、あまりにも鮮明で、まるで本人がそこにいるかのようだった。


 もう一人の僕が、苛立ったように舌打ちする。


『……なんだよ、お前は』

『なんだよ、とはご挨拶だな。相棒のピンチに駆けつける、ヒーローに決まってんだろ』


 獅童は僕の隣に立つと、もう一人の僕……僕の心の弱さを、まっすぐに見据えた。


『こいつは俺の道具なんかじゃねえ。俺の、たった一人の相棒だ』

『……フン。口では何とでも言える。根拠は? お前がこいつを捨てないっていう、根拠はどこにある?』


 もう一人の僕の問いに、獅童は一瞬きょとんとした顔をした。そして、次の瞬間、心底おかしいというように、腹を抱えて笑い出した。


『ぶっ……はははは! 根拠? そんなもん、あるわけねえだろ!』

『なっ……』

『ねえよ、そんなもん。つーか、根拠とか、どうでもいいだろ』


 獅童は笑うのをやめると、真剣な目で僕の方を向いた。


『いいか、祐介。俺は、お前を必要としてる。お前の力が、とか、復讐のため、とか、そういう理屈じゃねえ。八坂祐介、お前自身が必要なんだよ。それ以上でも、以下でもねえ』

「獅童……」

『屋上で、こっ恥ずかしいこと言ったの、もう忘れたのか? 俺とお前は陰と陽、光と闇だ。一人じゃ不完全な俺たちが組むから、最強になれる。あれが、俺の答えの全部だ』


 彼の言葉が、冷え切った僕の心に、じんわりと染み渡っていく。

 そうだ。僕たちは、誓ったじゃないか。

 彼の目になる、と。彼の隣で戦う、と。


『綺麗事だ……』


 もう一人の僕が、まだ悪態をつく。

 だが、その声には、先程までの力はなかった。


『……そんなもの、いつか壊れる。信じたって、裏切られるだけだ』

「……そうかもしれない」


 今度は、僕が口を開いた。

 獅童のビジョンが、少し驚いたように僕を見る。


「未来のことなんて、誰にも分からない。いつか、獅童が僕を捨てる日が来るのかもしれない。僕が、彼を裏切る日が来るのかもしれない。……でも」


 僕は、目の前の自分の弱さの象徴を、まっすぐに見つめ返した。


「それでも、僕は信じたい。信じるって決めたんだ。僕を必要だと言ってくれた、たった一人の相棒を。……根拠なんてなくても、僕は、獅童を信じる!」


 僕がそう叫んだ瞬間、もう一人の僕の姿が、陽炎のようにぐにゃりと歪んだ。そして、満足したように、ふっと穏やかに微笑んだ気がした。

 彼の姿が闇に溶けて消えていく。

 視界が、真っ白な光に包まれた。



 ◇


 ゆっくりと目を開けると、そこは無響室だった。

 いつの間にか、室内の照明が明るく灯っている。

 ずしり、と重い扉が開かれ、獅童と艶華さんが入ってきた。


「……おかえり、祐介」


 獅童が、少し心配そうな、それでいて全てを見透かしたような目で僕を見ていた。


「どうだった? 自分自身とのご対面は」

「……うん」


 僕は、ゆっくりと立ち上がった。

 不思議と、体は疲れていなかった。むしろ、心の奥にあった重たい澱のようなものが、すっかり洗い流されたように、清々しい気分だった。


「最悪だったけど」


 僕は、目の前の相棒を見て、はっきりと告げた。


「悪くなかったよ」


 その言葉に、獅童は一瞬、虚を突かれたような顔をした。そして、次の瞬間、心の底から嬉しそうに、破顔した。


「ああ。なら、上出来だ」


 差し出された彼の拳に、僕は迷わず自分の拳を突き当てる。

 今度の音は、前よりもずっと、強く、確かに響いた気がした。

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