第十一話 俺たちの戦いはこれからだ
僕たちは一ノ瀬さんを伴って、再びあの家を訪れていた。
彼女の友人たちも心配して付き添ってくれている。皆、家の前に立っただけで、強張った表情を隠せないでいた。
「本当に……大丈夫なんでしょうか」
一ノ瀬さんが不安げに僕と獅童の顔を交互に見る。数日の間友人宅で過ごしたとはいえ、一度植え付けられた恐怖はそう簡単には消えない。
彼女には家の扉が、まるで巨大な獣の口のように見えているのだろう。
「ああ、任せとけ」
獅童はニッと歯を見せて笑うと、こともなげに言い放った。その手には、儀式で使うという白木の箱が携えられている。
「俺たちを誰だと思ってやがる。最強霊能者コンビだぜ。どんな悪霊だろうが、根こそぎ祓ってやるよ」
その根拠のない、しかし絶対的な自信に満ちた言葉は、不思議な説得力を持っていた。一ノ瀬さんたちの表情が、わずかに和らぐ。
僕も隣でこくりと頷いた。
これから行われることのすべてを、僕は知っている。だからこそ、獅童と同じように、確信を持って彼女に微笑みかけることができた。
「さあ、入ろうぜ。最後の仕上げだ」
獅童が扉を開け、僕たちは呪われた家の中へと足を踏み入れた。
「いいか、祐介。お札は家の四隅と、特に霊道になりやすい窓際、それから家の中心に貼る。正確にな」
家の中に入るなり、獅童は僕に指示を飛ばした。箱の中から取り出したのは、朱墨で複雑な文様が描かれた何枚ものお札だ。
「うん、わかった」
僕は指示通り、お札を手に取り、壁に貼り始めた。ペタ、ペタ、と軽い音を立てて貼られていくお札。その作業をしながら、僕は数日前の獅童との会話を思い出していた。
◇
あれは、獅童が低周波の正体を突き止めた翌日のことだった。僕たちはファミレスで、今後の対策について話し合っていた。
「原因がわかったなら、話は早いよ。一ノ瀬さんに事情を説明して、引っ越してもらうとか……」
僕がそう提案すると、獅童はポテトをつまみながら、呆れたように首を振った。
「甘いな、祐介。お前はまだ、わかってねえ」
「え……?」
「考えてみろ。霊がいる、呪われていると本気で信じ込んでいる人間にな、「いや、実はそれ、霊じゃなくて低周波っていう音波が原因なんですよ。科学的な現象なんです」って説明して心の底から納得すると思うか?」
「むっ……」
獅童の問いに、僕は言葉を詰まらせた。
確かに、そうかもしれない。
僕自身、獅童に説明されるまで、あの不快感を霊的なものだと信じて疑わなかった。
「その場では頭で理解しようとするだろうさ。
だがな、心は納得しねえ。長年苦しめられてきた恐怖や不安は、科学的な理屈一つで消え去るほど単純じゃねえんだ。
むしろ「そんなはずはない」「この人たちは何もわかっていない」って、余計に心を閉ざしちまう可能性すらある」
彼はドリンクバーのアイスコーヒーを一口飲むと、続けた。
「そうなるとどうなる?
仮に引っ越したとしても、心理的な要因でまた別の怪奇現を自分で引き起こしかねん。
あるいは俺たちに見切りをつけて、また別の……それこそスピの介みたいなインチキ霊能者に大金を払って頼ることになる。
それじゃ、根本的な解決にはならねえんだよ」
「じゃあ、どうすれば……」
「だから、俺たちの出番なんだ」
獅童は不敵に笑った。
「霊を信じているなら、俺たちはその土俵で戦ってやる。霊が原因だと認め、その霊を俺たちが祓う。それも、とびきり派手な儀式でな。心の問題は、心でしか救えねえんだよ」
「儀式……。でも、原因は低周波なんだよ? 儀式をやったって、現象はなくならないじゃないか」
「もちろん、物理的な対策も同時に行う。二段構えだ」
そう言って獅童が取り出したのは、一枚のパンフレットだった。そこには「防音・遮音リフォーム特集」と書かれている。
「昨日、専門の業者に連絡して、すでに見積もりも手配も済ませてある」
「え、業者って……まさか!」
「ああ。一ノ瀬の家の壁紙を張り替える。全部じゃねえが外側の壁をまるっとな」
獅童はスマホで一枚の画像を見せた。それは、スポンジのような、あるいは目の細かいフェルトのような、特殊な素材のシートだった。
「音波吸収材。主に音楽スタジオとか、無響室で使われるもんだ。
これを壁紙の下に仕込む。もともと可聴領域外のかすかな低周波だ。これだけ広範囲に施工すりゃ、人体に影響が出ないレベルまで、ほぼ完璧に減衰させられる」
「それって……僕が前に入った、無響室みたいなもの?」
「理屈は同じだ。あの家を、まるごと簡易的な無響室にしちまうのさ。もちろん、前の壁紙とほとんど同じデザインのものを選んで、張り替えたことがバレないようにな」
あまりに大胆で、そして緻密な計画に、僕は息を呑んだ。
霊という超常現象を相手にするために、彼はリフォームという極めて現実的な手段を用意していた。
「つまり……除霊の儀式は一ノ瀬さんの心を救うためのパフォーマンス。
そして壁の中の音波吸収材が、現象そのものを解決する本当の除霊……ってこと?」
「そういうこった。
お札を貼って儀式を行い、ありがたい霊験で霊を鎮めたと信じ込ませる。
その心理的な安心感。そして実際に、もう怪奇現象は起きなくなるという物理的な事実。
この二つが揃って初めて、本当の意味での救いになる。俺たち最強霊能者コンビの、これが「除霊」よ」
僕は、目の前の男に改めて畏敬の念を抱いた。
彼はただの詐欺師じゃない。
人の心の弱さも、科学の力も、その両方を理解し、利用して、人を救おうとしている。そのやり方が正しいかどうかはわからない。
でも、少なくとも彼は、目の前で助けを求めている人間に対して、誰よりも真摯だった。
「……すごいな、獅童は」
「俺だけじゃねえさ。お前の霊視があったからできた事だぜ」
そう言って獅童はいつものように屈託なく笑った。
◇
僕は最後のお札をリビングの中心の壁に貼り付けた。
振り返ると、部屋の隅で固唾を飲んで見守っていた一ノ瀬さんたちが、僕の動きをじっと見つめている。
「準備、完了だ」
僕が頷くと、獅童はゆっくりと部屋の中央に進み出た。
彼は一度、目を閉じ、深く息を吸い込む。そして、再び目を開いた時、その瞳には先ほどまでの軽薄な光はなく、神聖さすら感じさせる、鋭い輝きが宿っていた。
場の空気が、一瞬で変わる。
「……祐介の霊視によると」
獅童の低い声が、静まり返った部屋に響いた。
「この地に古くから巣食う、不成仏の霊だ。
かつてこの辺りは沼地だった。人知れず、多くの命が失われた。
その無念が、長い年月をかけて澱のように溜まり、この土地そのものを呪いの器に変えてしまった。
お嬢ちゃん、あんたは悪くない。ただ、偶然ここに住んでしまっただけだ」
大嘘である。
もっともらしい、しかし完全にデタラメの来歴。
だが、獅童の迫真の語りは、一ノ瀬さんたちの心を完全に掴んでいた。彼女たちは、ゴクリと喉を鳴らし、彼の言葉に聞き入っている。
「だが、それも今日で終わりだ。我が名は草薙獅童。相棒、八坂祐介と共に、天命を以て魔を祓い、不浄を清める者なり!」
獅童は懐から数珠を取り出し、ジャラリと鳴らした。そして、まるで歌うかのように、朗々とした祝詞を唱え始めた。
「かけまくもかしこき、産土の大神たち……」
それは、どこかの神社で聞いたことがあるような、それでいてどこか違う、彼独自の祝詞だった。抑揚のついた声が、リフォームされた壁に反響し、部屋全体を荘厳な雰囲気で満たしていく。
僕も彼の隣に立ち、目を閉じて祈るふりをした。心の中で、この偽りの儀式が、一人の少女の真実の救いになることを、ただただ願っていた。
祝詞は次第に熱を帯び、クライマックスへと向かっていく。
「――悪しきものを打ち祓い、清きものを招き入れん! これなる呪詛、我が霊力にて封滅せん!」
カッと目を見開き、獅童は右手を前方に突き出した。その指先は、僕が最後にお札を貼った、リビングの中心の壁に向けられている。
一拍の間。
部屋中の空気が、極限まで圧縮されたかのような錯覚。
「――急急如律令」
獅童が力強く宣言した瞬間、張り詰めていた空気が、ふっと緩んだ。まるで、見えない重石が取り除かれたかのように。
静寂が訪れる。
誰もが、息をすることも忘れ、呆然と立ち尽くしていた。
やがて、おそるおそる、一ノ瀬さんが口を開いた。
「……あ……」
彼女は、信じられないといった表情で、部屋の中を何度も見回している。
「あの、嫌な感じが……しない……。空気が、澄んでる……?」
「え、本当!?」
「よかった……!」
友人たちが、泣きながら彼女に駆け寄る。三人は抱き合って、ただただ喜びの涙を流していた。
その光景を見て、僕の胸にも温かいものがこみ上げてきた。
もちろん、空気が澄んだのは単なるプラシーボ効果だ。僕には指導の儀式の前と後で何か変わったようには全く感じない。
でも、彼女たちが感じている安堵は本物だ。
これで彼女はもう、あの見えない恐怖に怯えることはない。
「――あ」
あと、彼女の後ろで、老婆が安堵した顔で頭を下げたのが、視えた。
◇
帰り道、すっかり暗くなった道を獅童と二人で歩いていた。
一ノ瀬さんたちには、何度も何度も頭を下げて感謝された。もちろん獅童は料金はきっちり請求した。
学生割り引き込みで十二万円。
女子高生には高い価格だが、彼女たちのあの笑顔を見れば問題ないのだろう。
占いの館瑠璃宮は分割支払い可能だしな。
「……でも、あの工事、結構高かったんじゃない?」
僕は、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「ああ、かなりかかったぜ。俺の溜めてたバイト代とか、きれいさっぱり吹っ飛んだわ」
獅童は、こともなげに頭の後ろで腕を組む。
「いいの? 僕も出すよ。半分とは言わないけど、少しでも……」
「いいんだよ、これは」
獅童は僕の言葉を遮った。
「初期投資ってやつだ。見てな。すぐに元が取れるどころか、お釣りがくるぜ」
その言葉の意味が、僕にわかるのは数日後のことだった。
◇
「おい祐介、見ろよこれ!」
占いの館瑠璃宮の待機室で、獅童が興奮した様子でスマホの画面を僕に見せてきた。
そこには、とあるニュースサイトの記事が表示されていた。
『衝撃! 有名霊能者スピの介が匙を投げた心霊物件、謎の高校生コンビが完全解決!』
その見出しの下には、僕たちが一ノ瀬さんの家を「除霊」した一件が、ドラマチックに書き立てられている。友人たちの証言を元にしているらしく、かなり信憑性の高い記事として扱われていた。
「女子高生たちのネットワークは、どんなメディアより拡散力が高いからな。あっという間に広まって、ネットニュースにまでなったってわけだ」
獅童はニヤニヤしながら、SNSの画面に切り替える。
「#スピの介ざまぁ」「#本物の霊能者」といったハッシュタグと共に、僕たちの噂が爆発的に拡散されていた。
『スピフェスで炎上してた子、本物だったんだ!』
『スピの介がビビって逃げた案件を解決とか、マジ神』
『うちも見てほしい!』
コメント欄は称賛と、新たな依頼の書き込みで溢れかえっていた。
現にここ数日、瑠璃宮の僕たちのブースには噂を聞きつけた客が長蛇の列を作っている。
「な? あのスピの介様が手を焼いて拒否した霊障を解決したんだ。そりゃ客も来て儲かるし、投資分なんか余裕で戻ってくるわ」
スピの介が霊障に手をやいて拒絶した、というわけではないのだが、もうネットではそういうことになっていた。
まあスピの介も、まさか騙されてヤクザの家にお邪魔してしまったから着拒した、とは言えまい。プライドがある。
「最初から……この展開を考えてたの?」
僕が呆然と尋ねると、獅童は「さあな」と肩をすくめた。
「だが、使えるもんは使う。
助けられる人は助けて、俺たちは名を売る。バカの評判もきっちり落としてくそざまぁ、だ。
一ノ瀬嬢も救われ、俺たちは儲かり、スピの介は評判を落とす。三方丸く収まる、最高のハッピーエンドだろ?」
彼は悪戯っぽく笑った。
詐欺師め。だけどその笑顔は僕にはとても頼もしく映った。
「そして、これで必要なものは揃った。
名声と実績。これを持って、いよいよ本丸に殴り込む」
「本丸って……霊智協会のこと?」
「ああ。天下のスピの介が拒否した霊障を解決した霊能者コンビ。しかも、今一番勢いのある占いの館瑠璃宮のトップ占い師だ。協会も、もう俺たちを無視することはできねえ」
「でも、瑠璃宮を蹴って移籍するなんて……艶華さんを裏切るってこと?」
僕がそう言うと、獅童はフッと鼻で笑った。
「あのババアが、そんなちっぽけなことで裏切られたなんて思うタマかよ。むしろ、話はもうついてるぜ」
「えっ!?」
「協会に潜り込んで、中からブチ破る。
瑠璃宮艶華もその計画の協力者だ。
最初に言ってたろ、師匠はスピの介が大嫌いなんだとよ。嫌われすぎだろあのオッサン」
艶華さんのあの底の知れない笑みを思い出す。
彼女がそこまで味方として動いてくれるというのならも、確かに心強くある。
「一度中に入りさえすればこっちのもんだ。
俺のハッタリと!
お前の目!
それを武器に獅子身中の虫となって奴らの懐から一気に食い荒らし、駆け上ってやる」
獅童は立ち上がり、窓の外に広がる都会の景色を見下ろした。その視線は、この街のどこかにある一つのビルを捉えているかのようだった。
「見ていろ、枢天城。
お前を必ずその玉座から引きずり下ろし、叩き潰す」
「……うん」
「俺たちの戦いはここからだ!」
「それ打ち切りだよね!?」
「俺たちの次回作にご期待ください!」
「続きをがんばらないと!」
僕たちの物語は打ち切り……ではない。
これからだと思う。うん。




