第十話 霊障の正体
「霊の正体がわかった?」
僕の問いに、獅童は焼きそばパンの最後の一口を飲み込んでから、こともなげに頷いた。
「ああ。お前の感覚は正しかったぜ、祐介」
「え……?」
「昨日の夜、お前を家に帰した後、俺はもう一度あの家に行ったんだよ」
「一人で!? 危ないじゃないか!」
思わず声を荒らげると、獅童は「心配すんなって」とひらひらと手を振った。
「俺はお前みたいな霊感は無い。普通の体質だ、件の一ノ瀬嬢と同じでな。
つーことはいくらやばくても、一晩過ごした程度でどうにかなることはないってことだ」
さらりと言ってのけるが、それはつまり、僕を危険から遠ざけるための配慮だった。
確かに僕はいない方がよかったのだろう。
「それで、一体何が……」
「まあ、座れよ。長くなるぜ」
獅童は僕を隣に座らせると話し始めた。
「俺はあの後あの家に行って調べた。
霊じゃないなら原因は何だ、ってな。
ガイガーカウンター、ガス検知器、電磁波測定器、音波測定器……考えられる可能性を一つずつ潰していったんだ。
放射能、異常なし。
ガス漏れ、無し。
電磁波、正常。
だけどひとつだけあったぜ、異常数値」
「それは……?」
「音波測定器……。特に、人間の耳には聞こえない領域の音――インフラサウンド、つまり『低周波』だ」
低周波。
僕はその言葉を頭の中で繰り返した。
あの、脳の芯を直接かき混ぜられるような、言語化できない不快感の正体。それは、悪意や怨念といった霊的なものではなく、ただそこにある「音」だったというのか。
「でも、どうしてあの家だけで? 発生源はどこなんだよ」
「いい質問だ。
もちろん、それも突き止めた。最初は、近所の工場とか、大規模な空調設備とか、そういうものを疑ったんだが、どれも違った。
周囲にそれらしき音を出す施設も無く、近所の住人が四六時中重低音の音楽を鳴らしているわけでもない」
獅童はスマホの画面に地図アプリを開いた。
航空写真モードで表示された地図には、一ノ瀬さんの家が中心にあり、その周辺の地形が映し出されている。彼は二本の指で画面を広げ、地図の範囲を広域にしていく。
「そこで目を付けたのが、これだ」
彼が指さした先には、一ノ瀬さんの家から数キロ離れた山間部に、巨大なコンクリートの建造物が映っていた。
「ダム……?」
「ああ。ダムが放水する時、その膨大な水のエネルギーは、地面や空気を伝わる巨大な振動、つまり低周波音を発生させる。
だが、普通は距離が離れれば減衰するし、人体に影響を及ぼすほどのものじゃない。周波数的にもな。
あの家だけが、あんなにひどい影響を受けるのはおかしい」
「じゃあ、ダムだけが原因じゃないってこと?」
「その通り。もう一つ、要因があったんだ」
獅童は地図をさらに拡大し、今度は一ノ瀬さんの家とは逆の方向に指を滑らせた。そこには、特に目立った建造物はない。ただ、緑豊かな土地が広がっているだけだ。
「ここには何もないように見えるだろ? だがな、最近の市の地質調査で、この辺り一帯に、これまで知られていなかった大規模な地下水脈が発見されたんだ。
自然要因か、あるいは近年の無計画な開発のせいか、ここ数年で流路が大きく変わったらしい」
「地下水脈……」
「ああ。そして、その地下を流れる膨大な水の流れもまた、微弱な低周波を常に発生させている。
……もう、わかるか?」
獅童は、地図の上に二本の指を置いた。一本はダムに、もう一本は地下水脈の上に。そして、その二本の指を、ゆっくりと中央に動かしていく。二つの指が交差する、その一点。そこにあったのは、一ノ瀬さんの家だった。
「二つの異なる場所から発生した低周波。
それぞれの音波は、単体では人体に影響を及ぼすほど強くない。だが、その二つの波がぶつかり、互いの山と山が重なり合う特定のポイントでは、波が何倍にも増幅される現象が起きる。
干渉波……ってやつだ」
物理の授業で習った言葉が、頭に浮かんだ。
二つの波が重なり合い、新しい、より大きな波を生み出す現象。
「偶然にも、ダムの放水が生む低周波と、地下水脈が生む低周波が、ちょうど一ノ瀬家があるあの場所で完璧に干渉し合っていたんだ。
それによって、局地的にありえないほど強力な低周波ゾーンが生まれていた。
人間が認識できるような音も匂いも何もない。
ただ、そこに存在するだけで住人の心身を蝕んでいく、不可視の暴力。ガラスを割り、悪夢を見せ、精神の均衡を崩壊させる――」
獅童はスマホの画面を消すと、僕の目をまっすぐに見て不敵に笑った。
「音波で住人を苦しめる、現代の『呪いの家』の完成だ」
「そんな……。じゃあ、どうしようもないじゃないか。ダムを止めたり、地下水脈の流れを変えたりなんて、僕たちにできるわけが……」
「おいおい、諦めるのは早いぜ、相棒」
獅童は僕の肩を力強く叩いた。その瞳には、絶望の色など微塵もない。むしろ、難解なパズルを前にした子供のように、キラキラと輝いていた。
「正体が割れたなら、話は早い。解決策はすでにある。
ここからが俺たちの除霊ターンだ」




