第1話
再臨歴一九八一年、大陸東部
バルバニア公国アルバレスト領、古戦場
脂の染みた扉幕を潜り、男は店の中を見渡した。
身形の手入れはやや忽略だが、体格の良い美丈夫だった。
賑わう客と溢れる匂いに、男はふんわり相好を崩す。
好奇の視線を潜り抜け空いた椅子を見つけると、腰掛け、床に頭陀袋を置く。
思いの外に音が重い。
剣の柄こそ覗いているが頭陀袋に朱布の封を巻いている。
雇兵の類は珍しくないが、男は見目に華奢で厳つさがない。
厚手の馬手袋を外し、エールと串を幾本か頼んだ。
その骨ばった長い指先に見惚れ、店の娘は注文を三度聞き直した。
さては遍歴の騎士殿か。
色めく無言の牽制を先んじたのは赤ら顔の商人だった。
店は行商宿にも程近い。人慣れのした常連の客だ。
「とんでもない」
問われて男は頭を掻いた。それほど気取って見えるだろうか、と困惑する。
「家督も継げず追い出された、ただの世間知らずです」
ご謙遜を、と商人が茶化した。
「場慣れしておられるようですが」
朱布で封した荷に目を遣る。街の中での決り事だが守る者はそう多くない。
「討伐で糊口を凌ぐ身です」
「それは、もったいない」
何がです、ときょとんと返す。
仕官の薦めか豪商の私兵か、それとも荒事以外の如何わし気な商売か。
いえいえ、と商人は慌てて首を振る。
「雇い口を探しておられるなら、アルバレストはいかがです」
そう話の向きを変えた。
「バルバニアの東ですね、大きな野原のある所だ」
「ええ、浄化師の警護隊を募っているそうです」
頷き応えた商人はしかし、公にはなっていませんが、と声を殺した。
「祓魔師も同道するとか」
なるほど、と男は頷いた。
呼び名を濁したが、古戦場跡だ。
三〇余年前、アルバレスト領で大規模な鬼獣討伐戦が行われた。
二万に及ぶ死傷者を出し、進退極まる公国軍は威信を楯に森を焼いた。
鬼獣討伐の禁じ手だ。
例え鬼獣を退けたとしても、地力を失えば国土の利用は適わない。
丸裸の山野は保水も成らず、以来長きを荒野として放置された。
土地には今も亡霊の類が縛られている。
「ただね、あそこの浄化が始まるなら、とあたしらも稼ぎを見込んでいます」
国家教会が再開発に踏み切ったとなれば、事業も大きく動くだろう。
浄化の見込みが立つのなら、鬼獣と押し合う国境線より維持が易い。
「亡霊の類は苦手ですか」
「斬れない類はどうしても」
揶揄うような商人に苦笑しつつも、よい話だと男は礼を言う。
「怖いのさえ我慢すれば、むしろ楽が出来そうだ」
「お薦めならばもうひとつ、こちらの串も如何です」
商人はさり気に雇兵の話を切り上げる。
この店は豚を扱っている。仕入れの先が教会と懇意で浄化餌がよいらしい。
それでは、と男が店の娘もを呼び止めた。
自慢の豚を戴けますか、この方の分も。
やはり騎士殿は心得ておられる。
商人の掲げた酒器を合わせ、男は微笑んだ。
「騎士ではないのですが」
そう断わりを入れるところが律儀だった。
暫し他愛ない旅と遍歴の話で腹を満たし、男は勘定を持って席を立った。
「よいお話をありがとう」
席に残った商人に声を掛ける。
「ルフォール神父をご存じなら、いえ、名は変えているかも知れませんが」
男は微笑んで言った。
「ラグナスが行くと伝えてください」
それと、浄化餌の宣伝を梯子で聞くのは脂がきつい。
悪戯に口を尖らせる。
次はお薦めを変えて戴けると有難い。
男は緋色の封を巻いた頭陀袋を肩に掛け、扉幕を潜って街に紛れた。




