第7話
黒い獣が気取られた隙にザビーネは懐に走り込んだ。
足下を這う導管を踏み跳び、手近の獣に切っ先を突き入れる。
顔のない頭を刎ね飛ばす。
髪を模した影が揺れるや、破裂した。
咄嗟に黒気を躱したものの、掠めただけでも炙られるようだ。
鍵爪を払い、前肢を裂く。見目も滑りも蛭の腹のようだ。
怖気つつも蹴り避ける。
ザビーネの身体や手にした剣は、ぬるりとしながらも手応えがあった。
二つに割れた黒い獣は恐らく幽世に脱皮した。
身体は恐らく瘴気の塊。本体は星辰態だ。
だがザビーネは何故か触れる事ができる。こんな事は初めてだ。
不意に得も言われぬ不安に駆られた。
思わずザビーネがラグナスを目で追う。
押し寄せる腐鬼の前にひとり立ち、ラグナスは拳を振るっている。
頭を砕き、足を砕いて蠢く腐肉の塊に変える。
異形に堕ちたのは共に同じと加減も容赦もなく滅する。
だが、泣いている。
振るう拳のひと薙ぎごとに彼の慟哭が耳を打つ。
哀しくて辛くて見るに堪えない。その背にザビーネは呻いた。
ラグナスが微かに蹈鞴を踏んだ。
自身の腹部に爪を立て、仮面の下の餓えた呻きを噛み殺す。
此処は余りに死が多過ぎる。
ラグナスに植えられた異端の神像が彼の正気を蝕んで行く。
いっそ正気でなくなれば。
ラグナスはきっと楽になる。
命を喰らう魔物に成り果て、血肉に溺れて世界を滅ぼす災厄になるだろう。
ならば自分は真っ先に。
喰らいたい。喰らわれ果てたい。
ぞわり、とザビーネの項が逆立った。身体を焦燥の蟲が這う。
石碑を間近にしたせいか、心が何かに引き摺られている。
アデリーヌ、あの魔宴の夜に理解が及んだ。
あれは歪んだ情欲だ。欲望を憑代に降りた何かだ。
黒い翳りに我に返り、ザビーネは身を捩って一撃を躱した。
もう一体が間近に迫る。
剣を払って腕を断ち、円弧の勢い脚を捩じり込む。
黒い身体が滑り飛び、壇や機材を押し流す。
爆ぜた幾多の床石が、古びた漆喰よろしく割れ跳んだ。
蜿蜿長蛇の導管が足首に絡み、ザビーネが態勢を崩した。
咄嗟に手を突き身体を支えた先は、黒い石碑だった。
身体が石に沈み込む。
漆黒の鏡面に自分を睨んで、必死に床を掻き毟しった。
辛うじて腕を引き抜くも、石碑に映る姿に見入る。
ザビーネと見悶える黒い獣が二体。奥には無数の淡い灯の群れ。
振り返る。
少し離れて腐鬼を阻むラグナスの姿は、石碑の中になかった。




