第4話
その異変が起きたのは、陽も傾いた旅程の終盤だ。
路は街道と名ばかりの田舎道、客車の揺れも増えていた。
隘路の振動が不意に止み、警護の騎馬が隊列を変えた。
御者台で言い争いが生じたかと思うと、声が途絶えて血臭がした。
音と匂いにそれを察したのは二人だけだ。
無言の怒りに目を細めるラグナスに、ザビーネは気遣いの一瞥を投げた。
その上で、自身は皆と同じように怪訝そうな振りをする。
警護隊の一人が客車を覗き込み、降りるようにと促した。
乗り合い馬車の車輪が壊れた。ここから徒歩で行くと言う。
事実であるなら、選択は正しい。
距離と時刻を勘案すれば、修理をするより徒がよい。
皆は警護の騎馬に囲われ歩き出した。
御者は馬を解いている。後から追う、と警護隊は彼を見せもしない。
皆がおかしいと気づくまで、そう時間は掛からなかった。
掲げた燈でも路が異なるのは分かる。
とは云え、疾うに手遅れだった。
警護隊は本性を現し、威嚇を以て皆を追い立てた。
抵抗する者も勿論いたが、雇兵は暴力に躊躇がない。
ラグナスがさり気に間に入り、矛先を逸らして事なきを得た。
今はまだその時ではない。
向かっているのは山裾だ。教会の定めた禁足地がある。
二人の予想の内だった。
不意にザビーネは胸を抑えた。
『それ』がある。何故か我は身が知っている。坑道都市の折れた碑ではない。
魔宴の夜の黒い碑だ。
気付いたラグナスに首を振る。
何故分かるのかは解らない。
それを自分でも言葉にできなかった。
鬼獣の棲処に路があった。それも相当に均された馬車路だ。
人目を躱したのは境目だけで、あからさまに拓かれている。
先には、半ば岩場に埋もれた遺跡が口を開けていた。
年月に溶けた巨大な伽藍洞に、質の異なる石組みが嵌められている。
人の目線に収まらないほど、巨大な石室の連なりが奥まで続いていた。
遺跡は広く燈は少ない。
後から設えられたのだろう。組み付けられているのは街にさえない設備だ。
巨大な蒸気炉が幾つもあって低い音が足下を擽ぐる。音はじき無意識に消えた。
皆は拵え付けの牢に入れられた。
しかも幾つも牢がある。他にも囚われの人がいたらしい。
恐らくこの部屋のように、消耗品の如く詰め込まれていたのだろう。
雇兵は錠を確認するや、早々に姿を消した。
歩哨も見廻りも何もない。端から逃亡など考慮していなかった。
ザビーネは半ば呆れていた。
これほどのものを揃えるのだから、足跡を辿られても仕方がない。
むしろ形り振り構わず、といった空恐ろしさがある。
気付けばラグナスは牢の具合を確かめている。
荷物は全て奪われたが、元より大事な物はない。
咳払いひとつで誤魔化す内にラグナスは素手で扉を捩じ切っていた。
「サイクは近く?」
ザビーネが問うとラグナスは頷く。
あれは人語を解すると云うよりラグナスと意識を共有している。
性格はまるで違うが、別の手足に近いものだ。
「あたしはこの先を探ってみる」
ザビーネの剣は細身で軽く外套の内に抜い入れている。
「焦ってはいないか?」
見透かされていた。
ザビーネは不意に抱き付いてラグナスに頬を擦り寄せた。
「大丈夫」
きっとこの先に過去がある。いまさら隠そうとは思わない。
独りで挑むつもりもない。二人の道行きはこれからもひとつだ。
唖然とする目線に照れつつ、ラグナスはザビーネに言った。
「皆を逃すが穏便には済まない、隙があるのはその折りだ」
彼はむしろ囮のつもりでいた。
少し呆れはしたものの、ラグナスならば可能だろう。
折しも兵装を運ぶ雇兵が通り掛かった。
ラグナスが扉に足を掛ける。
爆ぜた金属音が通路を払った。
外れて飛んだ扉ごと雇兵は壁に押し潰れている。
ラグナスは平然と振り返り、皆に互いを助けるよう告げた。
「貴方が僕を信じる限り、誰一人此処に残しはしない」
朗と響いたその声は疑念さえも抱かせなかった。




