第3話
壁に感じる蒸気炉の振動、轟々と風を取り交ぜる換気音。
冷えた岩肌が醸す蒼さに、饐えた腐臭と薬の酸気が混じっている。
広い円蓋の石室があり、底には黒い石碑が佇む。
それは歴史の前から在った。
目覚めさせたのはギルーク・メッサーラだ。
縁から見下ろす先の底、石の舞台に点る灯が闇に吸われて黒々と淀む。
浅い擂鉢の中央にあるのは、涜神の先達が造った冥界ノ門だ。
手前に置かれた迎えの壇に漏れ出た闇が蹲まっている。
今この鍵があればこそ。
石碑に過ぎないその遺物は冥界の門へと至らしむ。
メッサーラの家の本来は顔を欠いた女人の像だった。
御使いを模るものではない。有史以前の異端の遺品だ。
それが秘されていたからこそ、ギルークは魔術師の魂と地位を得た。
ただノウムカトルの儀で為したそれを、まだ成功とは言い難い。
シルベルト・クラウザの第四階梯の顕現、それにも遠く及ばない。
それでも彼はこの鍵を得た。
第四階梯の神子は司祭を刻み、抜け殻を残して帰還した。
あの司祭に御しきれなかったものを、彼は眼下に維持している。
第五階梯に配する二つの眷属、その二神の混成態だ。
あれは人の身に執着が強い。
知性こそないが、血肉の汁を喰らって生き永らえる。
あれがギルーク・メッサーラに神子を呼ぶ。
そもノウムカトルの失敗は、先達と招いた筈のシルベルト・クラウザが原因だ。
自身の鍵を失くした司祭は、他の冥界に興味がなかった。
むしろ冥界ノ門の秘蹟を単なる道具と見做していた。
世界の狭間に物質を捕らえる、只の装置だ。
魔術師が究極から目を逸らしたならば、最早俗世の技術者でしかない。
シルベルト・クラウザは堕ちた。
むしろ眼前の本物の魔術師に嫉妬と敵意を抱いていたに違いない。
故に、あの儀は失敗した。
ギルーク・メッサーラに残されたものは少なかった。
砕けた冥界ノ門。変質した鍵。喰い荒らされた贄の四肢。
生き延びた贄もいたにはいたが、あろうことか身籠っていた。
齢を絞って生娘を集めたつもりが、とんだ誤算だった。
生かされてはと危惧したが、篤い信心が幸いした。
鬼獣に穢され孕んだと説けば、容易に処置の建前を得られた。
儀は秘されねばならない。
探求を成さねばならない。
その為ならば領主の地位さえ代替を供与され続ける。
冥界ノ門の代替が難航する中、ひたすらに鍵を維持し続けた。
現存するそれは有限で有用。各地の所有者は割り当てられている。
中には棄てられた碑に手を出す弟子さえいた。
南の果ての権利を得る為、ギルーク・メッサーラは私財と我が身を費やした。
その復旧は困難を極めた。
鍵の維持と儀の準備には多大な手間が必要だ。
積み上げた血肉の嵩はこの石室にも収まらない。
ようやく先が見えた頃には、ノウムカトルの顕現から十年を経ていた。
今、冥界ノ門は星辰界を映している。
眷属を混じえた鍵は、じきに第五階梯の神子を迎えるだろう。
物質化に要する血肉の素材、道筋を照らす幾多の霊子。
それらを肥える程に注ぎ込み、後は時を待つだけだった。




