第1話
再臨歴一九八〇年、大陸南東部
ドワールフォート公国、ダントリク領
買い出しの荷を卓に置き、ザビーネは窓を開け放った。
ほんの少しの高台だが思いの外に景色が良い。
風に潮の匂いがした。
辿り着いたドワールフォートは大陸東南の端にある。
半島そのものは先細りで、外海に向いては切り立つ縁だ。
ダントリク領はその内海に面し、海と山裾の二つの顔があった。
二人の目的は東の裾野だが、拠点は海側で正解だった。
保養区画が整備されている。
此処も旅客を扱う宿だ。頼んだ清掃も隙がない。
整えられた寝具に目を遣り、置かれた花にザビーネは赤くなった。
少し、気が利き過ぎてもいる。
昨夜の感覚が脳裏を掠め、身体に焦燥の蟲が這った。
打鍾に震えて意識を散らし、抱擁に圧し溶け雫に果てる。
所構わず求める日々は、落ち着きこそすれ飽きる気配がない。
花を手に取り、はにかみ笑う。
先に帰り着いたのはザビーネだ。見せる相手はまだ戻っていない。
水差しを探して、ふと壁に掛けられた鏡に見入る。
見慣れたせいもあるのだろうが、二人の見目はほぼ変わらない。
それでも出遭ってもう三年、四年に近い。
ドワールフォートは当初のザビーネの目的地だ。
追うのは故郷ノウムカトルの元領主、ギルーク・メッサーラ。
この地の地方領主に返り咲いたと聞いてから、もう五年になる。
それを目指して半島を南下し、彼と出会った。
彼が追うのは秘密の標で、その多くは禁足地に位置していた。
その探索、怪異との遭遇、理不尽な支配への反逆が後の二人の遍歴だ。
復讐の旅路は長く、道行きはまだ短い。
此処で二人が終わる筈がない。
今ではザビーネもそう確信している。
紆余曲折は様々にあったが、こうして底のない蜜月に溺れている。
奪われた筈の人生は幸福に埋められ余りあった。
ふと、鏡の中に目が合った。
唇に花を寄せた女が内側からザビーネを見つめている。
そう、だからといって悪夢は止まない。
ザビーネに圧し掛かる黒い獣は十二人の貪られた少女に姿を転じた。
マルゴ、シュゼット、アデリーヌ、同じ里の娘がザビーネの手を引く。
ことアデリーヌはいつものようにザビーネの背に半身を隠して復讐を囁く。
後ろ手に指を絡め、ザビーネの項を凝視している。
ザビーネが幾倍の幸せを得ようと皆の人生は奪われたままだ。
ならばこそ、復讐は果たされねばならない。
弥増す悪夢はザビーネに課された責任であり、呪いだ。
ザビーネは館の姐衆にそう聴かされて育った。
女は生まれながらに魔の術を知っている。我が身にさえも儘ならない呪だ。
それは解けない。呑み下すしかない。
彼もまた、そうだ。
ザビーネは靴音に我に返った。今更それを聞き分けるのは造作もない。
ラグナスだ。
鏡を睨み返し、切り替える。
魔宴の夜から幾年を追ったギルーク・メッサーラの影は近かった。




