慟哭
再臨歴一九八〇年、大陸北部
イズラエスト公国クレチアン領、大森林
砂霧のように朱に煙る。
被検体の両の手は肘まで血に塗れていた。
周囲に伏した強化人獣は貴重だ。だが被検体に優るものではない。
ガフ・ヴォークトは悦に入る。
ラシキ・マンサールは良い種を残した。それが悍ましい手段であろうとも。
雪の原野の其処彼処に幾多の朱い破壊痕が穿たれている。
周囲に置いたガフの眼は、佇む被検体をあらゆる方向から凝視していた。
事実上失脚したリリウム・ファリアより計画を継いで五年余り。
ガフ・ヴォークトは遂に師と呼ぶ二人を凌駕した。
彼の被検体は完全だ。
三四号の仕様には沿うが、根幹が違う。
制御のできない魔像に依らず、人獣の強靭な肉体が強化を極めた。
三五号は唯一無二の個体だ。
最後の性能検証を『お披露目』できないのが残念なほどだ。
〈黒司教〉の嫌悪はそれほどに強い。
せめて〈修道女〉には見せたかった。
朱く染まった雪原は、さぞや彼女の好みでに合っただろう。
制御を解いた強化人獣の逃亡。
追跡し、抹殺する三五号。
今まさに、彼は最後の一体を仕留めた。
洗脳検証にも沿う獲物だった。それを躊躇いなく殺して見せた。
不意にガフ・ヴォークトの歓喜が途切れた。
無線霊信器に繋がれた眼が乱れている。
クスト・ルフォールの幽鬼は遠い。星辰界の雑音は別のものだ。
ガフ・ヴォークトは知り得なかったが、その原因は遥かに遠い。
尾根伝いに大きく西方、エピーヌ連峰はヌヴィル大山にあった。
妖精眼は星辰波の影響を大きく受ける。
本来の所有者を離れた為だ。
ことさら死の多い環境では彷徨う魂が騒音を招いた。
勿論、常時でさえあれば地上の距離に影響を受けない。
微細な物質の操作も可能だ。
三五号の完成は、その微細な神経接続なしには為し得なかった。
唐突にガフの眼が復旧した。
朱い雪原の只中に、それは人獣の亡骸を抱えて蹲る。
被検体三五号は動かない。
怪訝に思う間こそあれ、三五号は震えて人獣の喉元に深く顔を埋めた。
牙持つ黒い髑髏の面が血の泡に濡れて咆哮を上げた。
ガフ・ヴォークトは鼻を鳴らした。
獣の衝動が強く出た結果だ。こればかりは強い抑制に及べない。
本能は戦闘力に直結する。とはいえ捻じれた衝動は知性を下げる。
三四号のような狂乱は、再び〈黒司教〉の不興を招きかねない。
三五号にその轍を踏ませる訳にいかなかった。
相応しい舞台を用意し、認めさせねばならない。
ガフ・ヴォークトは物言いたげなクスト・ルフォールの目を思い出した。
手配師に相応しい仕事だが、今は現場の処理を任せる。
ガフ・ヴォークトは眼を通じて被検体に帰投を命じた。
三五号が血塗れの顔を上げた。
髑髏を模した兜は血に塗れ、血涙の如き滂沱の跡を残している。
こと切れた人獣を抱いたまま、彼は音もなく立ち上がった。
ガフ眼に向け、感情の一切を欠いた冷えた視線を投げ返した。




