第9話
荒れた海の名残りの波が係船岸壁に間の抜けた音を立てていた。
沖に届かぬ灯りを掲げた幾多の好奇の群衆を擦り抜ける。
馬は突堤に歩いて行く。
つい先ほどとは形も違う。歩調も何やら気が抜けている。
背には燈を掲げた二人、ザビーネとマリエルの姿があった。
すわ、暴れ馬かと人通りに騒動があったのは先の事。
まだ夕陽が少し残った頃の事だ。
齧り蹴倒す馬が勝つか、次々飛び掛かる無表情な男たちが取り押さえるか。
騒ぎを取り巻く観衆は半ば見世物を観る風情だ。
馬の撥ねた男の異相に驚く者も、確かめようとすれば男は消えている。
遂には若い娘が二人し、手綱を押さえて鞍を乗っ取った。
そのまま通りを駆け抜けて行く。
あちこち捻じれた男たちが縺れるように追って行った。
その折だ。
港に雷鳴が轟いた。
通りを抜けたサイクの鞍でザビーネとマリエルが海に目を遣る。
追手が一斉に棒立ちになり、勢い余って丸太の様に転がり過ぎた。
閃光と雷鳴の後に雲が生えた。
突風が出店の幕を剥ぐ。
「ダリル」
マリエルが名を呟いた。
転げた追手が身を起こした。
ザビーネが身構えるも、彼らは一斉に港を目指す。
血迷った鼠の如く次々と荒れた海に飛び込んで行く。
不意にサイクが身震いをした。
尻の下が形を変えて目線の高さが跳ね上がる。
振り落とされかねない勢いにマリエルがザビーネにしがみ付く。
朱く変じた鬣と真白に抜けた毛並みを垣間見た。
「口を閉じて、舌を噛むよ」
ザビーネの声に驚くも、空に落ちるような感覚に竦んだ。
マリエルはザビーネの背にぎゅっと顔を押し付ける。
気付いた時は港にいた。
豪雨の中を潜ったのが夢の様だ。
サイクもやはり重そうな馬体のままで、のんびりと突堤に歩いて行く。
ザビーネに請われて荷にある燈を点けた。
二人翳して港を行く。
手綱を取る筈のザビーネのそれは、何故か形ばかりに見えた。
むしろサイクが勝手に歩いて行くように思える。
不意に立ち止まった。
防波堤の縁まで伸びた突堤の近くだ。
通行止めの標識が端の方に寄せられている。
湾の様子を確かめようと野次馬と衛士の燈が追い越して行く。
それとは逆向きの二人連れが馬上を見上げた。
「こんな美女を放ったらかして、海水浴とはいい気なもんよね」
呆れたザビーネの声が責める。
掲げた燈の中、ずぶ濡れの美丈夫と肩を借りて歩く少年の姿があった。
ダリルだ。手には握り拳ほどの金属球を大事そうに抱えている。
「言った通りでしょマリエル、また勝手に変な事に首を突っ込んで」
ダリルが困って美丈夫を見上げる。
彼は説明に口を開き掛け、言葉の前に諦めた。
ザビーネがふん、と鼻を鳴らした。マリエルを振り返る。
「厩の水場で構わないから、こいつらまとめて洗っちゃおうぜ」




