第6話
「ゴメンね、部屋まで上がり込んじゃって」
扉の向こうの気配を確かめ、ザビーネはマリエルに言った。
無闇にダリルを探すより拠点を置く方が賢明だ。
そう判断しての小休止だ。
勧められるまま卓の椅子を引き、ザビーネはマリエルに目を遣った。
彼女が腰掛けたのは、ひとつきりの寝具の端だ。
目敏くそれに気付いたザビーネが唇の端を吊り上げた。
「弟くんと一緒に寝てるの?」
ダリルは寝ないので、とも言えない。
返事に窮してマリエルは赤くなった。
「込み入ったコト訊いていい?」
「だめです」
「だめかー」
口を尖らせザビーネは卓に突っ伏した。
「言ったっけ、あたし薔薇の修道院にいたの」
「薔薇の修道院?」
マリエルがきょとんと訊ねて返す。
「娼館の事ね」
しょ、と耳まで朱に染めるマリエルを、気にした風もなくザビーネは続けた。
「下働きと用心棒」
あたしは客を取らせて貰えなかったからさ、代わりに剣を仕込まれたの。
歳下の、仲の良い子にマリエルみたいな大人しい可愛い子がいた訳よ。
でもね、あたしが客を取れないのをいい事に、あれの話をやたらとするの。
腕っ節じゃ勝てないけれど、あっちの方はずっと上、みたいな感じでさ。
マリエルは完全に茹で上がっている。
「卑怯だよねえ」
悪戯な猫のようにザビーネは微笑む。
微笑みつつ、微かな胸の痛みに目の隅を顰めた。
マリエルの、薔薇の館の娘の向こうにアデリーヌが見える。
人の形さえ残らなかった小さな友人だ。
見目も生き方も違うのに、気付けば傍にはアデリーヌに似た娘がいる。
まるで、どう生きるかさえ選べなかったあの娘を追い掛けているようだ。
これも呪いのひとつだろうか。
そして、彼にもあるのだろう。そんな呪いが。
目線を逸らすマリエルに我に返る。ザビーネは獲物で遊ぶ猫の目になった。
「ねえ、弟をどうやってその気にさせるの」
囁くように訊ねる。
「させてません」
声を上げ、マリエルは頬に血を登らせた。耳の先までちりちりと焦げる。
そんなのは想像した事もない。
ほんの少しだけしかない。
「どうするのよう、教えてよ」
甘えた声にマリエルは頬を膨らませた。
「知りませんったら」
満室なんです、本当です。
戸惑う宿屋の叫び声が廊下に聞こえた。
ザビーネの表情が一変する。
扉を薄く開けて覗くや、すぐさま閉じて錠を掛けた。
口に指を当てたままマリエルを誘う。
窓に手を掛けて階下を覗いた。
「二階ですよ」
声を殺してザビーネに囁く。
言葉も半ばにザビーネがマリエルを抱えた。
路上の隙間に飛び降りる。
巡る視界と宙を浮く感覚にマリエルが息を呑む。
焦点を探ると通り掛かりの行商と視線が合った。大きく丸く目を剥いている。
ザビーネに縋って地に立つも脚が震えた。
「ごめんね、撒き切れなかったみたい」
見上げれば、窓から突き出す無表情な顔がある。
二人は手を繋いだまま駆け出した。
背中に飛び降りる気配があったが、マリエルに振り向く余裕はない。
宿の扉から飛び出す影に首を竦めて必死に走る。
今度はいったい何人いるのか。
ザビーネは流れるように人の波を抜ける。
手を引かれたマリエルは踊るように走る。
それでも追っ手はまだ増えている。
ザビーネは、この人混みに剣を抜くのを躊躇っていた。
とは云え相手はお構いなしだ。最早人目を引くのを厭わない。
いよいよならば、と覚悟を決める。
その折りだ。のそりと横から馬が現われた。
二人に手を伸ばした追っ手を無造作に撥ね飛ばす。
避けようとした後続の頭に瓜の如く齧り付いた。
「サイク」
ザビーネが驚いて声を上げる。
馬はふん、と鼻を鳴らして、咥えた男を二階屋の上まで放り投げた。




