第1話
再臨歴一九六六年、大陸中央
カルマンカード公国オージェ領
オベロンは、もう十六になる。
使いの先の工房でいつものように管を巻く。
相手は偏屈、愛想は皆無。
機械職人のガスパール・サンクは、壁の染みほどにもオベロンを構わない。
居座るオベロンを掃うのさえ飽きた様子だ。
そのくせ、茶くらいは出しもする。
オベロンが勝手に淹れるだけだが。
手先が器用なおかげもあるが、どういう訳かオベロンは偏屈な爺と馬が合った。
勤めが明けたら雇っておくれよ。
と、そんな下心も無くはなかった。
そも、教会務めはオベロンの性に合わない。
シルベルト・クラウザ司祭も気に入らない。
娘のユミルはそうでもないが、捉え難さを云うのなら司祭の遥かに上手だった。
なので、大聖堂は居心地が悪い。
オベロンは他に身寄りがなかった。
ただ抜群に見目がよい。
知恵もそこそこよく回る。
商家に引き取られたのは十二の頃だ。
美貌のうえに要領がよく、皆に重宝された。
商家の息子に追い出されるまでは。
その後は街の根無し草だ。
巷で噂の人攫いも跋扈するなか、オベロンは十四の歳まで独りで生き延びた。
窃盗、詐欺、男娼と何でもやった。
自前の美貌と知恵は大いに役立った。
オベロンの先が怪しくなったのは、街なかで一台の馬車と擦れ違ってからだ。
ユミル・クラウザが乗っていた。
大聖堂の司祭の娘だ。
歳の頃は十六、七。
だが大聖堂に移ったのは近年だ。
それまで司祭に娘がいる事すら知られていなかった。
絵に描いたような深窓の佳人。
そんなユミルに見染められ、オベロンはほどなく大聖堂に引き取られた。
司祭の下働きで、ユミルの世話係になった。
食うに困らない。
仕事にも危険がない。
ユミルが嫌な訳でもなかった。
むしろ逆だ。
彼女は物静かで喋らない。
何を考えているのかも分からない。
いつもオベロンが一方的に話し掛ける。
もっとも、それはガスパールも同じだ。
ユミルの沈黙は重くない。
むしろ心地がよいくらいだ。
猫をあやすように心を撫でられている。
そんな気分だった。
「あれは、よくない」
不意にガスパールが言った。
珍しく口を開いたかと思えば。
「こんな所に引き籠ってる癖に、爺さんユミルに会った事があるのか」
ガスパールに口を尖らせる。
親爺はむっつりと目を逸らし金床を向いた。
この愛想で工房に客が絶えないのだからガスパール・サンクは始末に負えない。
職人肌だが芸術家。探求心は若手にも勝る。
だが、そんな気質の捩じれた先がシルベルト司祭だ。
ガスパールは司祭の得意先だった。
「あの眼には嫌なものが混じっている」
「むしろよくないのは司祭さまの方だろう」
オベロンは勝手に茶を啜る。
あれは娘に過保護が過ぎる。
傍にいるオベロンを目の敵にさえする。
こんな郊外に通わせるのも、娘から遠ざける算段のひとつではないか。
そう疑っている。
しかも日々募らせる黒々とした澱は、目に見えて積もって行くようだ。
いっそユミルを連れて逃げようか。
そんな気さえ起きるほどだった。