第3話
ダリル・カデットは当てもなく駆けた。
『何処でもいい』の詳細が欲しい。
『此処から逃げて』の理由があれば、なお行動にも候補が絞れた。
ところが彼女は既に背を向け、問いに答えてくれそうもない。
このまま確認に食い下がるより、彼女の否定が行動の上位だ。
マリエルを傷付けてはならない。
身体的にも情緒的にも。だがダリルには、その加減が分からない。
彼女を紐解くのは難解だ。しかも論理が入り組んでいる。
マリエルの言葉は曖昧で、考慮すべきは広範囲に及ぶ。正解も常に変動した。
混沌に理解を割くせいで、ダリルは常に迷っている。
とは云え彼女の常に言う『常識の並列処理』が不完全なのは本末転倒だ。
思索の為に立ち止まり、ダリルは辺りを見渡した。
街の外れだ。
駐馬の厩舎も遠くに過ぎて、目の前には用水路があるだけだった。
先に見える森は格子越しだ。
向かいの土手に連なったそれは、鬼獣除けの柵だろうか。
人けの少なさを再認識すると、手の強張りが順位を上げた。
偽血が乾いて糊のようだ。マリエルに貰った指抜きも硬くなっている。
橋の袂、掘り下げられた洗い場を見つけた。
洗う指抜きは関節保護の為だ。
マリエルにはそう言われたが、生体素材の耐久性には余り影響がない。
戦闘時でも許容範囲だ。復元性は人の皮膚の比にならない。
彼女の勧めは実用性がなかった。身に着けるものは特にそうだ。
実用性はないがマリエルが喜ぶ。
だがら、命令ですらないそれをダリルは頑なに守っている。
条理殻の不完全さ故か。もしくは、完全さに故に因るものか。
当のダリルにも解らない。
逃走再開の行動基準を思索しながら、ダリルは洗い場の階段を上る。
鬼獣の境界を越えるかどうか、それが判断のしどころだ。
不意に目の前に馬が鼻面を突き出した。
ダリルと顔を突き合わせても、避けもしないし下がりもしない。
ダリルを邪魔だと言いたげに半目で睨んで嘶いた。
怠惰で不遜で太々しい馬だ。
「道を空けろサイク」
そう呼ぶ声に馬は下がった。不承不承が見て取れるほどだ。
「僕の馬がすまない」
男が言って綱を取った。ダリルが少し見上げる長身だ。
通り過ぎようとすると、声を掛けられた。
「街の方から来たように見えたが、よかったら案内をして貰えないだろうか」
困ったように頭を掻いている。
「連れと逸れてしまってね、宿を探す筈だから宿場街の場所が知りたい」
立ち止まり、ダリルは男をきょとんと見上げた。
「この街に宿泊所は七三軒あります」
記憶した情報を読み上げる。
「厩があって」
「三二軒です」
「食事ができる」
「十八軒」
男はダリルに更に訊ねた。
「飯が旨いと良いのだが」
ダリルは咄嗟の返答に窮し、脳裏を探る。評価の情報はひとつしかない。
「マリエルが美味しいと言った所なら」
「素晴らしい」
男は笑ってダリルの手を取り、身を屈め声てを落とした。
「ところで、後ろの幾人かは君に関心があるようだ、知り合いか?」
言われて探る。人を指すなら七人だ。二人を遠巻きに囲んでいる。
いずれもダリルに目を向けていないが、先程までは居なかった。
ダリルが否定に頸を振ると、男は小さく頷いた。
「その宿まで案内しくれないか」
言って男はダリルを促した。明確な肯定をしないままダリルは連れられて歩く。
「こちらは馬連れだ、少し遠回りしになるが構わないか」
ダリルはマリエルの命令を勘案しようとした。
遠巻きの人影が動きに同調している。ダリルが焦点にあるのは明確だ。
知り合いではないが、追跡者だ。
ダリルが男を見上げると、彼は応えて微笑んだ。
「まだ名を言っていなかった、僕はラグナス」
「ダリル・カデット」
身元が不確かなのはお互い様だが、とラグナスは手綱を寄せた。
「サイクに乗ってみたくはないか」
呼ばれた馬が億劫そうな目を向ける。
「見掛けに依らず疾いんだ、こと面倒事からの逃げ足はね」




