第2話
拾い物の廃材を無造作に突き出し、ラグナスは蜘蛛の頭を圧し潰した。
長い歩脚を素手で掴み、そのまま奥に投げ捨てる。
壁際には既に幾つもの大蜘蛛の遺骸が積み上がっていた。
痙攣する脚が風に鳴く枯れ枝のような音を立てている。
辺りに動くものがなくなると、ラグナスは背中の燈火を振り返った。
「こちらは行き止まりだ、さっきの辻に戻ろう」
「あ、うん」
ザビーネがようやく我に返る。
剣を収め、籠手に塗れた大蜘蛛の体液を振り捨てる。
手前の壁に寄って行き止まりの徴を付けた。
大空洞が崩落しておよそ二日、二人が皆と別れてからは半日になる。
ラグナスとザビーネは脱出経路を探る、二人きりの先遣隊だ。
外に続く横穴は坑道半ばで断絶している。
滑落した開口付近が辛うじて空隙を保っていたのは強固な鉄扉のおかげだ。
ラグナスは其処で生存者を見つけた。
エクトル司祭と浄化師、手伝いの侍祭だ。
揃って皆と合流したのは、ザビーネを巡って一触即発の折りだった。
豹変したラグナスに毒気も牙も貫かれた皆は救援を待つべく態勢を整えた。
幸いラグナスの辿った経路に食料や備品も見つかった。
場所を選べば当面は凌げるだろう。
あくまで当面は。
実の所、救助の望みは高くない。
いずれ出口は探さねばならない。
ラグナスは先遣隊を名乗り出た。
エクトル司祭の古地図に拠れば、禁足の遺構は湧水排路に重なっている。
近隣坑道の排水は未だ古い主幹を利用しており支線は全て合流していた。
この先に水路が見つかれば地上の浄水施設に至る筈だ。
勿論それは賭けであり、埋もれたとはいえ禁足地を渡る道筋だ。
それでも外に生存者がいる事を伝えられれば、救出の望みは格段に増える。
助けた司祭らに負傷者を任せ、シラスとモイーズに警護を託した。
蟠りしかない彼らだが、互いを支えねば自死しかない。
不安がないとは言えないが、裏切れば見限るとラグナスは宣言した。
その中で、ザビーネは自ら探索への同行を申し出た。
あの様を見てはラグナスも断わり難い。
空気を読んで連れ出したものの、また余計な世話だったかと自問している。
鈍いラグナスにも自覚はあった。
自分の気遣いは空回りが多い。むしろ状況が悪化する事さえある。
それほどに、彼女の態度もぎこちなかった。
崩落に乗じて個人の探索を優先した事に怒っているのかも知れない。
司祭らを見つけたのは偶然だ。ラグナスは自分の荷を探していた。
背負った頭陀袋を見れば一目瞭然だ。
生存者にも気付いていた。自衛くらいはできるだろうと楽観していたのだ。
むしろこの状況で協力し得ないなら生き残るのは無理だろうと考えていた。
とは云え司祭だけでは自衛の手段がない。
横穴を閉め出された恨みはあるだろうが、と連れて行ったのが事の次第だ。
たまたまザビーネの窮地に出くわしたが、また余計な世話をしてしまった。
彼女は強い。剣の腕は勿論の事、心根は遥かに強靭だ。
せめて彼女の身を護るほどには、役に立たねば間抜けが過ぎる。
ラグナスは密かに溜息を吐いた。
そんなラグナスをザビーネは見遣る。
ほんの少し後ろを行くのは視線に気取られない為だ。
あれからラグナスは何も言わない。問いもしない。
慰めならば殴っていたし、忌避するならば付いて行かなかった。
聞かない振りは尚更嫌だ。
ザビーネはその宙ぶらりに苛立っている。
とは云え自分はどうしたいのか、ラグナスに何を言って欲しいのか。
澱のように感情が淀んで濁っている。
くそったれ。
その背中に揺れる頭陀袋を眺め、ザビーネは口の中で悪態を吐いた。
瓦礫で埋まった大空洞は思いの外に歩き易い。
思い悩めるほどには平穏だった。
無論、大蜘蛛は山ほど出たがラグナスが全て排除した。
一人で討伐も為し得たのでは。そう思わせるほどだった。
捻たザビーネがそう言うと、ラグナスは謙遜でもなく否定した。
組織戦では役に立たない。一人の勝手は却って皆に危険が及ぶ。
単にザビーネの腕がよいだけだ。
だから我が身も護れているに過ぎない。
迂遠だが技量を認められ、ザビーネはほんの少しだけ機嫌を戻した。
ほんの少しだけ。
瓦礫の迷路、切り立つ渓谷、屋根のある精緻な空洞。
天蓋の高い崩落跡を縫って抜けると人手の入った天井があった。
古いが厚い石造りの支柱が、あの崩落にも耐えていた。
どうやら大空洞の全域が抜けた訳ではないらしい。
むしろ地盤が緩かったのは横穴の付近だったのだろう。
「これが例の遺跡かな」
ラグナスが平らな岩壁を撫でる。
それは密かに彼自身が目的としていたものだ。
「水路がある」
掌に水音を感じて辺りを探る。少し遠目に燈を翳した。
側溝のある廻廊が窺える。
「それを洗えるのは有難い」
ラグナスはザビーネの手に目を遣った。
厚手の籠手は大蜘蛛の体液に塗れている。
「あたしは別に」
「浄化は無理だが落としておいた方がいい」
気遣うラグナスが鬱陶しく、気付けばザビーネの苛立ちは堰を切っていた。
「聞いてたんだろ、あたしの話」
身体は毒でできている。あたしは薔薇の修道院の売れ残りだ。
ザビーネは鬼獣毒に塗れた両手を掲げ、勢い自らの頬に擦り付けて見せた。
慌ててラグナスが手巾を漁り、子供の鼻でもかむように押し当てる。
「平気なんだよ毒なんて」
手を払われて所在なくラグナスは両手を挙げた。
間抜けだ。
そもラグナスが固まったのは、うら若い娘の頬に勝手に触れた反省だ。
的外れにも程があった。
ただ、どこか呑気なその困惑は当のザビーネにも伝わった。
お陰で空気は余計に微妙だ。
「その、鬼獣毒に耐性のある者は珍しくない」
意を決してラグナスは神妙に呟く。
「いや、珍しいか」
思い直して否定する。
何だそれ。ザビーネが噛み付く。
「僕は一人知っている」
ザビーネの頬を拭った手巾を掲げ、ラグナスは自身の頬を掻いて見せた。
「僕もそうだ」
茫然とするザビーネに、ラグナスは掻い摘んで語ろうとした。
この身体も生まれついてのものではない。
君の苦しみには及ばないが、僕もこうして生き延びた一人だ。
だから、君がこうして生きている事が嬉しい。
例え誰が賤しむとも、僕は君が今生きている事を讃える。
元より言葉を用意しておらず、ラグナスは拙くぎこちない。
ひとり困惑し、中途半端に切り上げた。
茫然とただ竦むザビーネを無頓着に放り出し、ラグナスは歩き出した。
もう少し巧く言えればよかった。
咄嗟の気遣いや粋も出ず、困ってそのまま放り投げてしまった。
我に返ったザビーネが追い掛ける。
暫く無言が続いたものの、ラグナスは思い出して手巾を彼女に手渡した。
今度は受け取って頬を拭く。
「僕の知り合い、というか友達も、たまたま同じ体質だ」
並んで歩くザビーネにそう話し掛けた。
「彼の見分け方は酷かった、料理に鬼獣の肉を入れたんだ」
「何だそれ」
ラグナスを仰いでザビーネが呻く。
「しかも僕はそれを暫く知らずにいてね」
ラグナスは息を吐いた。
「どうやったらそれと同じ味が出せるんだろうって、ずっと悩んでた」
「何だそれ」
同じ言葉を繰り返し、ザビーネは呆れて吹き出した。
「でも、おかげで料理は上手くなったよ、機会があったら御馳走しよう」
「そいつは楽しみだ」
応えてザビーネは笑った。
内心は嵐だ。まだ信じられない。実感がない。
だが、ふと我に返った。
「いや待て、鬼獣の肉なんて食わないぞ」
「案外いけるんだが」
きょとんと真面目に言うラグナスにザビーネは呆れて悲鳴を上げた。
「やめろ、絶対に食わないからな」




