第3話
初撃に射損ねた大蜘蛛がシラスたちに圧し掛かる。
抱え込もうと蠢く蝕肢を辛うじて剣鉈で打ち払った。
だが切り飛ばすには至らない。
ドニの突き出す短槍が鋏角に滑る。蹈鞴を踏んだ。
マルゴが体躯に物を言わせ、頭部に槌鉾を振り下ろす。
幾度も幾度も叩き付け大蜘蛛をどうにか地べたに這わせた。
幾度か滑った槍先が、ようやく頭に突き通る。
蜘蛛が断末魔の身動ぎで盛大に体液を振りまいた。
どうやら先制の弩弓が、逸れて腹を裂いていたらしい。
鬼獣毒を被ったシラスが悪態を吐いた。
腹癒せにドニの尻を蹴り上げる。
大蜘蛛は急所を甲殻に覆われている。
背も脚も肢も硬く、多眼の頭胸部は更に硬い。
腹はましだが、ご覧の通りの毒袋だ。
短期で仕留めるには頭胸部を狙うより他にない。
勿論狙いが確かなら、節の腱には刃も通る。それには腕が必要だ。
ザビーネの対峙した大蜘蛛はそうなった。
剣呑な触肢を早々に落とせば得物の間合いで人が有利だ。
蜘蛛の身震いは方向が読める。
ザビーネは素早く身を躱し、隣のジャサントに止めを任せた。
後列のモイーズが次の矢の弦を巻き終えた頃には終わっていた。
大蜘蛛は反射で蠢く屍になっていた。
見渡せば、ラザール隊長とクレマン、タンカンの組みも片付けている。
その体格の見目通り、力任せに叩き潰していた。
見渡すついでにザビーネは、坑道に燈の竿を掲げる男を見遣った。
討伐班の中では彼女に次いで歳若い。
初日に早々防毒面を外し、皆の失笑を買った若者だ。
名をラグナスと云った。
大空洞の探索は今日で実働一〇日を数える。
保工班は順調だ。
横穴の岩盤が補強され、支保は間を埋めている。
大空洞の開口には、はや鉄の扉が仮止めされていた。
とまれ封鎖の審議が下れば、物理的には完工に近い。
人の行き来が続くなら、封毒と養生にまだ掛かるだろう。
そんな保工基地に警護を残しつつ、討伐班は探索範囲を拡げている。
人の通れる枝道は、まだ幾本も残っていた。
石窟は広く記録は少ない。
其処や彼処に地割れがあって、至る所に竪穴が口を開けている。
そうした理由も相まって、人には最悪の戦場だ。
もし禁足地に踏み落ちでもすれば、助けにも出せない。
討伐に出るのは順繰りで一〇人。
三人ほどが組みになり、残りの一人は燈火番をする。
弩弓で先制、短槍で誘導、剣と槌鉾で脚を折り、動きを緩めて頭を潰す。
こうした戦術はできている。
ただし全てが遊撃戦だ。臨機応変は必須で、常に気を張る必要がある。
燈火番だけは閑職で、これは皆で籤を引く。
岩窟の枝道には常設灯がない。
各自の腰の灯りでは、陰から飛び出す大蜘蛛への対応は難しい。
竿に吊るしたランタンを掲げ、交戦域を照らすのが燈火番の役割りだ。
取り逃がしがなければ危険は少ない。
突っ立っているだけで日当は同じだ。
今日の籤運はラグナスにあった。
「これくらいで引き揚げよう」
ラザール隊長が宣言した。
辺りには一〇を超える大蜘蛛の骸がある。
だがこれからが、もうひと仕事だ。
斃した大蜘蛛を竪穴に落とす。
死骸は鬼獣毒の塊だ。
浄化の手段がない以上、処理は共食いが最善だからだ。
肥えさせるのは不服だが、汚染を拡げない為には致し方ない。
勿論、浴びた鬼獣毒は如何ともし難い。
痙攣する蜘蛛の脚を蹴飛ばすや、シラスはドニの頭を掴んで抱え込んだ。
「このざまを見ろ」
全身に散った大蜘蛛の体液を擦り付ける。
ドニは慌てて面がずれないよう顔を押さえ込んだ。
とはいえ、ザビーネとラグナス以外は皆も大概だ。
叩き潰した大柄の組みなど盛大に体液を被っている。
むしろ、ザビーネの身のこなしが一目置かれる所以だった。
大きく着膨れた抗毒装衣も、浄化瓶に繋げた面も、戦いの邪魔にしかならない。
得物に絡めば命にも係わる。
司祭の言い付けでなければ脱ぎ棄てるところだ。
辺りを照らす薄明かりが揺らいだ。
「せめて片付けくらいは僕も手伝います」
ラグナスが燈を下げた竿をシラスに差し出す。
シラスがドニを放り出した。
ラグナスから竿を奪ったものの、皆の視線に気付いて舌打ちを返した。
ラグナスをひと睨みして竿をドニに押しつける。
「おまえの籤番はこれで終わりだからな」
辺りの陰がゆらゆらと揺れる。
ラグナスは困って頭を掻いた。
不器用な奴だ、とザビーネは思う。
きっと初日の騒動も、こうした気遣いが裏目に出たのだろう。
ラグナスは恐らく三つか四つザビーネの歳上だ。
顔見知りの多い討伐班の中では同じような新参者だった。
彼女と異なり口数は少ないが、決して不愛想な訳でもない。
むしろ物腰は柔らかく丁寧だ。
きっと育ちが良いのだろう。
苦労もせずに生きて来た世間知らずに違いない。
薔薇の館の姐たちならば庇護欲に駆られて貢ぐ類の色男でもある。
とは云え、何かにつけ身を引いて譲るのは気弱に過ぎる。
だからこうして損をする。
ぼんやりとして頼りない男はザビーネの趣味ではなかった。
むしろラグナスは無性に癇に障る。
丁寧さとは紙一重に、まるでこの世の全てを壊れ物のよう扱っている。
お日様のように笑うのに、泣き出しそうな影も差す。
隣のマルゴの視線に気づいてザビーネは慌てて首を竦めた。
無意識に目で追っていたらしい。
一緒に蜘蛛の脚を引きながら、マルゴが彼女を意味ありげに小突く。
「そんなんじゃないって」
ザビーネは口を尖らせた。
マルゴ副隊長は大柄で、二人並べは大人と子供のようだ。
何気にザビーネはアデライトを思い出した。
死骸を蹴落とし辺りを見回す。
奥の岩壁に一見無傷の個体を見付け、ザビーネは思わず身構えた。
殺し損ねと思いきや綺麗に頭を毟られている。
まるで捩じり切られたかのようだ。
目を凝らそうとした折り、岩陰が伸びた。灯りの縁がふらふらと揺れている。
戦闘中は気にならなかったが、吊るした燈火は本来このようなものだ。
視界の悪さは諦めた。
マルゴと蜘蛛を蹴落とすや、待っていた隊長が二人に帰投を呼び掛けた。




