第1話
再臨歴一九七七年、大陸東部
シュタインバルト公国フォルゴーン宗主領
城下の通りは賑わっている。
出歩く市民は勿論の事、新領王の着任を契機に他所の人も増えている。
「あんた、宿のお嬢さんのお使いだろう」
店主と思しき店先の夫人が道行く女に声を掛けた。
相手は二〇歳にならない程の身体の大きな使用人だ。
両手に一杯荷を抱えたまま、デボラは店主を振り向いた。
こくりと素直に頷いて見せる。
容姿はゆるりとあどけなく笑顔は子供のようでもある。
目の不自由な幼い少女と使い二人の三人客は、この通りでも有名だ。
宿は高価な部類だが、主人のラピスは気前よく階ごと上室を借りている。
新侯爵への謁見は予定が多く積んでいた。その待ち客だと思われている。
生憎ラピスが捜しているのは爵位を棄てた男の方だ。
「こいつを持っていきなよ、目に良いんだ」
店主は高く手を伸ばしデボラの抱えた買い出し袋に果実を乗せた。
礼を言いつつおずおずとデボラは街の様子を伺う。
クロエと二人、こうして街の見聞きをするのも仕事のひとつだ。
とは云えクロエほどに口は巧くはない。
ただ拙い語り口が却って話を引き出す類だ。
無論本人に自覚はないが。
そうして話を聞いて回るに、概ねフォルゴーン伯の評判は悪くなかった。
幼少からの王太子の親友、傷めた脚を押しての武勇。
何よりフォルゴーン家外戚のメルシア夫人は民に人気があった。
ただ、今なお民が王太子と呼び示すのはラグナス・フォルゴーンだ。
市井の者の言葉の端には、そうした微妙な感情が窺える。
シュタインバルトは国が古い。成り立ちそのものはランズクレストの以前だ。
封地の管理の血統が伯爵位を得て領王となった。その血脈を繋いでいる。
フォルゴーン伯が血に拘るのも、そうした理由が強くある。
直系のラグナス・フォルゴーンが惜しまれるのも、無関係ではないのだろう。
ただ教会の一部には聖典と異なる国家の出自に反感を持つ者もいる。
異端騒動が拡大した根底には、そうした感情があったのも事実だ。
「そうそう、それでね、年明けの事なんだけれど」
店主は聞き手に餓えていたのかデボラを捉まえ饒舌に語る。
都度持たされた果実も増えて、思いの外の大荷物になった。
デボラが宿に帰り着くと、近所の子らが馬車に集っている。
直轄領で誂えた特別製だ。物珍しいには違いない。
「こら、触ってはいけません」
デボラが寄って声を掛ける。
子供たちは振り向いて空を仰ぐほど首を傾けた。
デボラは大柄だ。丈は大人の男を越えるほどある。
口も身振りもゆっくりだが、笑顔に覗く大きな犬歯は肉食獣を思わせた。
わっと大きな声を上げ、子供たちが走って逃げた。
持って行かせようと下げ見せた果物は見向きもされなかった。
デボラは少し悲し気に口を尖らせ肩を落とした。
だが馬車に子供を近づけるのは危ない。
人目を忍んで帰還したベナレスとファーンに出会さないとも限らない。
仔牛ほどの白狼と、人を抱えて飛べそうな鷹は、きっとデボラより怖い。
逃げ散る背中を見送って、デボラは小さく溜息を吐いた。




