第4話
ラグナスはサイクの許に駆けた。
彼の眼は闇にこそ馴染む。降る雪の音さえ賑わっていた。
破裂した理性を繋ぎ止め、怨嗟の叫びを呑み下す。
メルシアの心音、二つのそれにラグナスは自分を取り戻した。
人であったラグナス・フォルゴーンは死んだ。
だが、皆は生きている。
新たに命が芽吹いている。
護らねばならない。その自由を奪ってはならない。
ラグナスは友に宣した筈だ。
自分は正しさに味方し、自由のために闘う、と。
皆を護る為、愛したものを護る為にこそ、この醜い命は今も在る。
ラグナスの変身に呼応してサイクは姿を変えていた。
被った雪が溶け弾け、白い霞に覆われている。
ラグナスは自身の頬に触れ、サイクに結わえた兜を抜いた。
押し被せ、鬼獣に劣らぬ今の醜い顔を覆い隠した。
兜の内に並び生えた魔導の棘が、肌を骨を貫き神経索に絡み付く。
殴るように顎当を噛み合わせ、喉を這い上がる咆哮を噛み殺した。
兜の縁から流れる血が頸を朱く染める。
くぐもる嗚咽にラグナスは身体を震わせた。
館内の警備と警護を手配し、タチアナ・オーベルは外に駆け出した。
ジェラード・グラルとその馬車は既に館を出た後だった。
退任の挨拶に寄ったつもりが、こんな事件に遭遇するとは。
侵入者による領王暗殺未遂など、任期の内にも起きた事はなかった。
だが、あれは。
気遣う衛士を館の警護に残し、何の根拠も持たないままにタチアナは走った。
勘に従い行動するのは聖都以来の事だろうか。
先は館の裏門だ。
ラグナスが好んで使った裏路地がある。
予期せぬ突風に身を押された。
雪が館の灯に跳ねる。
咽び泣くような風音を立て、一頭の馬が疾駆して行く。
朱い鬣、白銀の毛並み。
駆るのは朱く燃える眼の髑髏。
風に身を庇うタチアナの前を、仮面の騎士が駆け過ぎた。
茫然と背を見て我に返る。
走っても追えぬと悟ったタチアナは屋敷に踵を返した。
領館は未だ混乱にあり、兵員の調達には手間を要した。
ようやく騎馬が招集され、教会の馬車と単騎の跡を追う。
馬車は麓で聖堂の路を逸れ、街の外れに轍を向けた。
タチアナの見た一騎は、まるで宙を駆るかに歩を拡げ遂には跡も消え失せた。
じき追跡は断念された。
人家の遠い通りの木立が黒々と血に濡れていた。
動かぬ無人の教会の馬車と、激しい騒乱の跡だけがあった。
血肉が一面に散乱し、怯えた馬の他に動くものもない。
夥しく散った屍の上に真っ白な雪が積み始めていた。




