第2話
「本当に夕餉はよろしかったのですか、司祭さま」
手ずから茶器を整えながら、メルシアは司祭にそう訊ねた。
今夜は私的な客人とあって、迎え入れたのも二階の客間だ。
「いえ、こちらこそこんな時間に」
ジェラード・グラルは恐縮し、夕餉はまたの機会に、と微笑んだ。
特徴のある足音が横切り、司祭の向かいに腰を落とす。
フェルクスの杖を受け取ってメルシアは傍らに立て掛けた。
「君は外して構わない、タチアナと積もる話もあるだろう」
メルシアの手を取り、フェルクスが仰ぐ。
「そう云えば、家令職を辞されたとか」
「ええ、まだ早いと止めたのですけれど」
司祭に応えたメルシアは、フェルクスの手を軽く握り返して部屋を出た。
客間の窓が風に鳴る。厚い窓掛けと硝子の向こうは白い雪が舞っていた。
「改めて戴冠をお喜び申し上げます」
ジェラード・グラルはそう言うも、空気は明らかに変じていた。
まるでメルシアの退出と共に陽が隠れてしまったかのようだ。
「ありがとう司祭殿、それで、いつからこちらに?」
フェルクスも声が硬い。微かな苛立ち、あるいは焦りを噛み殺している。
「先の祝賀に参りますのに三日ほど」
「いえ、教区の話をしております、戻られるのでしょう?」
言葉を遮られた事に気分を害した風もなく、むしろ司祭は破顔する。
「陛下、フェルクス侯爵殿」
司祭が呼び掛ける。
「私はまだです、まだこれから、陛下にご協力戴けたのなら、それが叶います」
フェルクスは微かに顔を顰めた。それではまるで、自分が望んだかのようだ。
「司祭殿、私は」
「ああ、それも、それもです陛下」
司祭は言葉を遮った。
「陛下のご決断あれば、私はシュタインバルトの全領を纏める事になる」
「まさか」
「私の司教区は陛下のお力にもなるでしょう」
ジェラード・グラルには司教の席が用意されている。
だがシュタインバルトの教区となればフェルクス自身の改革だ。
教会勢力が一変し、より強固になることを意味している。
「先代にはご納得戴けませんでしたが、陛下は違う」
王太子殿下や先代には心苦しくも、自分も左遷の憂き目に遭った。
そう司祭は告げる。
これはそんな自分が得るに当然至極の権利ではないか。
馬鹿々々しい、とフェルクスは呻く。
司祭は滔々と連ねるも、恨み辛みを捏ねているだけだ。
「陛下、貴方もそうでしょう」
呆れたような顔を寄せジェラード・グラルはそう囁いた。
「先んじて」
司祭は椅子に身を引いて、素知らぬ顔で切り出した。
「先んじて、遺構の封滅を許可戴きたい」
その切り替えに虚を突かれ、フェルクスは怪訝に司祭を睨んだ。
「あれは御心に沿わぬものです」
そも、正史を歪めるものが在ってはならない。
ランズクレストが封印家の存続を認めても、御柱に背く慣例は蛮行だ。
それこそが、教区擁立の条件でもある。
「今宵はそのお願い、いえご報告でもありました、使いは既に館の麓だ」
面と向かっては抵抗を受ける。
当然だ。
兵の動員を阻止するための奇襲だった。
「鬼獣のことは心配なく、屈強な護衛もついている」
フェルクスが思わず席を立つ。よろめき、机に手を突いた。
「シュタインバルトの血の起源だぞ、許される筈がないだろう」
「そも、その血が御心に沿わない」
ジェラード・グラルは平然と告げた。
「陛下はメルシア・ベネットを得た、血なら既に奪ったでしょう」
「何を」
「陛下」
司祭は制して顔を寄せ、冷めた器を手に取った。
「私の取り分など微々たるものです」
フェルクスに立場を知らしめる。
「貴方は異端者を告げただけで、爵位も妻も国も得たではありませんか」




