第1話
再臨歴一九七七年、大陸東部
シュタインバルト公国フォルゴーン宗主領
再臨歴一九七六年、フェルクス・ルピアンがフォルゴーン伯を継承した。
ランズクレストより伯爵位を賜り、シュタインバルトの新領王に就いた。
メルシア・ベネットを妻に迎え、フォルゴーン旧家の血統を繋ぐ。
これを以ち、シュタインバルトは大陸に於ける全ての地位を回復した。
先王太子ラグナスの死より六年余りが過ぎていた。
当時の異端の醜聞に、公国は揺れた。
先の領王ルイ・フォルゴーンは失意の中で病死している。
その際、不自由な脚を圧し、国防に尽力したがフェルクス・ルピアンだ。
彼は領王家の近縁であり、王太子の無二の親友でもあった。
妻のメルシア・ベネットもまた気高かった。
婚姻間近の不幸にも、彼女は決して折れなかった。
市井を気遣う健気さに、城下はもとより国そのものが勇気付けられた。
戴冠より明けて、再臨歴一九七七年。
城下はまだ冬の只中だが、市民の目は上を向いている。
垂れ籠める不安と不名誉は、決して全てが晴れてはいない。
それでも、空の暗雲は雪へと変わって散って行く。
男の頭巾に白いものが点々と乗った。
飯場の戸を閉め係留場に向かうと、外套はじき白くなった。
重い。
拭いようのない罪だ。
ラグナスはサイクの綱を解き、通りで鞍に身を乗せた。
背中を押され、ようやくの帰郷だった。
噂に聞いて、なお二の足を踏んでいた。
逃げていた、のが正しいのだろう。
真摯で残酷な友の言葉がなければ、ずっとそうしていたに違いない。
無論、名乗るつもりも会うつもりもなかった。
石もて追われるのは厭わないが、それもまた逃げる事に変わりはない。
むしろ今の二人には、ラグナスの生存こそが災厄だろう。
知られる事こそ避けねばならない。
陽も落ちて通りの少ない路を行く。
サイクは時折煩わし気に、斑毛に積もる雪を身を振るわせて掃った。
飯場で聞いた話にひとつ、気になる人の去就があった。
家令のタチアナ・オーベルだ。
彼女はフェルクスの擁立を以て侯爵家を辞したと云う。
ラグナスにとっては教師であり、姉であり幼くして亡くした母にも値する人だ。
家令としても最良だった。彼女在ってのシュタインバルトだ。
苦難の時を立て直し、役目を果たしたとでも思ったのだろうか。
これからの二人にこそ必要な人だった。
城下は丘の領館に路が続く。
また横道に逸しつつ、ラグナスはぼんやりとサイクの鞍に乗っていた。
教会の馬車が傍らを抜ける。
窓の横格子に垣間見えたのはジェラード・グラル司祭だろうか。
ラグナスの死後の間もなくに異動されたという話だが。
懐かしくも在るが、苦くもある。
異端の醜聞は当然に大聖堂にも及んだ筈だ。異動も無関係ではないだろう。
とは云え、こうなる最後の記憶は大聖堂の一室だ。
傍には審問官がいた。
そもラグナスを聴取した異端審問官、クスト・ルフォールは司祭の知己だ。
疑わしくはあったのだが、施設でその名を聞く事はなかった。
彼はラグナスと死んだと云う。
こうして自分が生きているからには、クスト・ルフォールもそうかも知れない。
教会の馬車は領館を目指していた。
ラグナスの身体が丘を向く。
手綱の指示は躊躇うも、サイクはラグナスの意思と知覚を共有していた。
馬車路の斜面をひとつ越え、館に続く裏路を行く。
何を今更。
呆れたような意識が返る。
それがサイクの反応かラグナスの自嘲かは判別できない。
灯のない土道の小路を行く。
使用人の通い路だ。ラグナスとフェルクスも好んで使った。
館に入るに鍵こそ要るが、門衛の目もなく潜んで行けたからだ。
此処もまた、懐かしくも在り苦くもある。
あの日、あの夕闇の行き倒れから神像を手に入れた坂道だった。




