第5話
あれは何だ。
何者だ。
駆けるファルカの内心はラグナスの異相に荒れていた。
人獣捜索の目的に、もしやと密かに確認はした。
故にラグナスの常人ならざるは知っている。
だが、あれは。
白い人獣が腕を引いた。
彼とその取り巻きが随走していた。
ファルカは問いも拒絶もしなかった。
こいつらにはこいつらの思惑がある。
明らかに反抗の機会を窺っていたのだ。
ファルカはそう納得した。
里の高台、半ば岩窟に建屋を加えた施設があった。
どうやら警護と思しき兵員は出払ったようだが、門衛が立っている。
ファルカに物陰に残るよう身振りで示し、人獣たちが前に出た。
「おまえたちも向こうに行け」
門衛がラグナスの撃退に向かわせようとするも、白い獣人が何かを訴える。
気を引く罠だ。
脇から人獣が飛び掛かる。
揉み合いになるも頸を押さえて転がったのは人獣だ。
門衛は手にした小箱を振り翳し他の人獣にも突き付ける。
「おまえら」
ファルカが門衛を蹴り上げた。
手の中の小箱を奪いる。恐らく首環の操作機だろう。
ファルカは白い人獣にそれを放り投げた。
「使い方は分かるんだろうな」
言う間に仲間の首環を外して回っている。
ファルカは肩を竦めて施設の中に飛び込んだ。
この感覚は前にもあった。
独特な匂いがする。
十四の歳に見たラキシ・マンサールの施設だ。
否、記憶よりも遥かに酷かった。血と屍肉の臭気が加わっている。
あの時の建屋は飼育場と治療院。
こちらは禍々しい実験室と手術室だ。
心なしか空気が冷えて、吐息が白く霞んでいた。
「アンタがガフ・ヴォークトか?」
魔術師あるいは技師か医者、らしき匂いの幾人かに問う。
だが、皆違う。
その都度ファルカは小箱を奪い、人獣の首環と交換した。
連れには白い人獣が残った。
他は首環を外すため里に向かって駆け下りて行く。
奇怪な大男と対峙したラグナスも気になるが、今は最奥を目指した。
ガフ・ヴォークトは此処には居ない。
ガフ・ヴォークトなら奥に居る。
施設の中の連中はファルカに矛盾した答えを繰り返した。
『何者か』
最期の部屋でファルカに誰何したのは肖像画だった。
映し出された男の姿に、そういうことかと肩を竦める。
「ガフ・ヴォークトだな」
我に返って確認する。
幽霊じた映像ではあるが、瞳の色は碧いと分かる。
だが断じてラグナスの言う女の子ではないだろう。
部屋はまるで祭壇だった。
施設の魔術師各々がガフ・ヴォークトに成果を捧げる部屋なのだろう。
肖像は黙している。
答えるに値しないのか、それとも衛兵を呼び寄せているのか。
沈黙に焦れてファルカは告げた。
「コラン・オランドを知っているか、まあ十年も前の話だが」
問うも反応はない。
記憶を辿っていると思われたのは、眉の微かな動きだけだ。
「魔術師の居所を教えたろう? 此処と似た場所でに死んだ男だ」
『何者か』
ガフ・ヴォークトはもう一度訪ねた。
今度は微かに興が乗っている。
「息子だよ、血は繋がっちゃいないが」
肖像の目線が動いた。ファルカの背には白い獣人がいる。
首環は既にないものの、ガフ・ヴォークトに嫌悪と恐れを抱いている。
『まさかな、あの混じり物か』
吐き出すようにそう言った後、ガフ・ヴォークトは引き攣るように息を継ぐ。
それが笑い声だと気付いたのは吐く息が音になってからだ。
『あの猟師を唆したのは単に始末の為だったが、よもや』
不意に碧い眼が大映しになった。
『生きていたとは僥倖だ』
蜘蛛の脚を持つ大男は、人獣、衛士の区別なくラグナスの拳の盾にした。
だが、疾さが違う、硬さが違う、何より強さが明らかに違った。
得物を躱し、払い、腕を脚を破壊する。
皆一撃で戦線離脱をせざるを得ない。
死に至らなかったのは、それだけの理由だ。
人獣は善戦した。
鎧も獲物もない身だが、動きが早く爪がある。
跳ねてラグナスの身を裂くが、同時に腕は砕いて折れられた。
仮面を着けたラグナスは、向ける敵意に容赦がない。
蜘蛛の男は悪態を吐いた。
気付けば兵が減っている。
衛士は地に伏し蟲のように藻搔く。
人獣はあからさまに戦意を喪い、遠巻きになって逃げ散って行く。
数は何の助けにもならなかった。
幾匹縊り殺しても、もはや見せしめにもならない。
あの男への恐怖が勝っているからだ。
人垣の盾を削り尽くし、ラグナスは迫る。
肩から伸びた節のある肢が、幾重もラグナスに刺し込んだ。
まるで剣を合わせるように幾つも鉄の音が鳴る。
厚手の袖や馬手袋が裂ける。
狭間に覗く肌は黒く硬質化していた。
「何だ、おまえは」
蜘蛛の男が思わず叫ぶ。
折れて捻じれた肢が絡んで、思うようにも動かない。
跳び退り、背に隠した脚を伸ばした。
あらぬ方に奔る。
ラグナスの目を翻弄し、岩壁を垂直に這い登る。
だが見失ったのは蜘蛛の男の方だった。
地上を探る大男の目線は、翳る陽射しに瞬いた。
跳ぶ影がある。
槍の様な足先の向こうに朱く燃える双眸があった。
ふとガフ・ヴォークトが沈黙した。
『なぜアラニエの信号が途絶えた』
視線を何処かに彷徨わせ、独り言ちる。
『聖教会の兵が来たか』
碧い眼がファルカを見遣って囁いた。
『おまえが輩の走狗であろうと問題はない、せいぜい生き延びる事だ』
壁がただの平面に転じる。
「おい」
声を上げるも嫌な気配が胃を競り上がる。
竦む人獣の手を掴み、ファルカは部屋を飛び出した。




