第3話
ラグナスが送魂の祈詞を呟いている。
汝の魂が執着を以て地上に居つかず。
星辰界の荒野に迷わず。
天界の門に至るを祈る。
そんな聖典の一節だ。
司祭に倣って唱えるのが常で、諳んじられるのは育ちの良い証拠だ。
だから、ファルカは所在がない。
星辰界に迷う魂が在り、導く御使いが在り、行方を定める御柱が在る。
十年、あるいは百年に一度の降臨祭では、地上に実際に御使いが降臨する。
選ばれた聖人が託宣を賜り、大聖典が更新される。人は祝福と赦しを得る。
どこかの探偵でもない限り、死後の世界は人の目に覗えない。
だが、確実に存在している。
人は御柱、御使い、魂の、そうした確固たる実存に信仰を捧げている。
なのに、ラグナスの祈りは何処かが違う。
少なくともファルカはそう感じる。
祈りの先が、御柱ではない。
御使いに向け請い願わない。
彼はただ、人に善くあれと祈っているのだ。
「我流だよ、いつの頃からかこんな風だ」
形ばかりの弔いだから。
ラグナスは言って、困ったように笑った。
結局、群れから逃した斥候隊に戻らなかった。
申し合わせて先を辿った。
そうして見つけたのがこれだ。
遺体はあったが人数までは分からない。
残った部位を見て取るだけだ。
標が読まれていたらしい。
巧みに残した足跡が鬼獣の許に誘っている。
人、あるいは人に近しい敵がいる。
「オレたちも下山するか?」
敢えてファルカはそう訊いた。
ラグナスが静かに首を振る。
ならば遺体を曳いて行く余裕はなかった。
ファルカはラグナスを呼び寄せ、残った装備を拾い集める。
二人の入用に整えた。
「アンタ、何か目的があって来たんだろう」
背負子を組みながらラグナスに訊ねる。
「人を探している」
荷から自前で持ち込んだ頭陀袋を背に結わえつつ、ラグナスは答えた。
「人知に外れた施設の中で働いている」
記憶の怖気を噛み殺しファルカは先を促した。
「小さな女の子だ」
「女の子?」
思わず問い返す。
「本当の所はどんな姿か分からない、合ったら多分わかると思う」
「なんだそれ、そんな曖昧な人捜しがあるか」
ファルカは呆れてラグナスに言った。
確かに存外な強さを見たが、危険を冒す理由には余りに情報が茫漠過ぎる。
そうかな、とラグナスは困っている。
ファルカは大仰な溜息を吐いた。
「人獣の噂は知ってるか」
「鬼獣の異種だと聞いている」
ラグナスの答えに首を振り、ファルカは自身の知り得た真実を告げた。
それは公にできない類のものだ。
自分はそいつらを捜している。そう明かした。
「異種は異種だが、アイツらは人の異種だ」
二人は山林を潜行した。
謎の手に誘導された足跡を逆手に取り、遠ざけようとした深部に向かって探る。
それでも鬼獣の生息地には違いない。
猿鬼は勿論、人面鳥や大狼も出た。
流石に喰人鬼は面倒のない限り遣り過ごした。
大蜘蛛がいなかったのは幸いだ。
糸で巣を編む甲殻蟲の類は住処を分つ。周囲を鬼獣毒で汚染するからだ。
回収した荷に蓄えもあるが、食糧を調達できるに越した事はなかった。
湧き水に翼章を放り込み鮮度を確かめる。
毒が濃ければ色が移る。
そうなれば飲み水には適さない。
最悪、その場で中毒死の可能性もある。
人が鬼獣と相容れない所以だ。
「ラグナス、そっちは」
ファルカは水の具合を確認し、調理を任せたラグナスを振り返る。
「あ、こら、下味もなしに焼くんじゃない」
慌てて調理具を取り上げた。
「腕っぷしは確かだが、料理はてんで駄目だな」
両手を挙げて固まったまま、ラグナスは叱られた犬のようにしゅんとする。
「独り身だろうラグナス、飯はどうしてた、まさか毎日これじゃないよな」
ラグナスは困ったように黙り込む。
ファルカは呆れて息を吐いた。
「わかった、わかった、食い物が作れるまでみっちり教えてやる、覚悟しろ」
二人がこうしている間にも、本隊は報告の遅延に焦れている事だろう。
あるいは逃げ帰った二人の隊から何らか事情を察したかも知れない。
いずれ国軍は策を練り直さねばならない。
対応にはまだ間がある筈だ。
同道した折りはよかったが、今となっては討伐隊の行軍は捜索の障害だ。
口にはしないものの、その認識は共にあった。
「人獣を探していると言ったね」
灰を突ついて残り火を掘ると、思い出したようにラグナスは訊ねた。
ファルカの目線を同意と取って、ラグナスは焦げた枝先で宙を差す。
「知り合いがいるのか?」
「人獣だぞ?」
呆れたようなファルカの声に、ラグナスは真面目な顔でうん、と頷いて見せた。
「いる訳があるか」
僅かな間合いは問わずに置いた。
ラグナスが話を続ける。
「なら、人獣に関わる魔術師は」
「正直、手掛かりはそこからだ」
ふむ、と頷き名を告げる。
「ガフ・ヴォークトを知っているか」
「どうしてその名前を」
詰め寄るファルカをラグナスは制した。
「彼は君の敵か? 味方か?」
ラグナスの目を受け止める。
ファルカは正直に口にした。
「会ってみなければ分からない」
焦げた枝先を地面に刺してラグナスは頷いた。
「そうか、なら当面は一緒だな」
ファルカは気付いているだろうか。
遠くに窺う者がいる。
妨害こそはないものの、まるで来るなと警告するかのような気配があった。




