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仮面ノ騎士  作者: marvin
迷子ノ旅人Ⅰ
41/62

第3話

 浴槽に熱いくらいのたっぷりのお湯。

 帰宅後にあるもうひとつの救い。

 この贅沢は母譲りだ。

 思えば稀な母の帰宅は湯浴みの為か。

 私室は何もないのに浴室だけは宮廷にも優る。

 扉の向こうに脱衣所を踏む音がした。

「だめよ、ダリル」

 浴槽越しにマリエルが声を掛ける。

「あたしだよ」

 顔を覗かせたのはミリアだった。

「何、あんたたち一緒に入っているの?」

「違う」

 思わず声を張り上げた。

「ダリルは常識がないから、この間だって」

「はいはい、あたしも入れて」

 衣服も下着も払い落とすように脱ぎ散らかしてミリアは浴槽に踏み込んだ。

「いきなり、何」

 隠しもせずに湯船を跨ぐ。

「邪険にすんな、後で背中を流してやるから」

「いいよ、そんなの」

 十分な広さだが、マリエルは端で身を縮めた。

 ミリアは気にも止めずに首まで浸かり込み、縁からざばざばと湯を零した。

 ミリアの鼻歌を少しだけ聴いて、マリエルは栓に手を伸ばす。湯を足した。

 湯口にぼんやり目を向ける。

「私に弟がいたの、知ってる?」 

 マリエルは小声で訊ねる。

 聞こえなくても構わなかった。

「姉さんに聞いた?」

「少し前」

 マリエルの言葉は湯の音に紛れる。

「私が小さい頃に死んだって」

 どうして今頃、とミリアは目で訊ねる。

「部屋にね、子供の服が隠してあった」

 そう、とミリアは頷いた。

 気付いて動揺を押し隠す。

 湯を被りつつ辺りに目を走らせた。

「産まれてすぐだったな、あたしたちは生き延びたけど、男の子だったから」

 ミリアはさり気に言葉を繋いだ。

「血清のせい?」

 一族の者なら聞いている。知性の伸長を促す血清は、義務であり賭けである。

 ルミナフへの支援は血の上に賄われている。

「女の方が耐性があるののね、男は寿命も長くないその点ディオは貴重な男児だ」

 言ってミリアは苦笑する。

「事故が本当の寿命だったのかも」

「姉さん」

 言い過ぎた、とミリアは肩を竦めて見せた。

「ダリルを弟みたいに感じる?」

 ミリアがマリエルに問い掛ける。

「違うよ」

 むしろ母親の気分だ。

「性別なんてないんだから、男の子でなくてもよかったのにって」

 それならこんな気苦労もなかった。

 焦りも疼きもなかっただろう。

「それに」

「それに?」

「綺麗過ぎる」

 マリエルは言って口を尖らせ、湯面を叩いた。

「何なのあれ」

「細工師の趣味だってさ、弟子にあんな子がいたんだって」

 ミリアは答えて苦笑した。

「今はいないの?」

「いたらとっくに捉まえてる」

 ミリアは言って湯面を叩いた。


 深夜、細く高く何処か所在無げに揺れる人影が、通りを歩いている。

 塀越しに館の二階を見定め、灯と人の不在を確かめた。滑るように塀を越える。

 壁を這い、窓の格子を外して落とす。

 窓は開けない。枠ごと取り払った。

 四肢の以外に延びた何かが、繊細かつ強行に人影の先に経路を開く。

 ぬるりと部屋に滑り込んだ。

 整理の途中だろうか、屋内は雑然として簡素だ。

 何もない壁ばかりが目に付いた。

 人影は、アデル・ルミナフの私室を見て回る。

 処分、保管、寄贈。

 行く先に迷ったと思しい木箱を手に取る。

 乳幼児の服だ。

 部屋に燈が点った。

「本当に来やがったな、やっぱり工房の方は何もなしか」

 ミリアが戸口に顔を覗かせた。

「しかもミルパットを寄越すとは」

「貴方の隠蔽が懸念されました、遺品はこれで間違いありませんか?」

 ミルパットと呼ばれた人影が淡々と返した。

 薄明かりの中、外套に輪郭が妙に定まらない。

 何かが服の内側でざわざわと蠢いている。

「風呂場の覗きを謝るのが先だろ」

 ミリアの皮肉にミルパットは小首を傾げた。

「謝罪の価値を認めません」

「ダリル、侵入者を排除しろ」

 声を放つ。

 衣装棚の扉を撥ね開けダリルが飛び出した。

 ミルパットに飛び掛かる。

 細い身体をくねらせて躱し、ミルパットは外套だけをダリルの手に残した。

 滑るように壁際に逃れる。

 ダリルと対峙したままで、背中で壁を伝って素早く天井に這い上がる。

 身体の両脇に無数の細い肢が蠢いていた。

 掴んだ外套を床に投げ捨て、ダリルが天井のミルパットを見上げる。

「降参しろミルパット」

 天井の細面が静かに言った。

「こちらに来い、ダリル・カデット」

 その胸が震えて鳴った。

 笛に似た音がダリルを打つ。

 風を感じる音圧だ。指向性が極端に高い。

 戸口のミリアには小煩い程度だ。

 だが、ダリルは棒立ちになっていた。

「フィストレーズを拘束せよ」

 ミルパットが言い放つ。

 ダリルがミリアに向き直った。

服従条理(イエーサー)か」

 察してミリアは呻いた。

 条理回路(ドグマコア)に無理やり載せられた、もうひとつのダリルの条理だ。

 ダリル本来の基幹条理は奉神条理(ジェミニイ)と呼ばれる未知のものだ。

 だが未完成、もしくは欠損品と思しい。

 制御と称して服従条理(イエーサー)はディオに無理やり組み込まれた。

「あいつ、こんなものを」

 音に強制命令(コード)を載せている。

 条理回路(ドグマコア)への強制介入はダリルを人形として扱う事を意味する。

 ダリルの自我は二つの条理で揺れている。

 その危うさ故に、ダリルの人格は基礎からの構築が必要だったのだ。

「ダリル、訊け、ダリル」

 ミリアは笛の音に抗い声を上げる。

 ダリルは止まらない。

 だが抗っている。身体ごと揺れている。

「姉さん」

 廊下に後退るミリアを見て、隠れている手筈のマリエルが駆け寄った。

 笛の音に顔を顰める。

「来るな、罪深きもの(ブラスフェミア)だ」

 ミリアの声にマリエルが竦んだ。

 戸口に手を掛けダリルがよろめき出る。

 背後に気付いて目を見開いた。

 細身の男が天井に張り付いている。

「ダリル、どうしたの」

 苦悶するダリルに手を伸ばした。

「娘を排除しなさい」

 ミルパットが命じた。

「ダリル」

 間近に目が合う。

 瞳が揺れた。

 ダリルの掴んだ戸口の壁が爆ぜた。

 木枠諸共に壁を握り割る。

 ダリルは拳を打ち据えた。

 指向性の高い音圧に壁の砕片が震え跳んだ。

 白塵が波打ち身を包む。

 照射先がぶれた。

 ミルパットが音の焦点を探る。

 震える白煙の向こうにダリルと目が合った。

 差し伸べるダリルの腕先が形を変える。

 砲身が剥き出しになった。

 その先が消える。

 音は後からやって来た。

 吹き散る突風に錆びた臭いが鼻を突く。

 部屋の向こうに星空が見えた。

 両手を拡げたよりも大きな丸い夜空があった。

 轟々と風鳴りがする。

 壁も屋根もミルパットの姿も消えていた。

 床に拳ほどの部品がひとつ落ちた。

 それ切り何も残らなかった。

 マリエルを庇って抱いたまま、ミリアはいつか見たその光景に小さく呻いた。

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