第1話
再臨歴一九七五年、大陸中央
ランズクレスト公国ファリア家直轄領
手早く屋敷の家事服に替える。
クロエは主人の部屋の扉を潜った。
デボラが包帯を替えている。
大柄な身を二つに折って覚束無げに世話をしていた。
「ルミナフの状況を」
報告を促す声がした。デボラの大きな尻に隠れて主人は椅子ごと姿が見えない。
蹴り飛ばしたい苛立ちを抑え、クロエはルミナフ領のその後を告げる。
ラピスは耳を傾けた。
制限された入力は却って思索の役に立つ。
今のラピスにしてみれば視覚は全く意味がない。明暗すらも知覚の外だ。
妖精眼は奪われた。
代わりの義眼を寄越すどころか、盲目のまま放置されている。
ガフ・ヴォークトも大人げない。
ラピスは短く苦笑した。
だが、盤石だった幹部筋にも綻びが見えたのは事実だ。
増長するのも無理はない。
もう一方。
此方の小さな綻びも間接的には繋がっている。
雑事を任せた探偵がルミナフに関わった。
手を出したのは罪深きものだ。
クスト・ルフォールの清掃が行き過ぎ、今までその縁に気付けなかった。
どうにか素性は追われていないが、このまま聖都に置くのも拙いだろう。
万が一にも辿られては面倒だ。
「ついては、アデル夫人とフィストレーズがエルサルドールの工房に移ります」
クロエが告げる。
何か問題が起きたのか。
それともディオとの折り合いか。
こと最後の一体は、起動を渋る気配もあった。
何か問題を抱えていたのだろう。
同じ組織の中ではある。
だが、お互いに魔術師だ。
だからこそ状況が見えない。
「表向き、マリエル嬢を伴いロンフォール魔導院に就任の予定です」
ともあれ、今のルミナフの実権は実質的に息子のディオが握っている。
大魔術師は揃って隠居だ。
ラピスは皮肉に口許を曲げた。
「アーブラムに流して探偵に追わせろ」
いずれ聖都の看板を畳む頃合いだ。
「北へは助手を遣るのでしょう?」
デボラが口を挟む。
「ファルカパッド・ペレグリンです」
クロエが言葉を添えた。
「やっぱり、変な名前」
デボラが応えて呟いた。
そう断じて笑えるほどには、二人の知能も一般常識を保持できている。
以前は無駄口など皆無だった。
今では人格の枷も緩めている。
これは、ラピスが年齢的に社交場を無視できくなった事にも関連する。
あと『他愛のない話』が欲しかったからだ。
御付きの二人と探偵の助手はアーブラム司祭を通じて幾度か面識もある。
助手の男は二人に似た因子だ。
惹かれるものもあるのだろう。
それをガフ・ヴォークトの拠点に遣ろうと云うのだから、皮肉が過ぎる。
この眼の意趣返し、という訳でもない。
だが、聖都でこの二人を見出したからこそ、反抗の構想は形を成した。
偶然とは奇異なものだ。
ガフ・ヴォークトは父の計画を引き継いだ。
三五号を手掛けるなら必要なのは被験体だ。
神像の呪体が失われた今、あれは自身の分野にそれを見出さねばならない。
即ち亜人。人獣の活用だ。
探偵の助手を使ってその拠点を特定する。
ガフ・ヴォークトは、恐らく自身を称える者を集めて王国を築いている筈だ。
あの男の行動原理は情動だ。
冠位の以前に魔術師の資質がない。
それに気づいていないのだ。
技術がない訳ではない。父の仕様書も手の内にある。加えてラピスの妖精眼も。
些細な餌だに過ぎない。
余計な事に気が付く前に計画は遅延させる。
これは使命だ。
自由な意思を、この上ない力を持ちながら、自ら苦痛を受け入れた者がいる。
仇に等しい半妖を、馬鹿々々しくも救おうとしたのだ。
それに比する価値はない。
ならばこそ、償いはラピスの使命だった。




