第1話
再臨歴一九七一年、大陸東部
シュタインバルト公国、フォルゴーン宗主領
遠い稜線に陽が墜ちる。
燈のない傾斜の裏道は粗く、逸る二騎の足許は既に滲んで覚束なかった。
馬車路ほどに広くはないが、領館までなら此方が近い。
遅刻の間際だ、仕方がない。
ラグナス・フォルゴーンはそう笑った。
小路は鬱蒼とした樹々の縁を辿って続く。
確かに近いが、夕陽に朱く染まった木肌の裏は、はや黒々とした夜の森だ。
「蝙蝠だ、祠に猪でも迷い込んだかな」
「喰人鬼だろうと今は放って置け」
フェルクス・ルピアンは頭を振った。
並ぶ馬上のラグナスを窘める。
「夕餉の祈りに遅れるぞ、次期の領主が教会に見限られたらどうする」
「どうせメルシアが厨房に割り込んでるさ、司祭殿は味に煩いからな」
呑気な答えにフェルクスは頭を抱えた。
メルシア・ベネットは領王宗家の血に連なるラグナスの許嫁だ。
陽溜まりが零れたあの微笑みで、幼い頃から館を仕切っている。
彼女に正面から立ち向かえるのは、家令のタチアナ・オーベルだけだ。
「停まれ、フェルクス」
ラグナスが叫んで前に出た。
手綱を捌いて小路を塞ぐ。
鞍を飛び降り荷を探り、燈を手に駆ける。
フェルクスは馬で回り込み、道の只中に蹲るラグナスに寄せた。
燈火の先を覗き込む。
人だ。
頽れて半身を伏している。
「誰だ」
驚き問うもラグナスは首を振る。
「屋敷の者じゃない」
ラグナスはふと顔を上げ、鞍に手を掛けるフェルクスに気付いてそれを制した。
「君は人を呼んで来てくれ」
「しかし」
目こそ向けないラグナスだが、フェルクスの脚を気遣っているのが分かる。
ラグナスが燈をフェルクスの馬に掛ける。
代わりを荷袋から取った。
「それと、できれば司祭殿も」
フェルクスが頷き手綱を取る。
ラグナスは燈を点け見送った。
振り返るフェルクスの表情は、夕闇に翳って見えなかった。
駆け行く蹄を背中に聞いて、ラグナスは伏した男の身体を改めて調べる。
やはり事切れている。
目を背けるほどの苦悶を顔に貼り付けて。
この辺りでは見ない男だ。
血の跡はない。外傷らしきも見当たらない。
腹を抱えて蹲るが、そこには何もない。
否、何かが地面に落ちていた。
男が抱えていた物だろう。
年季の入った旗布の包みだ。
それもフォルゴーンの封印布らしい。
盗掘者だ。
ラグナスは黒々とした樹々を仰いだ。
先には代々の祠がある。
フォルゴーンの祖が封じた禁足地だ。
触れてはならない。
理性が囁く。
引かれるように手を伸ばした。
布の包みを引き解く。
像だ。台座に銘はない。
棘の冠を戴いた頭蓋、頸を絞め胸を掻き毟る腕、背には枯れた翼があった。
ラグナスが夕陽の残滓にそれを掲げ見た刹那、辺りは蒼い闇に包まれた。