第2話
煌々と白い廻廊を少女の亡霊がそぞろ歩く。
仄かに透けたラピスのスモックは、白衣のようにも遊び着にも見えた。
練達の技師、魔術師が擦れ違うも、皆畏敬と恐怖で見ぬ振りをする。
ラピスは自ら敷設した無線霊信器でその姿を投影している。此処に実体はない。
触れようもないのに皆避ける。
気取られぬよう道を開ける。
ラピスの実年齢は十歳だ。
だがそれよりも見目は幼い。
恐らく今後も身の成長は人より遥かに遅いだろう。歳との乖離は広がって行く。
知能だけが大人を凌駕する。
否、もはや大魔術師さえ及ばない。
ラピスは妖精眼を持つ人為の半妖だ。
奇跡の産物にも近しいその碧い双眸は、極めて微細な世界と幽世に跨っている。
見るものを絞り、精緻に干渉する。
ラピスは極微領域における唯一無二の医師であり技師だった。
父の傍ら幾多の実験に係わり数多の特異な創造に手を貸した。
その集大成が被験体三四号だ。
その施術より、一年にもなる。
管理はラピスの役目だった。
共に忌まれる存在だからだ。
国家教会に秘された世界で、内に属する者は皆、疾うに倫理を失っている。
そんな中であってさえ、ラピスは忌み畏れられていた。父でさえ、そうだ。
こと助手のガフ・ヴォークトには憎悪にも似た目を向けられている。
彼は異端の研究が出自で、表の世界に魔術師の階位を得る事が叶わない。
父のような地位がなく娘のような力もない。
つまりは嫉妬だ。
人はそうした感情を抱く。
情動は知識としてラピスにも理解できる。
ある意味、ガフ・ヴォークトだけが彼女を人として扱っているのかも知れない。
三四号、彼を除いて。
『ここはどこだ』
『君は誰だ』
『僕の身体に何をした』
知性が残っている。記憶が残っている。それを知った時はラピスさえ驚いた。
問いを発した三四号に少なからず動揺した。
意思と記憶は処置対象だ。
ラピスの不備と付け込む者も多いだろう。
ガフ・ヴォークトはその筆頭だ。
急ぎ発声に枷をした。神経接続の経過管理と称してラピスが専任の地位を得た。
会話ができるのはラピスだけだ。
三四号は同じ問いを繰り返した。
郷里について知りたがった。
そも彼はもう人ではない。
三四号は一年に渡り施術を重ねて来た。
本来の見目は鬼獣に優る異形だ。
強靭な再生因子が生来の姿を擬態するが、力を振るえば見る間に異相を晒す。
だが、幾度も試験を繰り返すうち三四号も自身の在り様を察するようになった。
知性がある。理性がある。情動さえも残っている。異形の中に人がいた。
『外は天気か』
『この辺りも雪は降るのか』
『君はいつも同じ服だね』
察した筈の三四号だが、一向に黙らない。
意味のない会話を続けようとする。
三四号の知性は驚くほどに高い。
此処の有象無象よりも遥かにましだ。
なのに会話が他愛無い。
そんな様式は此処に無い。
父とさえもしたことが無い。
『不器用なんだ、僕の父上と同じだよ』
そう言って三四号は裂けた口を歪ませる。
それを笑みと理解するのに一年掛かった。
三四号の機能は想定を凌駕していた。
故に試験も激化した。
より過酷な状況に置かれる事が多くなった。
試験や任務の際は、薬品で脳幹を一時的に機能不全にする。無理やり従わせた。
記憶を失う訳ではないが、人道に類する忌避感だけは辛うじて鈍る。
『ありがとう』
三四号が口を歪ませる。
いつの間にか、ラピスは知らずその言葉に目を背けるようになっていた。




