第5話
ファルカは監視に定位置を設けた。
大聖堂の敷地の中でクスト・ルフォールの行動を遠目に追い掛ける。
聴取は常に審問官ひとりだ。
籠る時間も当然、長い。
様子が変わったのは夕刻近くだった。
部屋の出入りが頻繁になり、都度に人を呼び寄せる。何事か指示を投げていた。
声の聴けない距離に焦れ、ファルカは近場に身を隠す場所を探して移動した。
目が合った。
そんな気がした。
とは云え審問官に慌てた様子はない。
表情こそは読めないが。
一旦は胸を撫で下ろしたもののその後の意表を突いた行動にファルカは焦った。
王太子の部屋に入った審問官が、中から人の手を曳いて足早に歩いて行く。
人目に触れさせない為か、連れには頭から目隠しの白布を掛けさせていた。
王太子の移送だ。
ファルカは舌打ちして先回りする。
先の数棟を潜った先には馬車寄せがある筈だ。
ファルカは中庭を横切って、そのまま塀を飛び越えた。通用門の脇に駆け込む。
窓を封じた箱馬車に白布の王太子を乗せている。
審問官が隣に座って戸を閉じた。
見定めファルカが門を出る。
念のために、と先にオベロンが張っている。
「王太子を連れて出た」
鍔広帽子に声を投げる。
張り込みにまでその怪しげな格好とは、本気で身を隠す気があるのだろうか。
「もう陽も落ちるし、気にしやしないよ」
呆れるファルカにオベロンが応える。
「それにさ、思い込みってあるじゃない」
「馬は何処だ」
走り出した馬車を追いつつ、オベロンの蘊蓄を遮ってファルカが声を上げる。
「先の町家に」
言い掛け言葉を詰まらせた。
馬車から馭者が放り出された。
路地に転がり悲鳴を上げる。
客車の向こうでよく見えないが、御者台に白布の端が覗いて見えた。
ファルカとオベロンが馭者に駆け寄る。
「殿下が」
ひと言叫びはしたものの、御者はそのまま打ち据えた身体を抱えて呻く。
箱馬車が夕闇を走って行く。
街なかにない速さで路地を抜ける。
「このままま街を出そうだね」
オベロンが焦りを滲ませた。
「先に追って貰えるかい、この状況なら停めるのも構わない」
ファルカは馬を繋いだ町家に走った。
手綱を取って飛び乗りながら、聞き耳を立て馬車の行く方向を探る。
通りの騒動を捉えて馬を駆った。
暴走跡を訊き辿りつも、空はすでに青黒い。
街の灯に夜は濃くなって行く。
街を抜ける。
崖路を走る。
ようやく箱馬車が遠くに見えた。
ファルカほどの夜目がなければ、恐らく追い付けなかっただろう。
ひらめく白布が辛うじて分かる。
馬にも路は朧気らしい。ファルカの強要に屈してただ土を蹴るばかりだ。
不意の嘶きに身体が撥ねた。
宙で捩れた手綱を手放し、ファルカは路面に落ちて転がり滑った。
先んじなければ大怪我だ。
こうも咄嗟には立ち上がれない。
馬が悲鳴を上げていた。
闇を見遣れば木立に大狼の尾が消える。
こんな街の近場に鬼獣か。
驚きつつも今は馬車を、と目を眼を眇める。
白布の軌跡は真っ直ぐ伸びて行く。
不意にひらりと立ち消えた。
ファルカは慌てて駆け出した。
追う先の半ばで、遠くにくぐもった嘶きと木を打ち壊す音を聞いた。
もう見えていた。
路の先は何も無い。
鋭角に蛇行し、空がある。
真正面は渓谷だ。
オベロンの馬車がファルカに追い付いたのは、もう暫くの後だった。
鬱陶し気に周りを囲む大勢は、街の騒動に駆け付けた衛兵隊の騎馬だ。
崖の前に佇むファルカは、王太子と審問官の消えた谷底を見つめていた。
夜こそ明けたが陽は射さない。
シュバルツバルトは沈んだままだ。
ファルカも重い荷を抱えていた。
拭い取りようのない後悔だけがあった。
安宿を仮の集会所にオベロンは告げる。
「放り出された馭者の証言だと、馬車を奪ったのはやはり王太子だそうだ」
走り書きの懺悔の手紙を握らせて。
クスト・ルフォール審問官は客車の床に倒れていたらしい。
彼も恐らく谷底だ。
信じ難い、とファルカは思う。
オベロンに言っても仕方はないが。
ファルカ自身も証明する術はない。
遺体こそまだ確認できないが、渓谷の底に衣服の一部が発見されている。
「こいつはきっと裏がある、まあ今は証明の仕様もないがね」
オベロンはそう言って肩を竦めた。
ファルカの表情は見透かされている。
「ところで、ファルカ」
声の調子を改める。
「お金がない」
ファルカはきょとんと見返した。
「馬だ何だと入用で、君に支払う賃金がない」
呆れて声も出なかった。
鍔広帽子を毟り取ろうと詰め寄るファルカに、オベロンはふわりと後退った。
「いや待って、僕と一緒に仕事を探そう」
慌てた様子でファルカに告げる。
「そうだな、失せもの探しなんてどうだろう、君、才能あると思うんだ」




