第3話
「どうやって冥界ノ門に入った」
シルベルト・クラウザが声を上げる。
声色に怒りと焦りが滲み出ていた。
だが、この情動はあれに似ている。
そう、嫉妬だ。
オベロンは微妙にずれた司祭の目線を追う。
振り返った。
石碑だ。
映り込みのない漆黒の石碑に、蛹になった筈の自分の姿が浮かんでいる。
オベロンが驚いて向き直る。
石の中の仄白い自分は追随しなかった。
石碑の奥から覗き込んでいる。
自分をじっと覗き見ている。
オベロンは呻いた。
石碑は鏡面の黒石ではない。映っているのは恐らく星辰界そのものだ。
意識した刹那、オベロンの視界が一変した。
辺りを埋める白い影に溺れそうになる。
同類だ。夏の終わりの水母にも似た人の残滓が石堂の一面に漂っていた。
人の形を留めたものは少ない。
ただ人であったものだと分かる。
「出て行け」
シルベルト・クラウザが声を上げた。
できるものなら、そうしている。
怒声につい言い返してしまった。
打つはずのない鼓動が鳴る。
「ユミルを返せ」
司祭が叫びながら走る。
また穢す気か、穢す気か。
そう延々と繰り返しながらオベロンを詰る。
機材に取り付き、手を踊らせた。
蒸気炉の音が弥増した。
管が跳ねる。
爆ぜて吹く。
それは濁った人の血だった。
ユミルの木型が震えて泡立ち、中に詰めた血肉を跳ね上げる。
オベロンが呻いた。
石室が震える。
俄かにシルベルト・クラウザが我に返り悲鳴を上げて部屋を駆け出して行った。
あの野郎。
呆れてオベロンが声を上げる。
世界が爆ぜて真っ暗になった。
徐に感覚を取り戻した。
意識を拡げて辺りを探った。
暗いのは土の中だからだ。
今まで居た筈の石堂がすっかり消えている。
何処かに飛ばされでもしたか。
地上に意識を押し上げて呻く。
辺り一面が落ち窪んでいる。建屋が全て崩落し、半球の大穴と化していた。
陽を見るに昼過ぎだろうか。
大穴の周囲は隙間なく櫓が組まれ、厚い頒布でしっかりと覆われている。
半日で木組みとは対応が早い。
ぼんやり感心して気が付いた。
違う。時間が経っている。
ようやく自分の置かれた状況を理解し、遅まきながらオベロンは慌てた。
目隠しの頒布を擦り抜けて敷地を飛ぶ。
幸い、鎧を隠した倉庫は無事だった。
宿の馬丁は不満たらたらだったが、それでもどうにか預けた荷車を取り戻した。
ついでに大聖堂の状況を聞き出した。
火事があった、という事らしい。
一夜で一画が燃え落ちたのだそうだ。
死傷者こそなかったが、この機に司祭は異動となった。
既にこの街にはいない。
娘を喪って以来の不幸続きだ。
同情の声も多かったらしい。
驚いた事に、ひと月が経っていた。
その間、意識が飛んでいたらしい。
すっかり草臥れ、棺桶を乗せた荷車を曳きつつオベロンはぼんやり思案した。
シルベルト・クラウザは何をしていた。
司祭はユミルに何をした。
むしろ、ユミルをどう手に入れた。
いずれ彼がひとりで賄える規模の事ではなかった。大きな何かが関わっている。
まずはガスパールだ。
あの爺が何も知らないまま機械細工を拵えていたとも思えない。
関係がある筈だ。
オベロンが帰り着いた先には何もなかった。
工房は蛻の殻だった。
まるで更地も同然だ。
ガスパール・サンクの存在は痕跡さえもが消えていた。




