第18話
耳許に轟々と風が鳴る。ラピスの背を押し、袖を引く。
奈落の縁に立っていた。
見下ろす先は二層の外縁、一層の広間。底には鬼獣が蠢いている。
大きく抜けた空隙の向かいに、こちらと同じ縁があった。
三層中央の秘された区画は、遺構の巨大な吹き抜けだ。
否、上への通路は確かにあった。軒並み昇降路が外れて落ちている。
施術の報復が働いた痕だ。
見渡す対向の壁の一部に無理やり穿たれた穴がある。
無能に先手を打たれた訳だ。
道理で猿面鳥が迷庭の奥にいる。
ラピスは石室を振り返った。
大きく開いた石壁を巨人の巨体が埋めていた。
ファルカとダリルは分断され、クロエとデボラは伏している。
巨人の一歩でラピスは終わる。
見上げる頭の半面が鉄の面に覆われていた。
縁に覗くのは人為の手術痕だ。
ようやく気付いた。鬼獣を操る者などいない。指揮しているのは鬼獣自身だ。
巨人は人との親和性が高い。脳を移植したのだろう。
倫理的な衝撃はない。
だがその技術はファリア家の、神生化学はラピスの領域だ。
この死は報いだ。理解した。
ガフ・ヴォークトの眼を覗き視た時にラピスは最期を見出していた。
出遭ったファルカの兜を目にしてラピスは断罪を幻視していた。
理由は全て後付けだ。ラピスの旅の全てがそうだ。
ただ会いたい。
罵られても構わない。
むしろその手で討たれたい。
タチアナの沈黙が理解できた。
自らラグナスの答えを聞け。彼女はラピスにそう告げていた。
情動がラピスを奈落に押し流す。
終焉に歓喜を覚えている。
それが償いか。
無常の声が爪を立てた。ラピスの中のもうひとりが生き汚くしがみ付く。
あの子たちを連れては逝けない。
ファルカとダリルを呼んでは逝けない。
まだラグナスに告げてもいない。その名を呼んだ事がない。
唇を噛み締め巨人を睨んだ。
ただ死ぬ訳にはいかない。抗い藻掻いて生きねばならない。
風が鳴った。
背に吹く風がきりきりと怪鳥のような音を立た。
巨人の身体が打たれて揺らぐ。仰け反るほどに蹈鞴を踏んだ。
風がラピスの身を攫った。
横目に巨人が舞うのを目にした。
人が、巨体の脚にも及ばぬ影が、巨人の前に対峙している。
打ち、蹴り砕いて抱えて引いた。
巨人が傾いでぐるりと回り、岩壁の縁を砕いて散らす。
投げ放った。
手放す影の向こう側、巨人が階下に落ちて行く。
佇む姿がそこに在った。ラピスがその背を見紛う筈もない。
名を呼ぼうとして喉を詰めた。
「君を囚われの姫なんて、思い上がりも甚だしいな」
照れたように呟いて、ラグナス・フォルゴーンは振り返った。
その生体皮に経年はない。だが経たものは刻まれている。
荊棘の道がどれほどだったか。その笑顔がラピスを苛んだ。
「すまなかった」
だがラグナスは自らがラピスの前に膝を突いた。
「僕にもう少し力があれば、もっと早く迎えに行けた」
ラピスは堪えて息を噛む。
背に括る紐を解くのももどかしく、頭陀袋を突き出した。
「整備しておいたから」
気取られないよう息を継ぎ、その耳にしか捉えられないほどに呼ぶ。
「ラグナス」
応えてラグナスは袋を取った。
「君にそう呼ばれるのは擽ったいな」
まるで子供の様に笑う。
「でも、その方がいい」




