第10話
ヌヴィル遺構は履歴が古い。
ラピス・ファリアの知る限り、その資料には更新がなかった。
巣食う鬼獣、活きた遺跡の防衛機構、染みた霊子の精神汚染。
排除の手間を勘案すれば、放置は無価値を下回る。
そも冥界ノ門以前の遺物は、どれも発掘の労が合わない。
故にオベロンの調査の意義も、気紛れほどの価値しかなかった。
ない筈だった。
調査の切っ掛けは他愛ない事だ。
オベロンが調査を切り出した村落は遺構と平面上の位置が近い。
とはいえ高度が遥かに異なり、人の行き来は在り合えない。
だが断片が点在していた。現地も遺跡と認識している。
遠く離れた山頂がヌヴィルの底に繋がるならば、それは確かに未踏の域だ。
手付かずだとは考え難いが、放置の判断は瑕疵がある。
冥界ノ門、罪深きもの、神化生物。
御柱に祝福されなかった数々の魔術、創世史学。
それらの起源は再臨歴以前の遺構にある。
奪う隙あらば手に入れたい。
オベロンを遣ったのはその確認だった。
あれは危険の気遣いが要らない。風雪も鬼獣も関係がない。
安上り、否、高効率だ。
あの星辰態をどうにかするなど〈聖母〉であっても不可能だろう。
故に音信不通の当初、これはオベロンの気紛れだと断じた。
想定の範囲ではあったからだ。
折りに大陸全土で星辰界の海嘯が生じた。
巷に霊障の氾濫を招いたその震源は、ヌヴィル遺構の付近だった。
やがてタチアナの網に不穏な気配が挙がった。
西部の商流がリチル=アスガードで途切れている。
表の帳尻に瑕疵はない。だが大量の物資が見返りのない山野に消えた。
マリエル・ルミナフが知人宛の書簡で当時のオベロンの怠惰を伝えている。
その近況報告の裏では、そうした調査が続いていた。
ラピス・ファリアが自身の腰を上げたのは二年後だ。
マリエルに届いた知らせが決め手だった。
タチアナは彼女の出立を渋ったが、馬を駆りたかったのは自身の方だろう。
その分ラピスの装備も過剰になった。
大型馬車に擬装したロッサは鬼獣の棲息域を難なく踏破できた。
マリエルの寄越したダリル・カデットさえ余計なお世話と思ったほどだ。
お陰で道中、調子の外れた音色に悩まされた。
ラピスはオベロンの辿ったヌヴィルの上層に沿わず、古地図の行路を抜けた。
麓に走る渓谷だ。鬼獣棲息地の只中にある。
ロッサの道幅と隠蔽を考慮し、ラピスはより問題点に近い方を選んだ。
だが渓谷深部に大量の鬼獣の跡を見て状況が変わった。
生息域の変化が起こり得る要因はない。
混成の群れ、組織性、渓谷の占拠。いずれも人為の色が濃い。
考え得るのは鬼獣の誘導、使役だ。
手法はなくもない。ラピスも幾つかは知っている。
だが非効率だ。一体に掛ける労力が大き過ぎる。
だが、例えば飼料や薬剤による隷属化。そうした効率化が適ったならば。
ヌヴィルの麓に運び込まれた大量の物資がそれだとしたら。
仮定が多過ぎる。ラピス自身もそう思う。
だが鬼獣の一大棲息地に隣接するヌヴィル遺構は好立地の実験場だ。
情報を得たかった。
ガフ・ヴォークトの人獣と異なり、鬼獣の知性化には限界がある。
ならばこそ、大規模な鬼獣の使役は今後に仇なす危険な技術だ。
せめて指揮の形態を知りたい。
ベナレスとファーンの鼻と眼は、哨戒にこそ秀でているが分析には不向きだ。
ラピスの知覚を配する生体兵装だけでは十分な調査が適わない。
とは云えダリル・カデットも自己判断の知識がない。
現場で重要性を判別できないのは不利だ。
ロッサの内は安全圏だが渓谷での運用は難しいだろう。
ラピスの選択肢は多くなかった。




