第3話
オベロンは夢の中にいた。
感覚が胡乱に遠退いている。
身体がまるで借り物のよう。糸の先にあるような、そんなおかしな感覚だ。
尋問があった。
前後不覚のまま投獄され、こびりついた血を床刷毛で洗い削られた。
そんな記憶もあるにはある。
だが現実味が、まるでない。
牢に訪れたシルベルト・クラウザ司祭は顔を包帯で覆っていた。真白だ。
ユミナの朱い手袋がそうしたに違いない。
思わず笑った。
ところが、どうやらオベロンが司祭を襲い娘のユミナを攫って殺害したらしい。
気付けば罪を告白せよと詰められている。
司祭は自らオベロンを問い詰め、拷問に近しい行為を執拗に繰り返した。
反論しようにも喋れない。声が出ない。
痛みだけが壁を隔てた向こうに届いている。
そんな感覚だ。
夜、身体が反って嘔吐した。
毒を盛られたらしい。
おかげで意識が身体に引き戻された。
ところが今度は五感が被る。
全種の感覚が一度にオベロンに押し寄せた。
とまれ、このまま牢で殺す気だ。
オベロンは悟って行動を起こした。
まともに身体を動かしたのは幾日ぶりか。
檻を掴むも転び出た。
傷んでいたのか柵が壊れた。
外には雨が降っていた。
今となっては唯一の所持物である薄汚れた毛布を被って逃げる。
幸い誰にも見咎められなかった。
皆毒殺に居合わせるのが嫌だったのだろう。
若気の至りで収監所の位置はよく知っていた。
そのままひたすら郊外に逃げた。
オベロンの行く宛てなど、そう多くはない。
ガスパール・サンクの工房を目指した。
小屋に近づき、泥に轍を見て来客を知った。
錠の外れた納屋に逃げ込む。
納屋の中が見渡せた。
漏れ射すのは母屋の僅かな明かりだけだ。
それを不思議に思いながらも、オベロンは生来の気楽さで棚上げした。
足許に布を掛けた木枠があった。使いで来た折にはなかったものだ。
何気に捲って覗き見る。
ユミル・クラウザだ。
凹凸は逆だが見紛いようがない。
それは彼女の型取りだ。
意識が跳ねた。
突き飛ばされたような感覚だった。
ガスパール・サンクが立っている。
手にしているのは護身の棍棒だ。
木枠に倒れ込んでいるのはオベロン自身か。
何故かそれを見おろしている。
盗人と間違えて殴ったのか。
そうした事には思い至るも、どうして自分を見おろしているのかが分からない。
ガスパールはオベロンの身体を突いて転がし、その正体を見て動揺した。
驚いているのはこちらも同じだ。
意識はある。辺りも見える。音も聞こえる。
ただ叫んでも声が出ない。
顧みて気付いた。
身体がないのだから当たり前だ。
無闇に藻掻くとガスパールに近づけた。
拍子に彼を引き倒し、納屋の中のものを撥ね散らかしてしまった。
二人似たように呆然とする。
勿論、ガスパールには見えないらしい。
だが意識を寄せれば手が届くと知れた。
手なんて何処にもないのだが。
薄汚れた毛布一枚のオベロンを床に寝かせ、ガスパールは息を確かめた。
心音が聞こえない。
否、酷くゆっくりとだが脈打っている。
耳の感触を怪訝に思ったのか、ガスパールはオベロンの身体に燈を近づけた。
革より硬く固まっている。
なのに生きている。
まるで蛹だ。
引っ掻くような音に気づいて、ガスパールは土間を照らした。
燈を巡らせて確かめる。
足許に細く土が掻かれる。
ひとりでに文字が掘られて行く。
「クソ爺」
そう読めた。




