少年の過去とアルゴン隊長の野望
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Part : 1
帝国の首都の外れに、一組の夫婦が暮らしていた。紀元X2902年、彼らには一人の息子が授かった。
少年は、両親が魔物や盗賊と戦う姿を見ながら育った。彼らはいつも戦いから帰り、帝国の王家から褒美を受け取っていた。
三歳のある日、少年は好奇心に駆られて問いかけた。
「父さん、母さん、どうして戦うの? 相手は怖くないの? あの魔物たちは僕たちよりずっと大きいのに……」
両親は視線を交わし、微笑んだ。父は少年の髪をくしゃりと撫でた。
「もちろん怖いさ。誰だって戦いで死ぬかもしれないと思えば恐ろしくなる。――でもエリアン、俺たちが戦う時、何が力になると思う?」
父は少年を抱き上げ、膝の上に座らせた。母は膨らんだお腹を抱えながら、そっと息子の頬に触れた。長い髪は薔薇のように赤かった。
「それはあなただよ、エリアン。家であなたが待っていると思えば、恐怖なんて消えてしまうの。」
父は力強く言葉を重ねた。
「そしてタリアが生まれたら、俺たちには二つの理由ができる。魔物も盗賊も、俺たちに立ち向かうことはできないさ。」
エリアンが三歳になった時、妹タリアが生まれた。彼らの日々は平和と喜びに満ちていた。
――ある朝 オルザマー帝国城 皇帝の謁見の間
「二人を祝福するのが遅れてしまった。すまない。」皇帝は夫婦に声をかけた。
彼は六十代半ばの老人だった。皇帝ダルヴィウス・Z・オルザマーは慈悲深い君主であった。彼の治世に侵略は一度もなく、オルザマーは貴族たちの支援により繁栄していた。
「謝る必要などございません、陛下。我らが城へ出向くべきでした。」夫婦は謙虚に答えた。
「それで? 授かった娘の名は何という?」皇帝は尋ねた。
「タリアでございます。」夫が答えた。
「ほう、タリアか! 改めて二人目の子供の誕生を祝おう――ガレス、アルティア。」皇帝は言った。
ガレスとアルティアは数々の高位魔物を討伐した功績で名を馳せていた。
二人は第三位の高ランク――B級に数えられ、帝国の安全と平和を守った功によって皇帝から厚く信頼されていた。
だが、強き者が栄え、富める者が権力を握る世界において、下層の者たちの幸福は疎ましいものだった。
彼らの小さな幸せな家庭もまた、多くの帝国上層部の反感を買うこととなった。
――紀元X2910年 帝都 市場町
「これじゃ足りないわ。」女は夫から受け取った硬貨を見つめ、溜め息を漏らした。
「我慢してくれ。実績を積めば、皇帝ダルヴィウスから褒美がもらえる。」中年の男は答えた。鉄の鎧に身を包んでいた。
「ここ半年、ずっとそればかり言ってるじゃない。実績よりも、まず酒を減らしたらどうなの!」女は怒鳴った。
背には赤子を負っていた。家の中にはさらに三人の子供がいて、生活は苦しかった。
「三人の子供を育てながら赤ん坊の世話までしてるのが分からないの? 私の仕事だけじゃ足りないのよ!」女の声は続いた。
「うるさい! 俺が稼ごうとしてないとでも思ってるのか!」男も怒鳴り返した。
言い争いの原因は金銭問題だった。
「司官と結婚すればいい暮らしができると思ってたのに……どうしてあなただったのよ……」
男は堪忍袋の緒が切れた。
「……外に出てくる。」不機嫌なまま家を出た。
『あの恩知らずめ……俺は必死にやっているというのに……』
「おお、フィル隊長。これから巡回ですか?」
顔を上げると、そこにはガレスがいた。
「……ああ。お前たちは今戻ってきたのか?」フィルは尋ねた。
「はい。巡回を終えて、これから帰るところです。エリアンとタリアが待っていますから。」アルティアは答えた。二人の笑顔は輝いていた。
その笑顔はフィルの胸を針で刺すようだった。自分は彼らの上官で、地位も高いはずなのに生活は苦しく、対して貴族ですらない部下たちは幸福に暮らしていた。
「……家族に恵まれてるなんて、いいご身分だな。」フィルは小さく呟いた。
「お前たちも早く帰れ。それじゃあ、また明日会おう。」
「はい。ごきげんよう、隊長。」夫婦はそう答えた。
フィルは歪んだ笑みを浮かべながら、彼らの背を見送った。
『俺の一日はもう台無しだ……すべてお前たちのせいだ……許さん。お前たちが俺の功績を奪わなければ……お前たちが隊に入ってから、俺はすべてを失った……』
――
エリアンが八歳になった時、彼は初めての悲劇を経験した。それはあまりにも残酷で、八歳の少年には耐え難いものだった。
「父さん……起きて……母さん……どうして答えてくれないの……」
少年は声の限りに叫んだが、返事はなかった。
「彼らはエルサズの森の支配者との戦いに送られた。多くの兵が反対したが、フィル司官は『帝国のためだ』と言い張った。」ギリアン隊長は震える少年の肩に重い手を置いた。後悔に曇った瞳で。
「森の支配者を倒せば、新しい町が築けると彼は主張した。だが、今の戦力と資源では不可能なことは誰もが分かっていた。」
エリアンは虚ろな目を隊長に向けた。ギリアンの拳は悔しさに震えた。
「部下の隊長として、私は彼らの死に同じ責任を負っている。恨んでくれて構わない、エリアン。私は上官の決定を覆せなかった。その失敗は私のものだ。」
彼は片膝をつき、少年の目線に合わせた。
エリアンは首を振った。声は小さいが揺るぎなかった。
「ギリアン隊長のせいじゃない。エリアンは知ってる。あなたは良い人だ。いつも僕たちを支えてくれた。」
少年の言葉はギリアンの心を突き破った。涙が頬を伝い、彼は子供を抱きしめた。二人は涙が枯れるまで泣き続けた。
後にギリアンはエリアンとタリアを養子にと申し出たが、エリアンは断った。隊長の家族に迷惑をかけたくなかったからだ。代わりに、彼は都の屋台で働き始め、妹を支えた。
屋台の息子クラウスは、彼の一番の友となった。二人は共に遊び、働き、タリアの面倒を見た。
――
八歳のある日、エリアンは饅頭を売って屋台に戻った。正午、街は静かだった。主人は仕入れに出ており、クラウスが店を任されていた。
その時、エリアンは見た――この世界の現実を。
エルヴィアの下層では、帝国兵の横暴が囁かれていた。エリアンはそれを自分の目で見た。
クラウスは地面に倒れ、飼い猫を庇っていた。小さな体は打ち据えられ、血が顔を伝っていた。
「やめろ! 恥ずかしくないのか!」エリアンは木の棒を剣のように握りしめて叫んだ。
兵士たちは怒りの目を向けた。最も大きな兵士がエリアンの喉を掴み、持ち上げた。獲物を狩る獣のような目で睨みつけながら。
「お前は誰だ? 救世主か? 神か?」
重い声、圧力は許されなかった。エリアンは必死に手を掻きむしり、息を求めて藻掻いた。
「世の中の仕組みを教えてやろう。」
怒号と共に、兵士はエリアンを地面に叩きつけた。白い閃光が視界を覆い、意識が揺らぐ。
男は足を胸に押しつけた。
「この世にあるのはただ一つ――強者の生存だ。弱者は強者に仕えるためだけに存在する。」
何度も、何度も踏みつけた。
「どんなに足掻こうと、弱者には何も変えられない。お前たちの命には価値などない!」
クラウスは泣き叫び、飛び込んだ。
「やめて! 殺さないで! 僕が何でもするから!」
兵士たちは嘲り、隊長の怒りはさらに深まった。
「互いを庇うか……ならば見せてやろう。強者に逆らう意味を。」
血管が浮き上がり、怒りに燃えた顔。男は部下に命じた。
「脱がせろ。」
命令に、部下たちすら凍りついた。
「しかし……アジール隊長、相手はまだ子供です。これ以上は――」
アジールの拳が飛び、反論した兵士の口から血と歯が飛び散った。
「足りん! あの目の炎は消えていない。強者の恐怖を骨の髄まで叩き込んでやる。」
兵たちは立ち尽くした。恐怖と良心の狭間で揺れていた。
その時、冷たい声が空気を切り裂いた。
「弱者を虐げることでしか強さを示せぬなら、お前の存在そのものが穢れだ。」
アジールが振り向くと、七十を超える老人が路地に立っていた。
「爺……今なんと言った?」
老人の瞳は鋼のように鋭かった。
「お前の存在そのものが汚れていると言った。」
アジールが拳を繰り出す――
だが、その一撃は届かなかった。
老人は鋼よりも冷たい声で囁いた。
「七華蓮剣流――無刃の型:」
「枯華崩!」
瞬間、アジールの全身に赤い線が走った。胸、腕、顔、脚に鋭い切り傷が刻まれる。血が飛び散ったが、致命には至らなかった。苦痛の叫びが路地に響き渡った。
老人の目は兵士たちを一掃する。
「失せろ。」
兵士たちは即座に従い、壊れた隊長を引きずって去った。
半ば意識を失いながら、エリアンはその光景を見届けた。
――
数日後、クラウスの父の手当てを受けたエリアンは、あの老人を探しに出た。
十日後、ついに見つけた。老人はまるで何事もなかったかのように、都の下層を歩いていた。試しを経て、少年は弟子として迎え入れられた。
『弱者を決して見捨てない』という信念は、その後も何度も、何度も彼を窮地へと導いていくことになる。
Part : 2
――X2923年 現在、アウリアム鉱山・奴隷区画
「おい、エリアン……もう起きろ。採掘に行く時間だ。」
ツリエルは赤髪の少年を揺さぶったが、エリアンはわずかに身じろぎしただけで、眠気に沈んだ声をもらした。
「あと五分だけ、母さん……」
「母さん?! てめぇ、誰を母さん呼ばわりしてんだ、このバカ! さっさと起きろ! 役人どもに見つかったらムチ打ちだぞ!」
堪忍袋の緒が切れたツリエルは、エリアンを乱暴にひっくり返し、にらみつけた。
「お! おはよう、ツリエル。」エリアンは平然とあくびをし、ぼんやりした頭を振った。
「……俺は先に行く。」ツリエルはいらだちを隠さずに言った。
外に出ると、異様な光景が目に入った。奴隷区画はいつになく静かで、役人の数も少なく、その顔ぶれも見慣れぬ者ばかりだった。
『おかしい。いつもなら一分でも遅れればムチが飛んでくるのに……今は何もない。叱咤すらない。』
ツリエルの目が細まった。『それに……エリアンが昨日ヘイヴォルさんの採掘を終えて戻ったのも見ていない。いやな予感がする……』
「全員、中央広場に集まれ!」役人の怒声が響いた。
奴隷たちはぞろぞろと区画から出て、広場に集まった。エリアンは最後に姿を現し、眠たそうに目をこすりながら、のんびりとツリエルの隣に立った。
「昨日、東方兵舎が逃亡者に襲撃され、いくつかの文書が盗まれた。」
その一言に、奴隷たちの間にざわめきが広がった。
エリアンのあくびが途中で止まった。視線を動かす。
広場の中央に立っていたのは、これまで噂でしか聞いたことのなかった男――北方兵舎の隊長、アルゴン・コヤズだった。
鋭い眼光が広場全体を切り裂くように走った。次の瞬間、その視線がエリアンに突き刺さり、少年の呼吸が止まりかけた。
役人たちは淡々と、しかし慎重に言葉を選びながら続けた。
「現在、我々は調査を進めている。その間、誰一人として命令なく区画を離れてはならない。」
アシュリエルの名も、赤髪の少年の名も出なかった。言葉は具体的な名を避けていたが、その重圧は群衆を押し潰した。
奴隷たちは作業に戻った。エリアンは険しい表情を浮かべていた。いくつもの視線が絶えず彼に注がれているのを感じた。
「あの女の子、今日は採掘してないな? 何かあったのか?」ツリエルが尋ねた。アシュリエルの姿は東部の採掘区画にはなかった。
「……知らないよ……」エリアンは目をそらしながら答えた。
奴隷区画で共に暮らしてもうすぐ一年。ツリエルはエリアンの人なりをある程度把握していた。嘘を見抜けないほど鈍感ではない。
だがツリエルは黙っていた。自分の生存を第一に考える性格ゆえ、深入りしないと心が告げていたのだ。
唇を噛む。関わりを避けようとする自己保身の思考が、逆に不安を募らせる。
やがて休憩時間となった。エリアンはヘイヴォルさんのもとへ向かい、白鷲の翼のメンバーたちは中央広場から少し離れた場所に集まっていた。
北方兵士たちは二つの区域を同時に監視せねばならず、警備は手薄だった。
「文書は盗めたの?」サリルが尋ねた。
「……はい。これです……」アシュリエルは紙束を差し出した。
サリルとエゼルが内容を読み込む間、アシュリエルの視線は東方の採掘区画へと移っていた。
『……ダンザがあの赤髪に興味を示した。もし彼がここにいるのなら……やはりアウリアム鉱山には聖なる宝が眠っているのか?』
アシュリエルは足先で地面を小刻みにたたいた。
「今夜、必ず脱出するわ。どんな犠牲を払ってでも。」エゼルが低くささやいた。
しかしサリルは不安げに眉をひそめた。「違う……何かがおかしい。あの隊長はキャプテン・アシュリエルのことも、赤髪の騒動も知っているはず……」爪を噛む。
「なのに発表しなかった……何をたくらんでいるの?」
「あなたたちは今夜、本部へ戻りなさい。」アシュリエルが告げた。
「じゃあ、あなたは?!」サリルが声をあげた。
「私はあの赤髪の奴隷と、あの隊長を調べる。この鉱山の奴隷は神聖鉱石を掘らされていない……」
「掘らされた神聖鉱石はオルザマーの拠点に運ばれている。おそらくザルダンを製造する工場ね。」
エゼルの目が見開かれた。「もしそれが本当なら……俺たちは危険な状況にいるってことじゃないか?」
「だからこそ、あなたたち二人に戻ってほしいの。文書をラヴィウスに渡して。彼らならザルダンへの対抗策を見つけられる。」アシュリエルはエゼルの肩に手を置いた。
サリルは必死に訴えた。「それならせめて私も残る! 一人じゃ危険すぎる!」
「らしくないわね……あなた、私のこと嫌いじゃなかった?」アシュリエルはほほえんだ。
「それは……」サリルは言葉に詰まり、アシュリエルを見つめた。その瞳は東方区画を射抜いていた。
「心配しないで。策はあるわ。」アシュリエルはそう言い切った。
休憩が終わる。アシュリエルの視線は、相棒とともに採掘区画に現れた赤髪の少年に注がれていた。
――北方兵舎・隊長室
アルゴンは古びた書物をめくっていた。ページを繰るごとに笑みが広がっていく。そこには古代の挿絵が走り書きされていた。
「これだ……伝承は本当だったのか!」アルゴンは歓喜の声をあげた。
「ダンザ。」彼が呼ぶと、スーツ姿の男が虚空から現れた。
「ご用でしょうか、アルゴン隊長。」ダンザはつつましく頭を下げた。机の上の古書に目をやる。
「ブラックシャフトの全層を解放しろ。ついに見つけた……アーシアの地核に眠るものを得る鍵を。だがまずは、その鍵を試さねばならん。」
「……」ダンザは隊長の瞳を静かに観察した。『だからあの名を口にせず、白鷲の翼の潜入者も無視したのか……』
『アエルシアの聖なる宝に執着するあまり、敵を侮っている。』
「仰せのままに、アルゴン隊長。」ダンザは答え、再び姿を消した。
夜になり、エゼルとサリルは出口の門にたどり着いた。彼女の投擲が正確に番兵を倒す。
エゼルは明かりを避けながら外へ出たが、ふり返るとサリルが立ち止まっていた。
「あの外部の女……何かを隠してる。彼女は確信を得たのに、わざと私たちに言わなかった。評議会に命じられて隊に加わったこと、この鉱山の状況、隊長が名を伏せたこと……」サリルが低くささやく。
これまでの出来事が脳裏をよぎる。
「……聖なる宝。」
はっと気づいた。チャールズが聖なる宝に触れたときのアシュリエルの反応がよみがえる。
「ごめん、エゼル。あなたは戻って皆に報告して。私はアシュリエルを問いただす。彼女は私たちの知らない何かを知っている。」
サリルは駆け戻った。
エゼルはため息をつき、一人で駆け去った。




