獣人隊長ズカードとの激突
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Part : 1
紀元x2910年 オルザマー帝国首都――エルヴィア
「よく聞け、少年。この剣術こそ我が帝国の剣技の頂点だ。」
七十を越えた老人が、赤髪の八歳の少年に木刀を渡した。
「これで弱き者を守れるくらい強くなれますか?この世界は強者が支配し、弱者は誰にも守られない。」少年は老人を見つめた。
「俺は全ての弱者を守れますか?あなたは俺をそこまで強くしてくれるのですか?」
老人は長い髭を撫でながら少年の瞳を見た。一瞬だけ口元が緩んだ。
「尊い志だ……だが甘い。」
老人は上着を脱ぎ捨てた。痩せた体の筋肉が一気に膨れ上がる。
木刀を振る。風が生まれる。木で作られた人形に直撃した。
「どれだけ強くなろうとも、一人にできることには限界がある。」
さらに振る。突風が生まれる。
風は渦を巻き、嵐となって人形を粉々にした。
「世界中を守れるほどの力はやれん。だが目の前の者を守る力なら与えられる。」
嵐が止む。老人の声が低く響いた。
「この剣術の信条は三つだ。」
老人は少年を見た。
「困っている者を見捨てるな。弱者に背を向けるな。恐怖に屈するな。」
赤髪の少年の瞳が光った。彼はこの老人のように強くなりたいと思った。
「この信条を守れば、お前は目の前の弱者を守れる力を得られる。」
この日、エリアンは放浪の剣士の弟子となった。
学んだのは七華蓮剣流。
やがて帝国軍に入る力を得た。
だがその道は終わった。皇帝を斬りかけた罪で売られたからだ。
今、その教えが再び胸に響いていた。
彼の前に立つのは――第八世界からの侵略者。獣人の隊長ズカード。アウリアム鉱山の東区域を支配する者。
現代――アウリアム鉱山 獣人将校兵舎・東区
最初に動いたのはアシュリエル。二発の銃弾を撃った。
同時にエリアンが突撃。大剣を振り下ろす。
ズカードは床を踏み抜いた。
轟音。地面が揺れる。
アシュリエルの照準が狂う。弾丸は石壁に弾かれた。
エリアンも体勢を崩し、一撃が鈍る。
ズカードはエリアンを飛び越え、アシュリエルへ突っ込んだ。
「……女……」
涎を垂らし、低く唸る。
鉤爪が迫る。アシュリエルは素早く下がり避ける。
三発を撃つ。弾丸は爪で弾かれた。
エリアンが背後から斬る。
だが傷は浅い。怯ませることもできない。
ズカードの瞳はアシュリエルから離れない。
白銀の髪の少女を前に――その肉を引き裂きたい狂気だけに支配されていた。
『廊下は狭い……外には鉄の殻どもが待っている。打つ手が少ない。』
エリアンの思考が走る。
アシュリエルは撃ち続ける。だが避けるたびに体勢が崩れ、狙いが乱れる。
「広い場所が必要だ!」
エリアンは斬撃を浴びせ、ズカードを怯ませて叫ぶ。
「どこか広い場所はあるか!?」
「屋上。そこへ誘えば――!」
アシュリエルは答えた。だが獣人隊長が簡単に階段を通すはずはなかった。
ズカードは将校の死体を掴み、アシュリエルへ投げた。
彼女は咄嗟に受け止める。死者には銃を向けられなかった。
その隙。ズカードの爪が彼女の首を狙う。だが――
若者がいた。見落としていた。
エリアンが尻尾を掴む。
「奴はお前に執着している!俺が抑えている間に屋上へ行け!」
全力で引き戻す。
全身の力を込めても抑えるだけで精一杯。
アシュリエルは頷き、階段へ向かう。だが前に立ちはだかる影。
五人の将校。
全身を覆う制服。仮面で顔を隠し、帽子で耳を覆う。目だけが見える。
「ここは通さない!」
中央の将校が叫ぶ。アシュリエルはため息をついた。
「任務に縋っている場合じゃない。あの怪物はもう仲間を殺した。」
言葉は重く響き、将校たちを怯ませた。
互いに視線を交わす。そして“隊長”と死体を見た。
「あれが隊長だと?冗談じゃない。」
アシュリエルの声は冷たい。背筋に氷が走る。
ズカードの行いに、彼女も怒っていた。
同じ隊長として、許せなかった。
「隊長は部下を守る存在だ。仲間の無念を晴らしたいなら協力しろ。」
その言葉が火を灯す。復讐の炎。
「裏の昇降機を使えば屋上に行ける。」
一人が言った。銃口をズカードへ向ける。
「赤髪の奴隷、奴は俺たちに任せろ。俺たちも協力する……だから……」
その声は弱者の声だった。強者に虐げられた声。
エリアンはその表情を見た。
「ズカードの恐怖に終止符を打ってくれ。」
帽子が床に落ちる。銃声が轟いた。
その時、真実が明らかになった。
奴隷にされたのはオルザマーの民だけではない。弱き獣人たちも同じだった。
銃声が続く。エリアンは目を見開いた。
五人の耳には傷跡があった。裂かれ、焼かれ、残酷に刻まれた痕。
彼らもまた兵舎の奴隷だった。
エリアンは息を吸い込む。力を溜めた。
ズカードの足元をすり抜け、巨体の下を滑った。
体を崩し、巨躯が倒れた。
ズカードが床に叩きつけられる。
エリアンはアシュリエルと将校たちの元へ走った。
「一緒に来い。犠牲になるな。俺が奴を終わらせる。」
共に昇降機へ向かう。
背後でズカードが立ち上がろうともがいていた。
Part : 2
アウリアム鉱山。
かつてそこは、アエルシア最大の山脈――アウリアム山脈と呼ばれていた。
だが――この大山脈は、いま最大の危機に直面していた。
第八世界の侵略者たちがこの地を見つけた時、彼らは「神聖鉱石」を発見した。
そしてオルザマー帝国の王族に提案を持ちかけたのだ。
――我らがこの世界を攻め滅ぼさぬ代わりに、アウリアムの神聖鉱石を掘り出させろ。
――帝国を守ってやる代わりに、そなたらの民を奴隷として売れ。
それが「取引」だった。
第八世界の者たちはアウリアム山脈を占領し、彼ら自身の都合に合わせて作り変えた。
その名は「アウリアム鉱山」と改められた。
鉱山はこうして分けられた。
――十九の採掘区(さらに小区画に分割)。
――三十の奴隷宿舎(奴隷が眠る場所)。
――三つの主要区域(東・北・西)。
それぞれの区域の最奥には兵舎が設けられ、そこに駐留する隊長が神聖鉱石の採掘の進捗を監督していた。
さらに各区域には二機のザーダンが配備され、威圧の象徴として置かれていた。
昼から夜まで採掘を監視する将校は常に五十名ほど。
だがその全容は不明であった。多くは兵舎に籠もり外に出なかったからだ。
――アウリアム鉱山・北部兵舎 三階・隊長室。
「アルゴン隊長。獣人将校兵舎・東区からザーダン出撃の報告が届いております。」
深緑の制服に身を包んだ将校が、北部兵舎の隊長に報告した。
その獣人はコヨーテ族のカニン・サピエンス。
黒く染まった尾の先。琥珀色の瞳。赤褐色の髪と耳。
部下と同じ制服を纏っていたが、一つだけ違うものがあった。
背に羽織った、威厳を示す軍装の外套。
そして鼻梁にかけられた黒縁の四角い眼鏡。
「……何のためだ?」
アルゴンは問いかけた。
声には穏やかな調子が漂っていた。
手には本を持っている。
「奴隷が、獣人将校兵舎・東区の精鋭将校を何人も倒したとのことです。」
その言葉に、アルゴンは本を閉じ、立ち上がった。
「詳しく話せ。」
口元には愉悦が浮かぶ。
将校は東区から届いた報告を語った。
アルゴンは手の中の小さなビー玉を弄びながら、耳を傾ける。
「……面白い。」
低く呟くと、笑みが広がった。
「すぐに四名を集めろ。一階で待機させろ。」
「了解しました!」
将校は敬礼し、駆けていった。
――やはり、いたか。
アルゴンの頬がわずかに緩む。
やがて一階には四人の将校が集った。
アルゴンは階段を降り、長剣のような軍刀を携えて獣人将校兵舎・東区へと向かう。
ザーダンの操縦士たちは、その姿に気づいた瞬間、機体を膝立ちにして恭順を示した。
「何故、東区でザーダンが展開されている?」
アルゴンの声は威圧を孕み、操縦士の動きを止めた。
「……区域に異変がありまして、隊長。」
右側の操縦士が答える。
「ご覧の通り、我々の部隊は……」
言葉を濁す。
奴隷一人に将校が敗北した事実など、口にできるはずがなかった。
「我々の部下は……赤髪の奴隷に敗北しました。何度も逆らわれ、止めることができず……やむを得ず……!」
左の操縦士が言いかけたとき、体が硬直した。
「奴隷一人に、我らが最強の兵器を持ち出したと?」
アルゴンの声が鋭く切り裂いた。
背後の将校たちが、嘲笑を漏らす。
「ズカードの許可は得たのか?」
操縦士たちは凍りついた。
沈黙は恥を深めるだけ。だがアルゴンの視線は答えを要求していた。
「い、いえ……隊長。ただ……」
右の操縦士が震える声で答えた。
「奴隷があまりに危険で……ザーダンの投入しかないと……!」
左の操縦士が続ける。
アルゴンの表情は冷徹だった。
だが胸の奥では、強い興味が芽生えていた。
「愚か者ども。さらなる恥を晒すな。ザーダンを格納庫へ戻せ。」
「し、しかし――!」
抗弁しかけた操縦士は、そこで口を閉ざした。
一言の失言で、この男は即座に命を奪う。
背後の部下たちに命じ、操縦席の窓を蜂の巣にすることなど容易い。
何より――彼が携えるその剣は。
ただの剣ではない。
ザーダンの技術すら凌ぐ、異質の造りを宿していた。
「……了解しました、アルゴン隊長。」
獣人将校兵舎・東区のザーダンは、静かに後退していった。
アルゴンの視線が獣人将校兵舎・東区を巡る。
そこには精鋭将校たちの死体が散乱していた。四分の一がすでに息絶えていた。
彼は屈み込み、死体を調べた。
『奴隷の仕業とは思えんな……銃痕、鼻骨の破砕、脚の切断……大半に刀傷……剣を使ったか。』
アルゴンは立ち上がる。
「夜明けまでに片づけろ。」
彼に従う将校たちは敬礼し、北部兵舎へ戻って清掃要員を呼びに行った。
やがて彼は一人残った。
アルゴンの視線が闇に向かう。
「……気づかれたか?」
エゼルが身を竦めた。
サリルは即座に反応し、若者を引き寄せ、岩陰へと隠した。
彼女はそこでエリアンの戦いを見ていたのだ。
「戻るぞ、エゼル。」
彼女は囁き、手を引いた。
最後に振り返った時、闇に浮かぶ隊長の輪郭が遠くに見えた。
「ふん……正体は分からん。だが、ズカードが欲していた女か、それとも赤髪の奴隷に繋がる者か……」
威厳の仮面が崩れる。
アルゴンの顔に、薄気味悪い笑みが浮かんだ。
「……面白い。」
彼は北部へと歩き去っていった。
――獣人将校兵舎・東区 屋上。同時刻。
昇降機を抜け、アシュリエルとエリアンは屋上に辿り着いた。
五人の獣人将校も共にいた。
彼らは三つの部族に属していた。
顔に傷痕を刻んだ二人はパグ族。小柄で、鼻の潰れた獣の特徴を持っていた。
頬に焼け焦げた痕を残す二人はブルダニック族。丸みを帯びた体型に、短い尾を揺らしていた。
最後に中央に立つのはチワワ族の若者。最も背は低いが、大きな瞳は鋭い光を放ち、耳の先端は切り落とされていた。
「お前たちは後方に下がれ。女を援護しろ。銃が得意なようだな、持てる武器を使い切れ。」
エリアンの声は命令の響きを持っていた。
「誰がお前を指揮官にした?」
アシュリエルが眉をひそめる。
しかし――
「奴の狙いはお前だ。この状況で、指揮を執って勝てるのか?」
エリアンの言葉は容赦がなかった。
アシュリエルは顔を背ける。現実を突きつけられたからだ。
「……お前に他者を率いる力があるのか?」
「心配するな……俺はかつて――」
言いかけた時。
屋上の階段口から血塗れの獣が現れた。
赤黒く染まった毛並み。膨れ上がった巨躯。――ズカードだった。
「下がれ!」
エリアンの声に、アシュリエルは渋々従った。
五人の獣人が彼女を庇うように並ぶ。
次の瞬間、獣の爪が襲いかかる。
エリアンは大剣で受け止めた。
屋上を駆ける巨体。
標的をアシュリエルと五人の間で切り替え、爪を振るう。
だがその一撃ごとに、エリアンの剣が立ちはだかった。
鎖の重りに足を縛られ、動きは鈍い。
それでも彼は体重を利用し、獣の顔面へ一撃を叩き込む。
大剣の弧が唸りを上げ、ズカードを後退させた。
一瞬の静寂。
五人の獣人は恐怖に震えていた。アシュリエルの胸にも動揺が広がっていた。
『聞いていた話と違う……サリル、私をここへ“晒す”ために送ったの? 正体を言わなかった罰として? 』
『……違う。あの人も、女が東区に呼ばれた後で消える“噂”しか知らなかったはず……ズカードの本性までは――』
「怯むな!」
エリアンの叫びが響く。
「俺の指示に従え!」
彼の視線はズカードだけを捉えていた。
深く息を吸い、目を閉じ、吐く。圧力が抜け、世界が静まり返る。
エリアンは大剣の縁で足の鎖の錘を外した。
視線を上げ、獣を見据える。
「やっと俺を見たか、狂った獣……」
「……男……血……いらぬ……」
「へえ、俺の血は女の何百倍も甘いぞ?」
挑発の言葉。アシュリエルは息を呑む。
怒声をあげ、ズカードが跳んだ。
エリアンが手を上げる。その動きに合わせてアシュリエルと五人の銃口が揃う。
「撃て!」
銃声。爪で防ぐ獣。
「やはり前ばかりを守るか……背には傷が通じん!」
エリアンが踏み込み、大剣を振り下ろす。
金属の衝突音。火花が散る。剣と爪が幾度もぶつかり合った。
獣の腹に蹴りを叩き込み、エリアンはその体を蹴台にして宙返りした。
「撃て!」
銃声は――鳴らない。
手で合図していなかったからだ。
「七華蓮剣流――二ノ型。」
大剣を構えた。右手で握り、両手で添え、刃を横に傾ける。
「山断ち。」
振り抜く。爪が、斬り裂かれた。
「今だ!」
再び手が振られる。銃弾が獣を狙った。
避けるズカード。だが眼前には――赤髪の奴隷。
「終わりだ。」
斬撃が奔り、肉体を切り裂いた。血飛沫が舞う。
倒れ伏す獣。エリアンの大剣が、その心臓を貫いた。
「……終わったか。」
アシュリエルは息をついた。
だが――彼の顔に浮かんだのは、勝利の笑みではなかった。
「……ほう。これは予想外だな。実に面白い。」
声が響く。コートを纏い、背広を着た男。――ダンザ。
アシュリエルは即座に撃った。だが弾丸は指で挟み取られた。
「再会を喜ぶ時ではない、アシュリエル嬢。」
指を鳴らす。アシュリエルと五人の獣人が眠りに落ちた。
「何をした!?」
疲弊したエリアンが叫ぶ。
「心配するな。ただ眠らせただけだ……今は俺と“こいつ”の邂逅を邪魔されたくはない。」
ダンザは片膝をつき、エリアンの瞳を覗き込む。
『赤い髪……青い瞳……既視感……』
「まさか……解放者の末裔か?」
記憶を必死に探る。
「いや……あの時、至高王が一族ごと葬ったはず……」
再び指が鳴った。エリアンの意識が闇に沈む。
ダンザはアシュリエルを一瞥し、改めて少年を見下ろす。
「偶然か、あるいは“世界の意思”か……面白い。」
見えぬ力で二人の体を宙に浮かせる。
「ズカードは死んだ……俺は監督の務めに戻る。
アエルシアの運命――“こいつ”は変えられるのか?」
影が広がり、ズカードの亡骸を呑み込んだ。
ダンザは二人を伴い、闇の中へ消えていった。
今回でズカードとの戦いは一区切りとなりました。
しかし、彼の死は新たな謎と不穏さを呼び込むことになります。
アルゴン、ダンザ――そしてエリアンの正体。
物語はさらに深みへと進んでいきます。
楽しんでもらえたなら嬉しいです。
ここからもっともっと面白くなっていくと思うので、ぜひ楽しみにしていてくださいね!