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潜入と出会い

© 2025 秋野 龍. All rights reserved.

Part : 1

人間とは、本来、穏やかで、寛容な生き物だ。

争いを嫌い、静かに暮らし、他人に迷惑をかけずに生きようとする。


――だが。


欲望が芽生え、野心が膨らみ、そして“力を失う恐怖”が心を蝕むとき。

どんなに優しかった者でも、簡単に変わる。


抑圧者となり、

暴君となり、

やがては悪そのものとなる。


ためらいもなく、自らの民を裏切り、

正義は踏みにじられ、

不正が常識となり、

死すらも、ただの「数字」へと変わる。


そして――


それでもなお、正義を信じる者たちが沈黙を破るとき、

そこに残るのは交渉でも、妥協でもない。


それは、“反乱”だ。

それは、“革命”だ。


《アエルシア》。

この地においても、その火種は確かに灯されていた。


傀儡帝国の靴音と、異界からの統治が続く中――

反乱組織《白鷲の翼》が、静かに、しかし確実に、牙を研いでいた。


その分隊の一つが、今、動こうとしている。

目指すは、《アウリアム鉱山》への潜入。


地中深く、命をすり減らし働かされる奴隷たちを、

この手で、自由へと引き戻すために。


アシュリエルは、朝の訓練と射撃練習を終えた後、自室へ戻る途中だった。

濡れた白金の髪が背に張りつき、汗が肌を滑る。

タオルで額を拭いながら、無言で廊下を歩く。


「おやおや……評議会の飼い犬じゃねぇか」


その声に、足が止まる。

振り返ると、そこにいたのはルイス。

第二支部の四隊長の一人。

橙色の髪と、鋭い鷹のような眼光が、彼の存在をより攻撃的に見せていた。


アシュリエルは、表情を変えずに踵を返し、歩き続ける。


「……チッ」


舌打ちが背後で響いた。

次の瞬間、ルイスが彼女の前に立ちはだかる。


「ここのルールも知らねぇで、よく偉そうに歩けるな?

年上には敬意を払う……お前の世界じゃ教えねぇのかよ」


「これより任務の説明があります。失礼します」


静かで、硬質な声。情がないのではなく、最初から“感情”という要素が削ぎ落とされている。

その対応が、逆にルイスの神経を逆撫でした。


「なめてんのか、テメ――」


彼が肩に手をかけようとした、その瞬間だった。


ドンッ!


重い音が廊下に響いた。

何が起こったのか――彼自身すら、理解できていない。


天井を見上げながら、ルイスは動けずにいた。

背中に伝わる冷たい石床の感触だけが、現実だった。


アシュリエルは、振り返らない。

無表情のまま、その場を去ろうとする。

まるで――


「その程度の動き、“反射”で対処できる」


そう言っているような、背中だった。


温めた身体をシャワーで洗い流し、髪を乾かす。

手早くポニーテールに結い上げると、数本の前髪が頬にかかり、冷たい瞳を和らげた。

制服を整え、左腕にある《白鷲の翼》の紋章を軽く指でなぞる。

その目に、戦場の冷徹な光が宿る。


会議室には、チャールズ、サリル、エゼル、そして三人の隊長が揃っていた。

無論――ルイスの姿もある。

先ほど床に転がったとは思えぬほど、いつもの態度で壁にもたれていた。


「司令、あの子が……」


サリルの隣で声を上げたのは、両側の髪をお団子に束ねた少女。

彼女の名は、ランフラン。支援部隊を率いる、機転の利く明るい女性だ。


「アシュリエル、彼らはそれぞれの部隊を預かる隊長だ」

チャールズが手短に紹介する。


「ランフラン――支援部隊。

隣はラヴィウス。技術と解析を任されている。

そして……ルイス。前線部隊のリーダーだ」


アシュリエルは、背筋を伸ばして一礼する。

「本日より、任務をご一緒させていただきます。よろしくお願いします」


「……やってられねぇな」

ルイスが、吐き捨てるように言う。


「なんで司令は、評議会の小娘を引き入れたんです?」


アシュリエルは無言のまま。

チャールズの目が細くなる。

その空気に、会議室が一気に静まり返る。


「……ルイス」


その一言に、含まれる威圧は絶大だった。

「これは任務会議だ。私語も、私情も、持ち込むな」


ルイスは無言でうなずき、一歩下がる。

チャールズに逆らえる者など、ここにはいない。


チャールズは卓上の端末に触れた。

テーブル中央に浮かび上がったのは、鉱山の立体地図。

複雑に入り組んだ坑道、敵の配置、監視の動き――すべてが精密に表示されていた。


「アシュリエルにはすでに基本情報を伝えてある。

任務は、敵勢力の潜入調査と情報収集」


アシュリエルは、ラヴィウス隊長から渡された端末を開き、各班に割り当てられた任務にざっと目を通した。


「それに加え、奴隷の救出と、合流ポイントの確認。

三人の隊長がどう支援に回るか――それを今から決める」



Part : 2

「お兄ちゃん、約束して……父さんや母さんみたいに、私を置いていかないって。」


膝を抱えたまま、エリオンは胸の奥にこみ上げる痛みに耐えていた。

夢の中、小さな少女の影が、遠くで揺れる炎のようにかすかに揺らめく。


「なんで奴隷になったの? どんな罪を犯したの? ねえ……お兄ちゃんも、私を置いていっちゃうの?」


身体が震え、喉はからからに乾き、言葉が出てこない。

眠っているはずなのに、その痛みだけは消えなかった。


「嘘つき……お兄ちゃんは、嘘つきだ。」


「待って……タリア……!」


叫びと同時に、エリオンは飛び起きた。

伸ばした手の先に、少女の姿はもうなかった。

全身は汗に濡れ、胸が激しく上下している。


隣の寝台でツリエルが身を起こした。

「また……あの夢か?」


「……ああ。起こして悪かった。」

エリオンは前腕で額の汗を拭った。


ツリエルは欠伸をしながら布を放る。

「気にすんな。最初はちょっと驚いたけど……今は、お前がずっと抱えてきたもんだってわかってきた。」


エリオンは黙ってうなずき、布で顔を拭った。


「……今日もヘイヴォル爺さんの代わりか?」


「数日前に怪我をしたままだ。俺が行かなきゃ、また獣人どもに殴られる。最悪、殺されるかもしれない。」


ツリエルは深く息を吐いた。

「なら、もう少し寝ようぜ。まだ時間はある。俺のノルマが早く終わったら……手伝いに行く。」


「……ありがとう。」


日の出まで二時間もなかったが、それでも二人は再び眠りについた。


朝は容赦なく訪れる。

鋭い笛の音が、奴隷たちの眠りを無理やり断ち切った。

休息などという贅沢は、与えられない。


怒声が飛び交い、作業区の割り当てが告げられる。

エリオンとツリエルは東区に配属された。


第一シフトは朝六時から十時までの四時間。

アウリアム鉱山の深部に眠る神聖鉱石を掘り起こす重労働が始まる。


作業が終わると、パン二切れと水筒一本、そして二十分の休憩。

続く第二シフトは十時二十分から十二時二十分までの二時間。


昼休憩には、残ったパンを食べたり、仮眠を取ったりする者が多い。

だが、エリオンはその時間を使ってヘイヴォルのもとを訪れた。


「ヘイヴォルさん、体調はどうです?」


声に応じて、痩せた老人がゆっくりと身を起こす。

「……またお前か。こんな老いぼれのために、貴重な休憩を無駄にするな。」


苦みと諦めが混じった声。

奴隷として五十を越えれば、生きながら死んだ者のように扱われる。


胸元まで垂れた白髭、ほとんど抜け落ちた髪。濁った瞳は半分ほどしか開いていない。


「義務で来てるわけじゃありません。ヘイヴォルさんの話、俺は好きなんです。食べながら聞くと……少し落ち着く。」


「年寄りの戯言だとは思わんのか?」


「本当かどうかはわかりません。でも、いい話ですよ。」


ヘイヴォルは小さくため息をついた。

「……そうか。じゃあ今日はどの話を聞きたい?」


「剣の伝説を。あの、石から伝説の剣を引き抜いて王になった戦士の話。」


「おお、あれか。故郷の子どもたちも大好きだった。」


二人はまるで祖父と孫のようだった。

かつてヘイヴォルは街角の語り部であり、その声には今も物語のリズムが宿っている。


「ある古代の採石場の壁画に刻まれていたという……ログレスという地に、一人の戦士が生まれ……」


語りが始まり、エリオンはパンをかじりながら耳を傾けた。


休憩の終わりが近づくころ、ツリエルがやってきた。

「……運命と出会ったその瞬間、世界は変わった。戦士は剣を手にし、王となった。」


「運命、ね。本当にそんなものがあるのか?」

ツリエルの声には疑いが混じっていた。


異世界からの侵略者のために鉱石を掘る日々に、「運命」などという言葉はあまりに滑稽だった。


「もう行こう。休憩が終わる。」


「はい。ヘイヴォルさん、また明日来ます。ゆっくり休んでください。今日の作業は俺がやります。」


立ち上がろうとしたそのとき――

「……エリオン。」


呼び止める声。

二人が振り返ると、濁った瞳に不思議な光が宿っていた。


「……誰にでも、自分の運命を掴む瞬間が来る。お前の時も必ず来る。忘れるな――この鉱山が、お前の死に場所じゃない。」


その言葉が重く空気に沈んだ。

二人は顔を見合わせた。


ヘイヴォルがこんなふうに語るのは初めてだった。

だが、もう時間はなかった。


東区へ戻ろうとする途中、群衆の中に妙なざわめきが広がった。

「……新入りの奴隷、二人は女だってよ。」


犬の耳を持つ獣人の監視官が、耳をぴくりと動かしながら言う。


「マジか。そろそろ到着する頃だな。広場、見に行こうぜ。」


「女……? そんなはずないだろ。」

ツリエルが鼻で笑った。


「帝国が女を奴隷に売るなんて、よほどの罪人でもない限りない。貴族どもがいい女は全部囲ってる。」


彼は首都の生まれだった。

腐りきった貴族の現実を、誰よりも知っている。


「エリオン、行くぞ――」


だが、エリオンは立ち止まっていた。

「……お前も気になるのか?」


「そうじゃない。ただ……」

言葉が詰まる。


ツリエルはため息をついた。

「……ちょっと見るだけだ。群衆に紛れりゃバレねぇよ。」


「……いいのか?」


「ああ。もしかしたら、売られた家族がいるかもしれない。それを確認できるチャンスだ。」


広場――アウリアム鉱山の中心にある、新入り奴隷の配属を決める場所。

十九の鉱区へ振り分けるため、獣人の監視官たちが列を作っていた。


エリオンとツリエルは、人垣の隙間から様子をうかがった。

軍用車両から、次々と新たな奴隷が降ろされていく。

どの顔にも、生気はなかった。


だが――


彼女を見た瞬間、時が止まった。


服はぼろぼろ。

それでも、不思議な清潔感があった。


白金の髪が陽光を受けて揺れ、光の糸のように輝く。

そして、その瞳――奴隷のそれではない。

鋭く、警戒心に満ち、意識がはっきりしていた。


彼女は群衆を見渡し――エリオンと目が合った。

その瞬間、エリオンの中で何かが響く。


遥か昔から魂の奥に眠っていた声が、再びささやいた。

「原初の世界は、もはや存在しない。お前が、それを一つにまとめろ。」


今回は、第一章より少し長めになってしまいました。

できる限り内容を削ったつもりですが……楽しんでいただけていれば幸いです。


これで、物語の二人の主人公がついに同じ場所に揃いました。

ここからが、本当の物語の始まりです。


次回は、激しい戦闘が繰り広げられる展開をお届けしますので、

どうぞご期待ください。


改めまして、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

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