第九話 薄明の刻
目を覚ましたとき、ソルは涙を流していた。
――暖かな陽射し。
窓の外では鳥がさえずり、風が木々を揺らしている。
それは、確かに“現実”の世界だった。
昼の神殿。太陽の民としての居場所。
(ヨゾラ……)
彼女の姿は、どこにもなかった。
けれど、確かに彼の心の奥には、あの星の箱庭で交わした最後の“ぬくもり”が残っていた。
時間は流れていた。
世界は、何もなかったかのように動き続けていた。
ただひとつ、変わったことがあった。
それは――空の“異変”。
太陽が沈む黄昏時。
かつて夜の帳がすぐに落ちていたこの世界で、
“ひとときの明るい夜”が現れるようになった。
薄い青と金の混じる空。
星がまだ顔を出さぬまま、空に留まり続ける太陽の光。
人々はその時間をこう呼ぶようになった。
“薄明の刻”――
昼と夜がほんのわずかだけ重なる、年に一度の奇跡。
それは、ふたりが別れた“あの夜”から、ちょうど一年後だった。
ソルは、再び“あの丘”を訪れていた。
草は伸び、花は咲き、空にはかすかな星の影があった。
「……ここに、君がいたんだよね」
彼は空を見上げた。
答えはなかった。
けれど、風がそっと頬をなでていく。
まるで――“誰か”が返事をしてくれたかのように。
風がやんだその瞬間――
ソルは、聞き覚えのある歌声を耳にした。
♪ ひとつ、ふたつ、夜に灯るは ひかりのこえ……
その旋律は、風の音と混じりながら、確かに丘に満ちていく。
懐かしい歌。
あの夜、星の箱庭で聞いたヨゾラの歌。
「……ヨゾラ?」
ソルが振り返った先には、誰もいなかった。
けれど、空の色が変わりはじめていた。
太陽が地平に触れ、星がゆっくりと瞬き始める。
光と闇の境目――“薄明の刻”が訪れていた。
そのとき。
丘の向こう、風に揺れる草の中に、
誰かがそっと立っていた。
白い服。長い髪。
そして、手には小さな“サリアの花”。
「……ソル」
その声は、確かに“彼女”のものだった。
「……夢じゃ、ないのか」
ふたりは、ゆっくりと歩み寄る。
どちらも、涙をこぼすことなく。
ただ、そこにいることだけを、確かめるように。
「わたし……もう星の巫女じゃないの」
ヨゾラは、静かに微笑んだ。
「封印が解けたの。星々が、“もう選ばせないで”って……願ってくれた」
ソルは、彼女の手を取る。
もう、離さないと心に誓いながら。
「また会えたね」
「……うん。また会えた」
ふたりの影が、薄明の光の中でゆっくりと重なる。
世界はすぐに、昼と夜に分かれてしまう。
けれどこの時間だけは、誰にも邪魔されることのない“ふたりだけの空”。
それは、再会ではなく――
“約束の続き”だった。