表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

One by one carefully

作者: 猫宮いたな


新潟市 新人大会 サッカー競技大会 決勝

後半四十四分三十秒。

 スコア 三‐四


(こう)ちゃん‼ 決めろ‼」

 パスを託されたのは、宇佐美(うさみ)(こう)。新潟第一中学校のサッカー部の部長。

 残り時間から、逆転するには、ここでシュートを決めるしかない。

 ゴールに向かって、シュートを放つ。

 それは、弧を描き、得点になるはずだった……


 相手、キーパーに阻まれて、球は弾かれた……



 俺は今、新潟南高校のサッカー部に所属している。

 でも、俺はサッカーが嫌いだ。中学最後の大会、最後のシュート、俺はそれを外した。


 失敗して自分への怒り、チームメイトから向けられる怒り、失望……。

 それが、もう辛くて、耐えられなくて……。俺はサッカーが嫌いになった。

 じゃあ、なぜサッカーを続けているのか。


 理由は一つ、サッカーを諦められないから……。

 サッカーは嫌い、もうやりたくない。でも、サッカーで、みんなと勝つ瞬間をもう一度見たい。俺の人生はサッカーに毒されている。


 今日もまた、俺はシュートを狙う。一本、もう一本。もう一本。

 何度も何度もシュートを放つ。一人で延々と……。



 とある試合の日。

 俺はセンターフォワード。攻撃の要。コートの中心で一人、チームを導く。

 前半三十八分。俺のもとにシュートチャンスが訪れた。

 ゴールキーパーと一対一。ゴールまで約十m。


 あの練習が俺の背中を押す。目の前に映るのは、一本の道。

 ゴールの右上。スピード全振りの全力のシュート!


 「決めろ!紅‼」


 その声に、期待に。信頼に。呼び起される、あの時の、中学の記憶が呼び起される……。


――お前はチームの癌だ‼


 ……俺は逃げた。仲間にシュートを託し、パスを回した。

自分で自分の首を絞めるような、苦しみの中。

 もう、俺には、無理なんだ。

 心の中に湧いて出てきた闇。俺の世界はもう真っ暗だ。


「ナイス、パス‼」


 コートに響いた、一人の声。

 そいつは、笑顔で。楽しそうに。シュートを放つ。

 相手からしてみれば、予想外のパスと、強烈なシュート。

 そんなの防げる訳がない。


 前半三十八分。1―0。


 その後、七分。両チーム譲らず、一進一退の攻防を繰り返し、前半戦が終わった。



 前半戦が終わり、ハーフタイム。


「なんで、あそこでシュート撃たなかった」

「たまたま、中村がいたからよかったけど、本来ならお前が決める場面だったぞ」


 地獄の空気。責任から逃れた責任。逃げた俺への怒り。

 目の前に映る景色は、あの頃と同じ。

 ドロドロと溶けて、ジンジンと刺さる。そんな様な心の苦痛が、全身に広がって、体が動かなくなるようだ。


「みんな、やめてくれ」


 静かな、囁くような、小さな声。けれど、それでもその声は空間を支配する、絶対的な強さを持っていた。


「紅は、俺のことが見えていた。だから、パスをくれた。こいつは悪くない」


 声を上げた中村。中村(なかむら)(しろ)。中学からの付き合いで、俺と一緒にサッカーを続けてくれる、大切な友達。そして、このチームのエース。中村に託せば必ず決める。それほどのまでの才能。


「まあ、中村がそういうなら……」


 中村の吐いた嘘に、また全身に痛みが走る。

 人のために吐いた嘘。献身的で、善意にあふれていて、それでいて、人を傷つける偽善だらけの言葉。


 でも、中村に悪意はない。中学の出来事を知っているから、俺が逃げたことを知っているから。だから、この痛みも、苦しみも耐えることができた。


「怖いかもしれないけど、次は逃げるなよ。ミスっても、俺が決めてやる」


 中村は、俺のことを信頼している。期待している。人一倍、人百倍。

 過去を知っているからこそ、俺という存在を知っているかこその、信頼。

 だからこそ、逃げれない。

 たくさんの重責と、向けられる感情。その全てを抱えて、後半戦に臨む。



 後半戦五分。中村の攻撃を中心に、ゴール前まで押し込んだ。

 チームメイトはみんな、中村が決めてくれる。そう思っているだろう。


「紅!」


 コートの端から、端まで目一杯のロングパス。

 普通ならやるはずのないパス。

 相手も、味方も、俺以外の全員が呆気にとられるそんなパス。

 俺なら決めるという、絶対的な信頼。そこから生まれる重圧。


「決めてやる……」


 放たれたシュートは、ゴールの少し上を掠めて、外れてしまった。

 だけど、今のシュートは、久しぶりにトラウマを忘れることができた。


「どんまい、まだ次のチャンスあるよ」


 中村は笑顔でそう言ってきた。中村の笑顔は不気味で、恐怖に包まれて、逃げた方がマシとまで思えてしまう。


「お前が決めるまで、俺はお前にまわすからな」


 こいつは、味方なんかじゃない。敵だ。

 その後も、中村は延々と俺にパスし続けた。どんな状況だろうと、関係なく。 

 そのたび、俺はシュートを放つ。でも、決めきれない。

 

 理由はわかる。どれだけ、中村からの信頼があっても、心の底のあるトラウマに勝てない。



 昔読んだ漫画にこんなセリフがあった。


「ゴールまでの道を一つづつ、丁寧に進む、そこに近道も遠回りもない」


 それを、読んだのは小学生の頃。当時は意味も分からず、ただ普通に読んでいた。

 でも、今ならわかる。

 そして今度は、それを実践する番。


「紅、そろそろ決めてくれよ?」


 後半戦も終盤。1―0 のまま試合は進み、残り5分で、俺たちの勝ちが決まる。

 ……俺に、一つ言いたい。それで本当に勝ちと言えるのか?


 中村からの圧を受けて、あそこまでのチャンスを手にしたうえで、俺は一得点も取れていない。それでいいのか? 否! いいわけないだろ!

 トラウマも、圧も、信頼も、焦りも。その全ては俺を苦しめる、毒だ。


 毒を喰らって、俺は進む……


 別に、何か特別な変化があったわけでも、人格が変わったわけでも何でもない。

 ただ、極度の負の感情が己を動かす力となったのだ。


「次、俺に回してくれ」


「りょーかーい」


 昔の俺にできて、今の俺にできない訳がない。

 試合が再開し、相手ボール。相手は負けたくないという焦りから、力強いプレーになっている。チームプレイであることを忘れ、個々にチャンスを作りに行く。


 しかし、サッカーはチームプレイだ。一対十一の圧倒的人数差に勝てるはずがない。

 中村はいともたやすく、相手の足元にあるボールを自分のものにした。


「紅ちゃん!」


 中学ぶりに聞いた、その呼び方に背筋が凍るような嫌な圧がかかる。

 自分で求めたんだから、決めなきゃ殺す。とでもいうような、圧が。

 でも、その圧が、俺の背中を押す。

 一点でも取らんとする、相手の有象無象。その間を一つ一つ、丁寧にすり抜ける。

 もともと、俺はシュート以外なら、そこらへんの高校生より強いんだよ。

 ぐんぐんと、前に進み。残るのは、目の前にいる、キーパー一人、つまり……

 シュートを決めるだけ。まだ、正直怖い。もしミスをしたらなんて考えてしまう。


 ――ビビっている俺に、存在価値なんてあるのか


 一つ一つを、丁寧に。シュートのコースの確認。助走に、周囲の状況の確認。


 フォームを正して、呼吸を整える。すべてを完璧に行い、シュートを放つ。


 そのボールがゴールに届くまでのその時間はひどく長いものに感じられた。

 俺がサッカーを始めたあの日の事、中学で主将に選ばれた時の事、中学最後の大会でシュートを失敗した時の事。


 今思えば、サッカーは俺の人生そのもので、常にサッカーをしている自分がいた。

 過去のトラウマは簡単には消えない。きっとこれからも、俺を苦しめるのだろう。


 それがどうした! 俺はもう負けない。


 完璧なシュートは、あの時と同じ、ルートで弧を描き、ゴールネットに収められる。

 このシュートは、俺が前に進む。その始まりの一本だ。


 「ナイス、シュート」


 ……こいつには、感謝しないとな。

 いつのまにか、忘れていた。こいつが、中村が俺と同じ、この高校に来た理由を。

 こいつは、こいつだけは、あの時俺を守ってくれた。信じてくれた。

 ずっと、あの時から信じ続けてきてくれた。

 こいつに送るのは、ありがとうなんかじゃない。


「ナイス、アシスト。相棒」


 俺は一人じゃだめだ、だからこいつがいる。

 こいつが一人の時は、俺がいる。

 そうやって、今までサッカーをしていたのにな。


「まだ、試合は終わってない。残りの1秒まで攻めるぞ」


「もちろん」


 あの時、俺は傲慢だったのだ。チームのリーダになれたことに天狗になって、中村の力もあって手にしたことも忘れて。 

 でも、もう俺は大丈夫。こいつがいるって思えば何でもできるんだ。


 試合再開のホイッスルがコートに響く。俺と中村は一緒になってボールに向かって駆けだした。まるで、子供のように。


――お前らって、仲もいいし名前も紅白で、相棒って感じだよな。


 俺が、相手から奪ったボールを中村にパスする。

 中村は、高校生離れしたドリブルで、一人、また一人と抜いていく。


 そして、中村がパスを出す。そして、俺が決める。

 俺たちは、きっとこれから、たくさんの壁にぶち当たるだろう。それでもきっと大丈夫。

 俺たちは二人だから。

 努力し続けた、非凡な人間と、待ち続けた天才。

 俺たちの新しい物語の始まりに祝福を……。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ