One by one carefully
新潟市 新人大会 サッカー競技大会 決勝
後半四十四分三十秒。
スコア 三‐四
「紅ちゃん‼ 決めろ‼」
パスを託されたのは、宇佐美紅。新潟第一中学校のサッカー部の部長。
残り時間から、逆転するには、ここでシュートを決めるしかない。
ゴールに向かって、シュートを放つ。
それは、弧を描き、得点になるはずだった……
相手、キーパーに阻まれて、球は弾かれた……
*
俺は今、新潟南高校のサッカー部に所属している。
でも、俺はサッカーが嫌いだ。中学最後の大会、最後のシュート、俺はそれを外した。
失敗して自分への怒り、チームメイトから向けられる怒り、失望……。
それが、もう辛くて、耐えられなくて……。俺はサッカーが嫌いになった。
じゃあ、なぜサッカーを続けているのか。
理由は一つ、サッカーを諦められないから……。
サッカーは嫌い、もうやりたくない。でも、サッカーで、みんなと勝つ瞬間をもう一度見たい。俺の人生はサッカーに毒されている。
今日もまた、俺はシュートを狙う。一本、もう一本。もう一本。
何度も何度もシュートを放つ。一人で延々と……。
*
とある試合の日。
俺はセンターフォワード。攻撃の要。コートの中心で一人、チームを導く。
前半三十八分。俺のもとにシュートチャンスが訪れた。
ゴールキーパーと一対一。ゴールまで約十m。
あの練習が俺の背中を押す。目の前に映るのは、一本の道。
ゴールの右上。スピード全振りの全力のシュート!
「決めろ!紅‼」
その声に、期待に。信頼に。呼び起される、あの時の、中学の記憶が呼び起される……。
――お前はチームの癌だ‼
……俺は逃げた。仲間にシュートを託し、パスを回した。
自分で自分の首を絞めるような、苦しみの中。
もう、俺には、無理なんだ。
心の中に湧いて出てきた闇。俺の世界はもう真っ暗だ。
「ナイス、パス‼」
コートに響いた、一人の声。
そいつは、笑顔で。楽しそうに。シュートを放つ。
相手からしてみれば、予想外のパスと、強烈なシュート。
そんなの防げる訳がない。
前半三十八分。1―0。
その後、七分。両チーム譲らず、一進一退の攻防を繰り返し、前半戦が終わった。
*
前半戦が終わり、ハーフタイム。
「なんで、あそこでシュート撃たなかった」
「たまたま、中村がいたからよかったけど、本来ならお前が決める場面だったぞ」
地獄の空気。責任から逃れた責任。逃げた俺への怒り。
目の前に映る景色は、あの頃と同じ。
ドロドロと溶けて、ジンジンと刺さる。そんな様な心の苦痛が、全身に広がって、体が動かなくなるようだ。
「みんな、やめてくれ」
静かな、囁くような、小さな声。けれど、それでもその声は空間を支配する、絶対的な強さを持っていた。
「紅は、俺のことが見えていた。だから、パスをくれた。こいつは悪くない」
声を上げた中村。中村白。中学からの付き合いで、俺と一緒にサッカーを続けてくれる、大切な友達。そして、このチームのエース。中村に託せば必ず決める。それほどのまでの才能。
「まあ、中村がそういうなら……」
中村の吐いた嘘に、また全身に痛みが走る。
人のために吐いた嘘。献身的で、善意にあふれていて、それでいて、人を傷つける偽善だらけの言葉。
でも、中村に悪意はない。中学の出来事を知っているから、俺が逃げたことを知っているから。だから、この痛みも、苦しみも耐えることができた。
「怖いかもしれないけど、次は逃げるなよ。ミスっても、俺が決めてやる」
中村は、俺のことを信頼している。期待している。人一倍、人百倍。
過去を知っているからこそ、俺という存在を知っているかこその、信頼。
だからこそ、逃げれない。
たくさんの重責と、向けられる感情。その全てを抱えて、後半戦に臨む。
*
後半戦五分。中村の攻撃を中心に、ゴール前まで押し込んだ。
チームメイトはみんな、中村が決めてくれる。そう思っているだろう。
「紅!」
コートの端から、端まで目一杯のロングパス。
普通ならやるはずのないパス。
相手も、味方も、俺以外の全員が呆気にとられるそんなパス。
俺なら決めるという、絶対的な信頼。そこから生まれる重圧。
「決めてやる……」
放たれたシュートは、ゴールの少し上を掠めて、外れてしまった。
だけど、今のシュートは、久しぶりにトラウマを忘れることができた。
「どんまい、まだ次のチャンスあるよ」
中村は笑顔でそう言ってきた。中村の笑顔は不気味で、恐怖に包まれて、逃げた方がマシとまで思えてしまう。
「お前が決めるまで、俺はお前にまわすからな」
こいつは、味方なんかじゃない。敵だ。
その後も、中村は延々と俺にパスし続けた。どんな状況だろうと、関係なく。
そのたび、俺はシュートを放つ。でも、決めきれない。
理由はわかる。どれだけ、中村からの信頼があっても、心の底のあるトラウマに勝てない。
*
昔読んだ漫画にこんなセリフがあった。
「ゴールまでの道を一つづつ、丁寧に進む、そこに近道も遠回りもない」
それを、読んだのは小学生の頃。当時は意味も分からず、ただ普通に読んでいた。
でも、今ならわかる。
そして今度は、それを実践する番。
「紅、そろそろ決めてくれよ?」
後半戦も終盤。1―0 のまま試合は進み、残り5分で、俺たちの勝ちが決まる。
……俺に、一つ言いたい。それで本当に勝ちと言えるのか?
中村からの圧を受けて、あそこまでのチャンスを手にしたうえで、俺は一得点も取れていない。それでいいのか? 否! いいわけないだろ!
トラウマも、圧も、信頼も、焦りも。その全ては俺を苦しめる、毒だ。
毒を喰らって、俺は進む……
別に、何か特別な変化があったわけでも、人格が変わったわけでも何でもない。
ただ、極度の負の感情が己を動かす力となったのだ。
「次、俺に回してくれ」
「りょーかーい」
昔の俺にできて、今の俺にできない訳がない。
試合が再開し、相手ボール。相手は負けたくないという焦りから、力強いプレーになっている。チームプレイであることを忘れ、個々にチャンスを作りに行く。
しかし、サッカーはチームプレイだ。一対十一の圧倒的人数差に勝てるはずがない。
中村はいともたやすく、相手の足元にあるボールを自分のものにした。
「紅ちゃん!」
中学ぶりに聞いた、その呼び方に背筋が凍るような嫌な圧がかかる。
自分で求めたんだから、決めなきゃ殺す。とでもいうような、圧が。
でも、その圧が、俺の背中を押す。
一点でも取らんとする、相手の有象無象。その間を一つ一つ、丁寧にすり抜ける。
もともと、俺はシュート以外なら、そこらへんの高校生より強いんだよ。
ぐんぐんと、前に進み。残るのは、目の前にいる、キーパー一人、つまり……
シュートを決めるだけ。まだ、正直怖い。もしミスをしたらなんて考えてしまう。
――ビビっている俺に、存在価値なんてあるのか
一つ一つを、丁寧に。シュートのコースの確認。助走に、周囲の状況の確認。
フォームを正して、呼吸を整える。すべてを完璧に行い、シュートを放つ。
そのボールがゴールに届くまでのその時間はひどく長いものに感じられた。
俺がサッカーを始めたあの日の事、中学で主将に選ばれた時の事、中学最後の大会でシュートを失敗した時の事。
今思えば、サッカーは俺の人生そのもので、常にサッカーをしている自分がいた。
過去のトラウマは簡単には消えない。きっとこれからも、俺を苦しめるのだろう。
それがどうした! 俺はもう負けない。
完璧なシュートは、あの時と同じ、ルートで弧を描き、ゴールネットに収められる。
このシュートは、俺が前に進む。その始まりの一本だ。
「ナイス、シュート」
……こいつには、感謝しないとな。
いつのまにか、忘れていた。こいつが、中村が俺と同じ、この高校に来た理由を。
こいつは、こいつだけは、あの時俺を守ってくれた。信じてくれた。
ずっと、あの時から信じ続けてきてくれた。
こいつに送るのは、ありがとうなんかじゃない。
「ナイス、アシスト。相棒」
俺は一人じゃだめだ、だからこいつがいる。
こいつが一人の時は、俺がいる。
そうやって、今までサッカーをしていたのにな。
「まだ、試合は終わってない。残りの1秒まで攻めるぞ」
「もちろん」
あの時、俺は傲慢だったのだ。チームのリーダになれたことに天狗になって、中村の力もあって手にしたことも忘れて。
でも、もう俺は大丈夫。こいつがいるって思えば何でもできるんだ。
試合再開のホイッスルがコートに響く。俺と中村は一緒になってボールに向かって駆けだした。まるで、子供のように。
――お前らって、仲もいいし名前も紅白で、相棒って感じだよな。
俺が、相手から奪ったボールを中村にパスする。
中村は、高校生離れしたドリブルで、一人、また一人と抜いていく。
そして、中村がパスを出す。そして、俺が決める。
俺たちは、きっとこれから、たくさんの壁にぶち当たるだろう。それでもきっと大丈夫。
俺たちは二人だから。
努力し続けた、非凡な人間と、待ち続けた天才。
俺たちの新しい物語の始まりに祝福を……。