少女はまだ空を見れるか①
雷華軍の天与礼者収容棟の一角、真っ白で無機質な部屋の中央では立たされた少女が閉じた目の上から包帯を幾重にも巻かれていた。
ガチャリ、と鍵が開けられる音とともに数人の男が入って来て、包帯を巻かれた少女はそのまま半ば引きずられるようにして追い立てられ、向かった先は手術台が置かれた暗い部屋だった
。
他の軍人の手によって手術台の上に寝かされ、四肢を固定された少女の口元は困惑も恐怖による引きつりも一切見られなかった。
少女を取り囲む軍人の一人が少女の足首に手を添え、その手にはタトゥーマシーンが握られている。そしてなんの迷いもなく、少女の足首に絵を掘り始めた。
「ッア゛ア゛ア゛ア゛!!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!お願いです!どうかっ、ッウァ...!」
それまで身じろぎ一つしなかった少女が突然暴れ出し、声が枯れんばかりに叫んだ。
少女を取り囲む軍人のうち一人が非情にも少女の顔を殴りつけ、黙らせた後、別の軍人が強い幻覚作用がある麻酔が入った注射器を取り出して少女の首筋に打ち込んだ。
すると手足の力がガクッと抜け先程まであれほど大声で叫んでいたのが嘘のように小さな声でぼつぼつと呟くようになった。少女を取り囲む軍人らは未だに彼女の足首に枷のような、優美な入れ墨を引き続き入れていった。
完成した牡丹と蔓草が足首に絡まるような意匠の入れ墨は赤みがあったものの、美しいデザインを誇っていた。軍人らは彫師を口々に褒めながら険しい口角を釣り上げた。
数時間後。脱力し、小声でうわ言をつぶやき続けている少女を物のように抱えた軍人は少女を部屋に投げ入れ、外から鍵をかけた。
床に投げられた少女は受け身を取るのも出来ず、解けかけた包帯から目を覗かせ、ふらふらと視線を彷徨わせた。
「ムシが、むしがからだを這う、つきや、ぶった、ぅ゙っ、っぇ゙」
幻覚を見ているのか、存在しない虫の存在を口にしながら目を震わせる少女は体を曲げてえずき、幾度かに分けて嘔吐した。胃の中身がなくなり、胃液も全て吐き出したあともえづき続けた。じわじわと広がる胃酸が混じった吐瀉物は服に染み込み、少しずつ少女を冷やしていく。
胃液で焼けた喉のせいで枯れたうめき声を上げて助けを願おうと、許しを請おうと少女を閉じ込める扉が開くことはなく。次第に少女はまぶたを閉じ、意識を手放した。
数年後、10歳を迎えた年の冬。H862という番号を振られた少女は孫少佐の命令で生まれて初めて軍の基地の外に出ることになる。
厳重に目に分厚い布を巻かれた為、外の景色を見ることは叶わなかったが定期的に伝わる馬車の振動と賑やかで活気のある、騒がしいまでの市街の音は少女にとっては新鮮そのものだった。
「H862降りろ」
短い命令に従い、そろりと降りる。しかしその際着地に失敗し足を擦りむくが少女を監督する軍人は気に掛ける素振りもなく早く進めとせっつく。
少女は怪我した足をかばいながら立ち上がり軍人に着いている鈴の音を頼りについていくと、突如目を覆っていた布を取られ、視界がひらける。
暗い室内に小さなランプが一つ置かれており、数人の軍人が壁際に控えている。部屋の中央にはぐったりと頭を垂れる血まみれの軍服を着た男性が柱にくくりつけられていた。
「これより密告者の処刑を行う。しっかりと裏切り者の末路を見届け、この半鬼の力を勉強し、利用できるようになれ。H862、あの者と目を合わせこの言葉を言え」
少女は渡された紙に書かれた言葉を読むと、柱にもたれかかる男性を見る。俯いている男性は近くにいた軍人に冷水をかけられ目を覚ますと無理やり顔を上げられ、鶴望兰と目が合う。
「た、助けてくれ…!お願いだ、もうしない、もうしないか」
「内臓破裂」
どん、と鈍く腹に響く音と共に男は血の混じった唾を吐き、がっくりと力を失い前に倒れ込む。
軍人は男の首筋に手を当て脈を測る。
「死亡確認致しました」
「よくやった。皆、今のでわかっただろうがこの化物と無闇に目を合わすな。そこの裏切り者の様になるぞ」
「「はっ」」
軍人たちは声を揃えて返事をすると上官らしき軍人は満足気に頷き、再び少女の目に布を幾重にも巻き直した。
その後も少女は軍基地の外に連れ出され裏切り者の処分をこなしたり、地方の小さないざこざの制圧に駆り出されたりすることが続き、数年。
その日も地方の制圧に向かうところだった。既に大半が無力化されている基地に上官に連れられて少女は足を踏み入れる。そしていつものように捕縛された犯人達の前に立ち、渡された紙に書かれた死因を読み上げる。
目があった犯人が数人単位で息を止めていく中、まだ反抗心が残っている一人が涙を流しながら少女に向かって吠える。
「お前らはただの殺人犯だ!!今までどれほどの無実の人間を殺しやがったこのガキ!こいつはただ巻き込まれただけなのにお前に殺されたんだぞ!恥を知れ!」
身を捩り噛みつかんばかりの勢いで少女を睨みつける男は突如後ろから凶弾に貫かれ、その弾は少女の足をも貫いた。
「続けろ」
「っ、かしこ、まりました」
痛みを噛み殺し、回らない舌を必死に動かし涙で滲む視界で残った数人の犯人と目を合わせる。誰もが眼の前に迫った死に怯え、命乞いを口にしていることを初めて少女は気付いた。
「し、焼死…っぇ、な、なんで、」
少女は確かに彼らと目を合わせ、「焼死」するようにその言葉を言ったはずだった。しかしなんの因果か今までとは違ってどこからともなく現れた火が彼らを焼くことはなく、驚いたように目を見開いた彼らは恐怖ゆえの荒い息をし続けていた。




