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俺にしとけばいいのに


 三枝と俺の関係って、逃げ水のようだ。距離が近づいたと思ったら、お互いに一歩遠ざかる。本音がどこにあるのか、誤魔化してばかりで分からない。一緒に過ごす時間が増えるにつれて、少しずつ三枝のことを知れたと思っていたのに、その行動に隠された真意ははぐらかされてばかりでなかなか解き明かせない。数学の応用問題の方がよっぽど簡単だ。


 それなりのはじめましてから比べると、一時は随分仲良くなったものだと我ながら思う。けれど、ある一定の距離からその差が縮まらない。そこにはきっと、誰にも気づかれないように密かに建築した頑丈な高い高い壁があるから。時々気まぐれにそこから顔を出して会話を試みるけれど、俺たちはやっぱり全てを曝け出すつもりはなかった。



 ◇◇


 どことなくよそよそしさを感じながら、これが普通ですよなんて偽りの表情を作って三枝と接する。最初は眉を顰めていた三枝もそんな俺に構うことに飽きたのか、絡んでくる回数が大幅に減少した。


 放課後の勉強会もあの日を境になくなった。昨日終わりを迎えた定期考査の勉強も、三枝がどうしていたのかは俺の与り知るところではなかった。


 三枝が歩み寄ってこなければ、俺たちの関係ってこんなもん。雲の上の存在は、今日も変わらずたくさんの人に囲まれている。俺なんか、いてもいなくても変わらない。当たり前の事実なのに、ズキズキと胸の奥が痛むばかり。


 どれだけ退屈な日常を過ごしていたって、時計の針は止まらない。そんな気分じゃないのに、年間スケジュールで定められた行事はやってくる。体育祭に並ぶビッグイベント・文化祭、その準備に取り掛かる時が来た。



 「今日のホームルームでは文化祭の出し物を決めます。じゃ、あとは実行委員よろしく」



 桃ちゃん先生の言葉を聞いた実行委員の墨田(すみだ)紅野(くれの)さんが立ち上がる。やる気に満ち溢れた彼らはつかつかと黒板の前まで出てくると、バンッと教壇を叩いた。その音に驚いて、船を漕いでいた生徒が数名びくりと起き上がる。



 「皆さん、注目!」

 「私たち二年C組は、体育祭で優勝という輝かしい成績を収めました。皆さんの記憶にも鮮明に残っているでしょう」

 「結果発表のときの高揚感と達成感。思い出しただけで胸が震える感覚。あの青春を、もう一度味わいたいと思いませんか?」



 さすがは演劇部の部長と副部長。まるで板の上に立っているようなオーバーな話し方が息ぴったりで、ここは教室ではなくて劇場だったかと錯覚してしまいそうになる。


 見事なまでの演説にクラスメイト全員の目が彼らを向いていた。確かに体育祭は大成功だった。俺たちなら文化祭だって最高の思い出が作れるんじゃないかって、そんな気になってくる。



 「そこで我々は来る日も来る日も考えました。体育祭とは違って明確な勝ち負けのない文化祭で、どうすればこのクラスが最も秀でていたと賞賛されるか……」

 「何日も熟考して、見つけ出した答えはすぐ傍にありました」



 芝居じみた口調が面白くて、つい他人事のように演説を聞いていた。この二人でお芝居をやったら、そこそこ客がつきそうだ。


 まぁ、この二人が思いついたってことは演劇なんだろうなぁ。多分、クラスメイトのほとんどが頭の中で同じことを考えていた。しかし、その予想は大きく裏切られる。



 「三枝頼……!」



 示し合わせたわけでもないのに、ピシッと指差すタイミングが同時で感心してしまう。隣で名指しされた男は、まさかこのタイミングで名前を呼ばれるなんて思ってもいなかったのか、「へ?」と気の抜けた声を発していた。



 「君はこの世で一番大切なものって何だと思う?」

 「んー、人によって違うだろうから分かんないな」

 「つまらない答えをどうもありがとう」

 「何よ、墨田。モテないからって僻んでるんじゃないよ」



 チャームポイントの眼鏡をキラリと光らせて、墨田が厭らしく笑う。いかにも悪役だろうという皮肉な笑い方に三枝ファンからブーイングが上がった。しかし、既に役に入り込んでいる墨田には全く効果なし。



 「君たちは甘い! この世は金! 金が物を言うんだよ!」



 ……いや、怖ぇよ。普段大人しいのに、スイッチ入ったら人変わりすぎだろ。ヒステリックに叫ぶ墨田にクラス中がドン引きしている。


 文化祭の出し物決めで「金」を連呼する奴なんて、どこの高校を探したって他にいない。桃ちゃん先生もいるんだから、せめて「青春したい」とか「やりがいがある」とか、建前だけでも取り繕えよ。



 「ふふ、私たちが出てきたから演劇をやるって、皆さん思っていたでしょう。いいえ、このクラスに演劇をやらせるなんてもったいない」

 「えー、頼の王子様姿見たかったのに」



 紅野さんの言葉にざわめきが起きる。こんなに二人がノリノリだから、学年に三枠しか許可されていない演劇を取りに行くのかと正直思っていた。


 何にも決まっていないのに、劇の定番、おとぎ話に出てくる王子役を誰が担当するかなんて、それだけはもう話し合いをせずとも既に決まっている。生まれた時から王子様を約束された男、三枝頼。始まる前から期待していたのに、と残念がる女子たちの声が耳に入ったのか、墨田はふんと鼻で笑う。



 「王子様だぁ? 馬鹿馬鹿しい。演劇なんて金にならないだろう。拍手だけじゃ、腹は膨れないんだよ」

 「あいつ、本当に演劇部の部長なんだよな」

 「ねぇ、桃ちゃん先生、墨田を廊下につまみ出して」

 「まぁまぁ、最後まで聞いてあげよう」



 ヒール役に徹することにしたのか、入り込んでしまって役が抜けないのか。墨田の発言がどんどんエスカレートしていくのを、馬鹿だなぁと思いながら見ていた。アレに関わるのは嫌だけど、鑑賞用として見ている分にはどうでもいい。こっちに迷惑が飛んでこなければ、何だっていいのだ。



 「さっき、三枝頼の王子様姿が見れなくて残念って言いましたよね?」

 「うん、言ったけど……、え、何、怖い」



 紅野さんの目がバキバキで、真正面から見つめ合って恐怖を感じるのも無理はない。あんなの、俺だって怖い。



 「もちろん私だって王子様を捨てがたい気持ちは分かります! でも皆さん、去年既にご覧になったでしょう? 眠り姫を口付けで起こす三枝頼の王子様を……!」

 「そうだよ、最高だったからまた見たいって言ってるんじゃん」

 「……執事姿はどうですか?」

 「え?」

 「執事?」



 三枝に対する迸る情熱が彼女を駆り立てるのだろうか。凄まじい熱意にこっちが焼けてしまいそう。


 去年は三枝の存在なんて気にも止めていなかったから、王子様役を既にやっていたなんて知らなかった。ちょっと見たかったなって、残念な気持ちが湧いてくるけれど、もう過去には戻れない。


 すると、紅野さんがぼそりと言った言葉に教室がざわつく。ずっと話のネタにされている三枝はとっくの昔に興味を失ったのか、顔を伏せて寝る体勢に入っていた。



 「前置きが長くなってしまったので、そろそろ発表しましょう。今年の二年C組の出し物に、我々はメイドカフェ・執事喫茶を提案します!」



 紅野さんが高らかに宣言する後ろで、墨田が黒板いっぱいに『メイドカフェ・執事喫茶』と殴り書きをする。思ってもいなかった提案に、みんなが「え……」と口を開けて固まった。



 「去年、王子様を遠くから見ていることしかできなくて、歯痒い気持ちになりませんでしたか?」

 「それが今年は、金を払えば三枝に接客してもらえる。会話もできるし、ツーショットだってできてしまう」

 「どうしよう、一気にめちゃくちゃありな気がしてきた」

 「しかも、滅多に見られない執事姿を、君たちは働きながらでも拝めるわけだ」

 「はい、決まり」

 「メイドカフェと執事喫茶やるしかないじゃん」



 墨田と紅野さんの演説を聞いたクラスの女子たちが、一斉に賛成の声を上げる。この空気の中、反対の声を上げられる男子はいない。



 「まぁ、面白そうだしいいんじゃね?」

 「あ、螺良、お前も執事やってもらうから」

 「え、嘘でしょ」

 「はぁ……、お前だってモテること知ってるんだからな、サッカー部のエース様」



 適当に興味本位で声を上げたせいで、螺良が標的にされる。三枝には負けるけれど、螺良の人気が高いのも事実。納得の人選だった。



 「頼、何も言わないけど、お前はこれでいいの?」

 「やれって言われたことをやりますよ、俺は」



 螺良の問いかけに顔を上げた三枝が淡々と答える。多分、こういう扱いにも慣れてしまったのだろう。横目で見た表情は少し冷たくて、客寄せパンダ扱いの三枝に同情した。



 「なんか紅野さんって、去年頼のファンクラブを作ろうとしたことがあるらしいよ」

 「へー」

 「頼に反対されて未遂で終わったらしいけど、あれだけ熱意があったら非公式に立ち上げててもおかしくないよなぁ」



 休み時間、席までやってきた螺良の話す内容に相槌を打ちながら、人は見かけによらないものだと紅野さんを観察する。さっきまでの生き生きとした表情はどこへやら、見慣れた大人しい紅野さんに戻っていて、どっちが本当の紅野さんなのか混乱する羽目になった。


 結局、全クラスが集まる実行委員会で見事メイドカフェ・執事喫茶の権限を勝ち取ってきた二人は三枝ファンから崇められていた。隣のクラスの実行委員から聞いた情報によると、そこでもうちのクラスの演劇部コンビは熱弁を奮って、みんな呆気にとられたらしい。


 学校中に三枝ファンがいるのだ、名前を出したら何でもOKが出ていたに違いないと思いつつ、そこまで漕ぎ着けたのは二人の力量と熱意のおかげなのだから、きっと三枝ファンのクラスメイトは彼らに素直に感謝するべきなのだろう。


 そうして出し物が無事に決まり、文化祭が近づいてきた。準備にも熱が入り始める。キッチン担当に決まった俺は裏方に徹しようと、当日までやることがないから装飾担当を手伝っていた。みんなで力を合わせて作業して、実際に形になっていくのが楽しかった。



 「前置きが長くなってしまったので、そろそろ発表しましょう。今年の二年C組の出し物に、我々はメイドカフェ・執事喫茶を提案します!」



 紅野さんが高らかに宣言する後ろで、墨田が黒板いっぱいに『メイドカフェ・執事喫茶』と殴り書きをする。思ってもいなかった提案に、みんなが「え……」と口を開けて固まった。



 「去年、王子様を遠くから見ていることしかできなくて、歯痒い気持ちになりませんでしたか?」

 「それが今年は、金を払えば三枝に接客してもらえる。会話もできるし、ツーショットだってできてしまう」

 「どうしよう、一気にめちゃくちゃありな気がしてきた」

 「しかも、滅多に見られない執事姿を、君たちは働きながらでも拝めるわけだ」

 「はい、決まり」

 「メイドカフェと執事喫茶やるしかないじゃん」



 墨田と紅野さんの演説を聞いたクラスの女子たちが、一斉に賛成の声を上げる。この空気の中、反対の声を上げられる男子はいない。



 「まぁ、面白そうだしいいんじゃね?」

 「あ、螺良、お前も執事やってもらうから」

 「え、嘘でしょ」

 「はぁ……、お前だってモテること知ってるんだからな、サッカー部のエース様」



 適当に興味本位で声を上げたせいで、螺良が標的にされる。三枝には負けるけれど、螺良の人気が高いのも事実。納得の人選だった。



 「頼、何も言わないけど、お前はこれでいいの?」

 「やれって言われたことをやりますよ、俺は」



 螺良の問いかけに顔を上げた三枝が淡々と答える。多分、こういう扱いにも慣れてしまったのだろう。横目で見た表情は少し冷たくて、客寄せパンダ扱いの三枝に同情した。



 「なんか紅野さんって、去年頼のファンクラブを作ろうとしたことがあるらしいよ」

 「へー」

 「頼に反対されて未遂で終わったらしいけど、あれだけ熱意があったら非公式に立ち上げててもおかしくないよなぁ」



 休み時間、席までやってきた螺良の話す内容に相槌を打ちながら、人は見かけによらないものだと紅野さんを観察する。さっきまでの生き生きとした表情はどこへやら、見慣れた大人しい紅野さんに戻っていて、どっちが本当の紅野さんなのか混乱する羽目になった。


 結局、全クラスが集まる実行委員会で見事メイドカフェ・執事喫茶の権限を勝ち取ってきた二人は三枝ファンから崇められていた。隣のクラスの実行委員から聞いた情報によると、そこでもうちのクラスの演劇部コンビは熱弁を奮って、みんな呆気にとられたらしい。


 学校中に三枝ファンがいるのだ、名前を出したら何でもOKが出ていたに違いないと思いつつ、そこまで漕ぎ着けたのは二人の力量と熱意のおかげなのだから、きっと三枝ファンのクラスメイトは彼らに素直に感謝するべきなのだろう。


 そうして出し物が無事に決まり、文化祭が近づいてきた。準備にも熱が入り始める。キッチン担当に決まった俺は裏方に徹しようと、当日までやることがないから装飾担当を手伝っていた。みんなで力を合わせて作業して、実際に形になっていくのが楽しかった。



 ◇◇


 放課後、内装作りで出たゴミを一度捨ててこようと、両手にゴミ袋を提げて教室を離れた。渡り廊下に出たところで後ろから足音が近づいてきて、そのままさっと右手のゴミ袋を取られる。その動作があまりにスムーズで、抵抗する暇さえなかった。思わず、戸惑いながら足を止めてしまう。



 「……手伝う」

 「…………ありがと」



 そう一言だけぼそりと呟いた三枝は、きゅと唇を結んで意思の強い瞳で俺を見ていた。今更二人きりになれるはずがなくて本当は断りたかったけど、その瞳で見つめられれば頷くしかない。


 肩を並べた俺たちは、一人で歩いていたときよりも随分と遅いスピードで再び歩き始める。少しでも長くこの時間が続けばいいなと、狡い俺だけがそんなことを考えていた。


 グラウンドの方から、運動部の声が聞こえてくる。何を話せばいいのか分からなくて、俺たちの間に会話はない。切なくて、苦しい。手を伸ばせば触れられるほど近くにいるのに、三枝を随分と遠く感じた。


 もう、あの夏には戻れない。そう実感してしまう。


 校内にゴミ捨て場があるのだから、所詮ゴミ捨てなんて数分で終わる。手に持っていた重みが消えて解放されたはずなのに、胃の中にずしんと重たいものが残ったまま。どうすることもできないそれを抱えたまま教室に戻ろうとしたときだった。



 「ねぇ、くるちゃん」

 「……なに?」



 三枝が俺を呼び止める。

 ゆっくりと振り返れば、迷子のような表情をした三枝が下を向いていた。言うか言わないか、悩んでいるのが伝わってくる。



 「俺のこと、……ううん、ごめん。やっぱりなんでもない」



 西日が眩しい。三枝の目元がキラリと光った気がして、一瞬泣いているのかと錯覚した。



 「……戻るぞ」

 「待って、」



 このまま二人でいたら、また絆されてしまう。早く教室に帰ろうと一歩踏み出したところで、腕を掴まれた。触れられたところにぶわりと熱が集中する。



 「……くるちゃんの時間がほしい」

 「え?」

 「文化祭の日、一日だけでいいから俺にくれないかな」



 都合のいい夢か幻聴かと思ったけれど、縋るような目でそう訴えかける三枝は現実で、言葉の意味をうまく飲み込めない。理解はしたって、納得はできていないのだ。


 こんな俺が今更何を返せばいいのか。自分の気持ちに従って「はい」と答えてしまいたいのに躊躇ってしまう。黙り込んでいると、ぎゅと掴まれたままの腕に力が入った。



 「何で俺? 三枝と一緒に回りたいっていう女子、いっぱいいるよ」



 へらりと笑って、本心を隠す。冗談でしょと、真剣に取り合わないようにすれば、三枝の綺麗な顔が歪んだ。



 「……くるちゃんは女子と約束してるんだ」

 「何でそうなるんだよ」

 「…………絵上さんと、付き合ってるんでしょ」



 口にするのも嫌だと言いたげな苦々しい表情で、三枝が俺を睨むように見据える。その圧が強すぎて、蛇に睨まれた蛙のようにぴくりとも動けない。


 突然出てきた名前に驚くと同時に、なぜ彼女が名指しされているのか分からなくて眉根を寄せる。博愛主義な三枝が、特定の女子に対してこんなに敵意剥き出しなのも珍しい。



 「言ってることが意味分かんないんだけど」

 「はぐらかさなくても知ってるから」

 「は?」

 「だって、……泣くほど、好きなんでしょ」

 「泣くほど……?」



 聞いたこともないほどの低い声。責めるように言われるけれど、その内容に全く身に覚えがなくて困惑している間に、三枝は淡々と話を続ける。



 「絵上さんに呼び出された日、教室に戻ってきて泣いてたじゃん」

 「な、んで、それ……」



 お前、あの時起きてたのかよ。寝ていると思っていたのに、バレていたことが恥ずかしい。それと同時に、あの日の涙の理由を誤解されていることが悔しかった。


 違うんだ、三枝。あれはお前のことを思って、この恋にさよならするって決心した証だったんだよ。

 そう言ってしまえたらよかったのに、それだけは絶対に許されない。何て答えようか悩んでいるうちに、更に誤解を深めた三枝が口を開く。



 「俺のことを避けるようになったのも、絵上さんが理由?」

 「ちがう」

 「だったら、どうして……?」

 「それは言えない。けど、……俺が好きなのは、絵上さんじゃない」

 「その言い方だと、他に好きな人がいるって聞こえるけど」

 「ああ、そうだよ」



 ほとんど売り言葉に買い言葉だった。まさか俺が肯定するとは思っていなかったのか、目を丸くした三枝はその言葉をゆっくりと噛み砕き、何かを諦めたように力なく笑った。



 「……くるちゃんはその子と文化祭回りたいんだ」

 「そんなこと、考えてもなかった」

 「え?」

 「こんな気持ち、早く捨ててしまいたいって思ってたから」

 「好きなのに?」

 「好きだから、相手を困らせたくない」

 「…………」

 「俺なんかが好きになったら駄目な人だから」



 そんなことまで言うつもりはなかったのに、勝手に口が動いていた。何でお前の方が泣きそうなんだよと、そう言ってしまいたいぐらい、随分と酷い顔をしている三枝に失敗したなと後悔ばかりが募る。



 「諦めるって決めたから、この話はもう忘れろよ」



 きっと、何と声をかければいいのか分からないのだろう。何も言葉を発さなくなった三枝に「戻るぞ」と声をかける。以前とは立場が逆転しているのが、なんだかおかしかった。



 「          」



 先に歩き出すと、後ろから声が聞こえた気がして振り返る。校舎の周りを走っている外練中のバレー部の声が邪魔をして、何を言ったかまでは聞き取れなかった。下を向いた三枝の表情はよく見えない。



 「何か言った?」

 「……ううん」

 「そ」



 少し悩んで首を横に振る三枝に、そういうことにしておいてやろうと素直に受け入れる。藪をつついて蛇を出すなんて趣味は持っていなかった。



 「ねぇ、くるちゃん。やっぱり駄目?」

 「何が?」



 パッと顔を上げて、俺の隣に並んだ三枝が強請るように見つめながら聞いてくる。



 「文化祭、一緒に回ろうよ」

 「……しかたないな」

 「ふふ、ありがとう」



 その顔に俺が弱いって分かってやってるなら、相当策士だよ。けれど、分かっていて丸め込まれてしまう俺も大概だ。断れない俺が悪い。


 大袈裟にため息を吐き出してやれやれ感を演出してみるけれど、そんなことをしている自分が馬鹿に思えるぐらい素直に喜ぶものだから、ほんの少し恥ずかしくなった。


 嬉しそうに笑う三枝を見ていると、釣られて頬が緩む。だって、心の奥底ではじんわりと喜びが湧き上がってきているから。また一緒にいられるんだという事実が、今は何よりも嬉しいから。でも、それを三枝にだけは悟られてはいけない。平静を装いながら、文化祭の日が早く来ないかなと密かに待ち遠しくしていた。



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