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愛は行方知らず


 夏休みの後半のほとんどを三枝と過ごすことになるなんて、休暇前の自分に言ったら嘘だと信じなかっただろう。新学期初日、電車に揺られながら考える。


 都合よく記憶を改竄してないかと疑いたくなるが、スマホのカレンダーに入れている予定を見返すと、やっぱり三枝で埋まっている。どこかに遊びに行くとかじゃなくて勉強尽くしな毎日だったけど、せっかくの夏休みの過ごし方がそれでよかったのだろうか。


 いつも通りの時間に学校に到着して、日焼けしたクラスメイトに声をかけられながら席に着く。夏を満喫したんだなとすぐに分かる、長期休暇の余韻がまだ抜け切っていない雰囲気。



 「くるちゃん、おはよ」



 荷物の整理をしていれば、頭上から声が降ってくる。何度か席替えをしたのに、何故かいつも隣同士になる相手だ。顔を上げれば、眠たそうな眼と目が合った。



 「おはよ、今日は遅刻ギリギリじゃないんだ」

 「んー、くるちゃんに早く会いたかったから」

 「っ、まだ寝惚けてんのかよ」



 朝っぱらから甘ったるい言葉を受け止めてしまって、失敗したと後悔する。ふいと視線を逸らしてなんとか反応を返したけれど、こんな顔は絶対に誰にも見せられない。


 三枝と話せて嬉しい。それなのに、苦しい。相反する複雑な気持ちに何が何だか分からなくなりそう。



 「頼、髪伸びたね」

 「センター分けも似合っててかっこいい」

 「ありがと」



 新学期早々、目をハートにした女子たちに囲まれる姿も見慣れたものだ。もしかしたら、この中に三枝の好きな人がいるのかもしれない。そう思ったら、途端にズキンと痛む心臓の存在をうるさく感じる。感情なんて、なくなったらいいのに。そしたら、何かに動じることも無く、平穏に過ごせるはずだから。



 「あの、委員長」

 「ん?」



 窓の外を眺めながらぼーっと考えていれば、声をかけられる。俺の席の前に緊張した面持ちの絵上さんが立っていた。眉を八の字にして、ぎゅっと握り締められていた手紙が机に置かれる。



 「これ、後で読んでくれると嬉しい」



 俺が反応を返す暇もないうちに、そう言い残した絵上さんはだっと教室の外へ走り去っていく。後ろ姿を呆然と見送ることしかできず、彼女の耳が真っ赤に染まっていることに気づいた。


 まじか……。

 嘘、これってつまりそういうこと?


 俺だって、さすがにそこまで鈍感じゃない。ただ、こんな経験は生まれて初めてだから、嬉しいとか喜びの感情よりも困惑が勝ってしまう。多分、そこには三枝に対する感情も含まれていて、すぐには処理できそうにない。


 どうしたものかと、女の子らしく綺麗に折られた小さな紙を見つめて、とりあえず言われた通り後で読もうと制服のポケットにしまいこんだ。


 教室の隅でこんなやりとりをしていたって、誰も気づく気配すらない。全人類の視線を集める三枝頼という男がこの教室にはいるから、クラスメイトはみんな三枝以外のことに興味を持たないのだ。その唯一無二の存在の視線だけがこちらに向いていたなんて、俺は知る由もなかった。

 

 ――放課後、図書室に来てもらえたら嬉しいです。


 全校集会を終えて、そういえばと存在を思い出したあの手紙。誰にも見つからないように気をつけながら開くと、書かれていたのはシンプルなメッセージ。丁寧に書かれた文字を何度も目で追いながら、どうしようかと悩んでしまう。



 「ねぇ、くるちゃん聞いてる?」

 「え、なに?」



 体育館から教室に戻ってきて、自分の席に座りながらも悩み続けていれば隣から袖を引っ張られて我に返る。なんとも言えない顔をした三枝に少し不安の色が見えた気がした。



 「……今日も勉強していく?」

 「あー……」



 一学期にいつの間にか恒例となっていた、放課後の二人きりの勉強会。学校が午前だけの日は無しっていうのが暗黙の了解だったのに、どうして今更そんなことを聞いてくるのか。……あ、もしかして二学期からは俺のことなんかいらないって、お役御免になったのかな。


 いつしか俺の中では当たり前になっていたけど、三枝からしてみれば別に仲良くもない人と嫌いな勉強をやる時間なんてなくなった方がいいだろう。俺が誘っちゃったから、優しい三枝は断れなかったんだ。むしろ夏休みまでよく付き合ってくれたものだと、必死に自分を納得させようとするけれど胸が痛む。


 これは三枝からの牽制だ。もう行かないからなっていう意思表示。放課後、三枝と遊びに行きたい人なんて山のようにいる。人気者の三枝と過ごす二人だけの時間なんて、一クラスメイトに許されるはずがなかった。いい加減、独り占めしてないでみんなの三枝に返すべきなんだ。



 「…………もう、やらない」

 「え?」

 「三枝は、俺が見てなくてもちゃんとやれるだろ」

 「な、んで……、そんなことないよ」



 目を見たら、こっちが泣いてしまいそうになるから。だから、そっぽを向いて突き放すしかなかった。困惑した声が聞こえてくるけれど、何も返せない。口を開いても、震えた声しか出せそうになかったから。


 掴まれていた袖から三枝の手が離れていく。待って、と引き止めてしまいそうになるのを押し込めて、これでいいのだと言い聞かせるけれど、喉元に何かがつっかえて、しばらく息をするのもままならなかった。



 ◇◇


 本音を言ってしまえば、気が乗らない。だけど、もし行かなかったら絵上さんを傷つけるよなぁと思ったら、俺に残された選択肢はひとつだった。


 放課後、いつもとは全く違って沈んだ気持ちを抱えたまま図書室に出向く。荷物は教室に置いてきたから身軽なはずなのに、どうしてこうも足が重いのか。早く帰りたい、そう考えている時点で失礼なのは分かっているけれど、どうしようもなかった。



 「あ、来てくれたんだ」



 先に来て待っていた絵上さんが俺に気づいて、ほっとしたようにはにかんだ。その瞬間、良心が痛む。どんな顔をすればいいのか分からなくて、作り笑いで誤魔化した。



 「突然呼び出してごめんなさい」

 「ううん、大丈夫。また何かお困りごと?」

 「その、委員長に伝えたいことがあって……」

 「うん」

 「……好きです、付き合ってください」



 がばっと頭を下げる絵上さんの耳が真っ赤に染まっている。一生懸命で、ストレートな告白が胸に刺さった。それはキュンときたとか嬉しいとかじゃなくて、俺もあいつにこんな風に言えたらなって羨望。


 クズだなと自分でも思う。女の子が勇気を振り絞って告白しているのに、俺の脳内のど真ん中を陣取っているのは男なのだから。ここまできたら、もう認めてしまうしかなかった。この不毛な恋を殺す前に、本当は一瞬でも認めてあげたかった。


 黙り込んだままの俺を気にして、絵上さんが顔を上げる。俺の表情を確認した彼女は、今にも泣きそうになりながら笑った。



 「……困らせてごめんなさい」

 「ちが、」

 「ううん、顔見れば分かる。本当は、告白する前から振られるんだろうなって分かってたの」

 「…………」

 「だから、私のエゴで優しい委員長を困らせちゃってごめんね」

 「……俺は優しくなんかないよ」

 「ふふ、そういうところだよ。……最後にお願い、ちゃんと振ってくれないかな」



 強がって平気なフリをしているけれど、明るい声は震えている。



 「……ごめん、絵上さんとは付き合えない」

 「うん……、ありがとう」



 俺なんかよりずっとずっと優しくて、強い絵上さん。傷つけると分かっていて紡ぐ声はひどく掠れていた。それを聞いて、無理に笑って見せた彼女は「じゃあ、私は行くね」と足早に去っていった。最後まで涙は見せなかった。



 「……きつ」



 重たい鉛玉を詰め込まれたみたい。間違った道を進んだって分かってる。でも、自分に嘘をついて絵上さんと付き合ったとしても、どうせ最後には傷つけて傷つくだけだ。それをきっと絵上さんも分かっていた。


 ――三枝のことが好きだ。

 いつからか、きっかけさえ分からない。


 俺はあいつの取り巻きのようにはならないって驕っていたはずなのに、知らず知らずのうちに恋に落ちていた。馬鹿だ。結局、同じ穴の狢になってしまった。


 だけど、この恋心は誰にも言わずに墓場まで持っていく。自分が振られるのは分かりきったことだから、告白して優しい三枝に気を遣わせて困らせたくない。


 そもそも、告白する権利って誰にでもあるものだろうか。答えは否。その常識は異性にしか通用しない。同性同士は適用外。その感情を抱いてしまったら最後、誰にも告げることなく、ただひとりで苦しみながら終わりを迎えるべきだろう。


 絵上さんだって何度も躊躇はしたんだろうけれど、それでも告白をするのに何の障害もない立場を羨ましく思う。だって、俺にはできないことだから。男が男を好きになるなんて、周りから白い目で見られるに決まってる。こんな感情を抱いてることすら罪で、時代が違えば裁きを受けていた。


 告白して、玉砕してしまえば前に進めるかもしれないけれど、そもそも資格を持っていないのだから一人で苦しみ続けるしかない。この愛の行き場なんてない。永遠に行方知らずなのだ。それが同性を好きになった罰だから、俺は決して抗えない。


 男同士、未来のない恋愛。認めたところで、この想いは駆除確定。大切にすることは許されていないから、早く消えてしまえと祈ることしかできない。こんなに苦しいなら、好きになんてなりたくなかったと強く思う。


 図書室に向かった時よりも足取りは重く、心はここに在らずの状態で教室に戻る。どうせ、もう誰も残っていないだろう。せっかくの午前授業の日だ、帰宅部は颯爽と遊びに行ったに違いない。


 力なく教室のドアを開けて、目を見開く。今どうしようもなく会いたくて、だけどやっぱり会いたくなかった姿を認めて、じんわりと熱いものが込み上げてくる。



 「……さえぐさ、」



 どうしてまだ教室にいるんだよ。とっくの昔に帰ったと思っていたのに。気を抜いていたせいで、じんわりと滲む涙を必死に拭う。


 恐る恐る息を殺して近づけば、彼は眠りについているようで、ほっとする。ぐしゃぐしゃな顔を見られなくてよかった。問い詰められれば、今の弱ったメンタルなら全部白状してしまいそうだった。


 席まで近づいて、無意識に手を伸ばす。その髪に触れそうになって、はっと我に返った。駄目、俺はこいつに触れられない。邪な感情を持っているくせに、触れていいわけがないだろう。三枝を汚してしまう。きゅと手のひらを握り締めて、自分の席に向き直る。カバンを手に取った俺は振り返ることなく、教室を後にした。


 明日からはちゃんとするから、今だけは泣いてもいいかな。静かな廊下に鼻を啜る音が響いていた。



 ◇◇


 夢を見た。泥濘に嵌って、どうにか抜け出そうと必死にもがくけれど、呆気なく底無しの泥の中にどんどん沈んでいく夢。ぱっと目が覚めて、一日の始まりを沈んだ気持ちで迎えるなんてついてない。びっしょりとかいた汗が不快感を増長させていた。


 学校に行きたくない。何にもやる気がしない。そう思っても根っこの真面目な部分がサボるのを許さなくて、いつも以上に時間をかけて準備をする。



 「ほら急いで、いつもの電車に間に合わないわよ」

 「大丈夫、一本遅い電車でも十分余裕あるから」



 朝のラッシュ時間なんて、どうせ五分もしないうちに次の電車がやってくるのだからそこまで心配しなくても平気。母さんが俺以上に焦っているから、逆に冷静になってきた。


 毎日のように同じ車両に乗っていれば、大体の人が顔馴染み。この人はここで降りるとか、分かるようになってきた。だけど今日はいつもと違うから、居心地が悪い。小さく燻っていたモヤモヤはどんどん勢力を増しているのに、どうにもできないのがもどかしい。



 「……おはよ」

 「おはよ」



 三枝の方が先に教室にいるなんて初めての出来事だ。以前までの俺なら「珍しいじゃん」って会話を始めるのに、今日は視線を逸らしたまま挨拶を返すだけ。


 ちゃんとこれまで通り接するって決めていたくせに、いざ三枝を前にするとうまく振る舞えない。ぎこちない会話すらできなくて、三枝もそれ以上絡んでくることはなかった。


 ……これでいい。元々望んでいたのはそれなりの関係だっただろ。自分から突き放したんだ。もう元には戻れないんだよ。唇をぎゅっと噛み締めたまま見上げた空は分厚い雲で覆われていて、今にも雨が降り出しそうだった。



 ◇◇


 「委員長、元気ない?」

 「え、そんなことないけど」



 体育館への移動中、隣を歩くジャージ姿の螺良が突然顔を覗き込んでくる。適当にはぐらかしてみるけれど、じいっと猫目に見つめられれば、その圧に思わずたじろいでしまう。



 「頼のせい?」

 「っ、ちがう」

 「……委員長は嘘が下手だなぁ」



 出された名前に思わず足を止めてしまう。必死な声で否定すれは、数歩先で振り向いた螺良が俺の顔を見て困ったように笑った。


 違うんだよ、螺良。悪いのは全部、俺だから。三枝はむしろ被害者なんだ。勘違いしている螺良にそう言いたいけれど、そしたら何もかも全て話さなくちゃいけなくなる。



 「ほんとに、なんでもないんだ」

 「……分かった、今回は口出ししない」



 納得してませんとはっきり顔に書いているのに、ため息ひとつでそれを押し込んだ螺良は、俺なんかよりずっと大人だった。



 「でも、委員長に一つ言っておく」

 「……はい」

 「俺はずっと委員長の味方だから。何かあったら、委員長の代わりに俺ががつんと言ってあげる」



 怒られるのかと思って身構えていると、振ってきたのは正反対の俺が今一番欲しかった言葉。螺良のあたたかい優しさが身に染みるけど、ありがとうを言うのは気恥ずかしい。



 「……螺良がモテる理由が分かった気がして、なんか悔しい」

 「おい、どういう意味だよ」

 「そのまんまだよ」

 「いや、余計タチ悪いな」



 さっきまでしんみりしてたくせに、とぼやく螺良の姿に笑みが溢れる。



 「でも、螺良がいてくれてよかったって、心から感謝してる」

 「いや、急に真面目にならないで」



 何だよもう、と頭を搔く螺良の耳はちょっぴり赤く染まっている。揃いのジャージを着て、俺たちはこんなところで何やってるんだろうって思ったら何だか急におかしくなって、二人で同時に吹き出した。


 重たい感謝も軽い口調で受け止めてしまう器の大きさに、螺良の本質を見た気がした。流石サッカー部のエースで、クラスのムードメーカー。螺良がいるだけで、明るくなれる。


 空はさっきまであんなに雨が降りそうだったのに、雲の隙間から日差しが降り注いでいる。螺良って、やっぱり太陽みたいだ。


 すると、始業五分前を知らせる鐘の音が聞こえてくる。顔を見合せた俺たちは、「やばい」とほぼ同時に走り出した。ずっと感じていたモヤモヤは、いつの間にか綺麗さっぱりなくなっていた。


 三枝のことは、考えないようにする。

 そしたらいつか、この愛を忘れて、静かに消えてしまうだろうから。


 前を走る螺良を必死に追いかけながら、俺はそんな答えを出した。今はまだこれが正解なのか不正解なのかは分からないけれど、いつか必ず正解になると信じるしかなかった。



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