疾風の如く
学生の本分である勉強。その最大の試練とも言える定期考査が終わり、次にやってくる大きなイベントはみんなが楽しみにしていた体育祭。応援団長の螺良を筆頭に、体育会系の部活に入っているクラスメイトは準備から熱が入っている。
「どうしよう、ねぇ委員長助けて」
「ん? どうした?」
放課後、応援団に参加していないメンバーで応援旗とクラスTシャツを作成していた。絵が得意じゃない俺が口出ししてもろくな事にならないと思ってアイデアが固まるまで傍観者に徹していると、困ったように眉を下げた女子生徒・絵上さんにこそこそと声を掛けられた。
美術部の彼女は制作のリーダーを任されていたはずだけど、どうしたんだろう。そう思っている間に、「ちょっとこっち来て」と人気のない廊下まで連れて行かれる。窓の外から、リレーのバトン渡しの練習で盛り上がる男子の声が聞こえてきた。
「急にごめんね。あの、クラスTシャツなんだけど、統一したデザインの中にワンポイントでイラストとかメッセージを入れようって話してたの」
「うん、それいいじゃん」
「ありがとう。で、自分で自分のを描いても面白くないから、クラスメイト全員でシャッフルして担当決めようってなったんだけど……」
そこまで話して、苦い顔をする絵上さん。すごくいいアイデアのはずなのに、どうしてそんな顔をする必要が? そう思ったけれど、すぐにその原因となったであろう顔が浮かんできた。
「……三枝か」
「はぁ……」
重たいため息は正解の証。
それだけで状況を察して、俺まで苦笑い。
「女の子たちがみんな『私が描く!』って取り合うから、喧嘩みたいになっちゃって。男子の前だとそうでもないんだけど、バチバチしてて正直怖い」
「あー……、想像できる」
「もういっその事、男子が三枝くんのを担当した方が丸いんじゃないかと思ったんだけど、それを彼女たちに伝えるのも怖くて」
この子が彼女たちにそう伝えれば、集中砲火を受けるのは分かりきった未来だ。どうすれば丸く収まるのか、二人でうーんと悩んでいれば、背後から低い声が降ってきた。
「こんなところで何してんの?」
振り返れば、いつもと違って仄暗い表情をした三枝が立っていた。花形のリレーと借り物競争に出るのを強制的に決められた三枝は、そっちの練習に参加していたせいか、少し髪が乱れている。
「何って、別に話してただけだけど」
「へぇ、こんな人も通らないところで?」
「はぁ? お前、何でそんな不機嫌なの?」
「…………」
どうしてそんなに棘のある言い方をするのだろう。意外と人当たりはいいイメージがあったから、こんな風に冷たい声を出されたのは初めてに近い。だけど、そんな態度を取られる理由に心当たりがなくて、不機嫌な三枝に釣られて俺まで不機嫌な返答をしてしまう。すると、三枝はぐと唇を噛み締めて黙り込んだ。
「あの、三枝くん」
「なに」
震える声で間に入ろうとしてくれた絵上さんにまで、そっけない態度を取る三枝。いつもこいつを取り囲んでいる女子とは違って、話すのも初めてなのだろう、緊張しているのが伝わってくる。
「実は、委員長に三枝くんのことを相談していて……」
「俺?」
「そう。クラスメイト全員で担当を決めてそれぞれのTシャツに何か描こうって決まったんだけど、その、」
「あー、ごめん、大体分かった」
気を遣って言葉を選びながら説明する絵上さんを制止した三枝は、顔を手で隠しながら大きく息を吐いてその場にしゃがみこんだ。
「察したかよ、勘違い野郎。絵上さんに謝れよ」
「本当にごめんなさい」
「そんな、私は全然」
がばりと頭を下げる三枝を前に、恐縮しきった絵上さんが首を横にぶんぶん振る。
「俺の担当で悩んでたんでしょ?」
「……うん」
「じゃあ、俺はくるちゃんでいいじゃん」
「は?」
そうするのが当然みたいな顔をして、一人納得し始める三枝にツッコもうとすると、ぱあっと顔を輝かせた絵上さんがそれに賛同する。
「確かに! それが一番いいかも!」
「いや、何で俺……」
「ねぇ、くるちゃんの担当も俺でいい?」
「うーん、できるだけシャッフルしたいんだけど、三枝くんが描く側でも揉めそうだもんなぁ……」
「でしょ」
「じゃあ、委員長と三枝くんはお互いのを交換という形で……」
「はーい」
俺抜きで勝手に話がまとまっている。妙な疎外感を感じるけれど、無事に落とし所を見つけてほっとしている絵上さんに「三枝は嫌だ」と反論する気にはなれなかった。
「じゃあ、私、戻るね。委員長も話聞いてくれてありがとう」
「あ、うん」
ぱたぱたと足音を響かせて、絵上さんは教室に戻っていく。その後ろ姿を見送って、俺も戻るかと足を進めようとした時、三枝に手を掴まれた。
「なに?」
「その……、怒ってる?」
「ふは、何でお前がそんな顔してんだよ」
「だって、勝手にいろいろ決めちゃったし」
「なんか勘違いしてキレたりもするもんな」
「……っ、弁解の余地もございません」
絵上さんの前では余裕綽々だったくせに、小学生男子かって言いたくなるほど、しょんぼりとした様子に思わず笑みが溢れた。普段の数倍しおらしい姿が新鮮で、いつもなら気にせずぐいぐい来るくせに、そんな態度も取れるんだなぁと感心さえしてしまう。
皺が寄ったままになっている三枝の眉間をぐりぐり指先で押すと、俯いていた視線が上がって、ビー玉みたいな目と目が合った。
「不安になるぐらいなら俺の名前出すなよ」
「……後悔はしてないよ」
「ふふ、かわいいとこもあるんだな、お前」
そう言いながら乱れたところを直してやろうと髪を撫でつければ、むと唇を尖らせていた三枝が息を飲んだ。
チャラいと思ってたけど、案外ピュアなところもあるんだよなぁ。そのギャップが女子にはたまらないのだろう。俺だって、なんかちょっと心をくすぐられるかんじがしたし。
「しょうがないから、クラスTシャツは俺らで交換な」
「ん」
「変なの描くなよ」
「描かないよ、……描くわけないじゃん」
ぼそぼそと呟かれた言葉。
調子狂うなぁ、なんて頬が弛む。へこたれている三枝は、ほんのちょっぴりかわいく見える。三枝のこんな姿をクラスメイトは知らないと思うと、謎の優越感が芽生えた。
◇◇
澄み切った青い空からキラキラと眩い光が降り注ぐ。気持ちがいいほどの快晴。絶好の体育祭日和だ。
あれから応援旗の制作の手伝いとクラス委員長の仕事が重なり、俺は当日になっても未だに三枝のTシャツに何も描けないでいた。
「あれ、委員長のTシャツ、何もないじゃん」
「あー、時間がなくてさ」
「俺、描こうか?」
三枝と同じく、俺のも共通デザインのみ。運営用のテントで担当に割り振られた準備をしていると、それを見つけた螺良が気を遣ってマジックを手に取る。けれど、俺は首を横に振った。
「ありがとう、気持ちだけ貰っておく」
「そっか、描いてほしくなったらいつでも言って。超力作の俺流アートを完成させるから!」
「それ聞いたら余計に頼む気無くなったんだけど」
「えー、委員長ひどい」
大袈裟に泣き真似をする螺良にケラケラ笑う。綱引きと騎馬戦という出番を終えた俺は、残りの種目がクラス全員参加の大縄だけとなり、大分気が緩んでいた。
「じゃあ、俺、審判行ってくるから」
「はーい、行ってらっしゃい」
「ちゃんとかっこいい審判姿見ててね」
「早く行きなよ」
パチンとウインクを決めて借り物競争の審判のために走っていく体育委員にひらひらと手を振る。螺良もめちゃくちゃ浮かれているなぁと、笑みが溢れた。これを女子生徒にはやれないところが螺良のいいところだと思う。サッカー部のエースでファンも多いのに、もったいない。
「ねぇ、次、頼の番じゃない?」
「ほんとだ。さすがに手止めちゃうね」
「何のお題引くかなぁ」
螺良の審判姿を見ることなく作業を進めていれば、他のクラスの女子の話している声がたまたま耳に入る。いつも女子の話題の中心にいるなぁと、グラウンドを見れば確かに三枝がスタートラインに立っていた。
容赦ない太陽の下にずっといればじんわりと汗が滲むはずなのに、涼やかな表情をした三枝は一人だけ別格に爽やかだ。
去年は体育祭も真面目に参加していなかったから、こうして全校生徒が集まる場に出てきてちゃんと競技に参加しているのが奇跡のようだ。「本当に生まれ変わったんだなぁ」と、隣のテントで去年の三枝の担任が涙を浮かべている。噂のイケメンを一目見ようと校内だけでなく、観覧席からも視線が集まっている気がした。
三枝がこの場にいる全員の視線を集める中、螺良がスタートの合図を出す。ピストルの音と共に、一斉に走り出した六人。一番にお題の書かれた紙が入っているボックスに手を突っ込んだ三枝は、中を確認して驚いたように見えた。
少し悩んだ後、二年C組のテントの方へ足を進めるが、そこに探し物はなかったようで、ぐるりと進路を変える。
「うそ、頼こっち来てる!」
「やばいやばい!」
女子たちがキャーキャー騒ぐ中、運営テントにたどり着いた三枝は俺の前で立ち止まる。
「くるちゃん、来てっ」
「うん」
少し息を切らせて、懇願するように言われては頷くしかなかった。右手を握られて一緒に走り出すと、背後から黄色い悲鳴が上がる。ざわめきは次第に大きくなるけれど、俺は三枝の背中を見つめ続けた。
三枝よりずっと足が遅いからまずいと思っていたが、他の人はお題に手こずっているようでまだ誰も螺良のところには戻ってきていない。一番に到着したことにほっとしていると、三枝が握り締めすぎてぐしゃぐしゃになった紙をにんまりしている螺良に手渡した。
「さぁ、二年C組の三枝頼が一番に帰ってきました! これでお題が合っていれば、一位でのゴールとなります! さぁ、頼、連れてきたのは何ですか?」
「……くるちゃん」
「なるほどね」
睨みながらぼそりと答える三枝に、ふむふむと頷く螺良が紙を開封して中を確認する。俺も何だろうと覗こうとしたら、繋がれたままの手を引かれてその場に留まらされた。
まぁ、螺良が読み上げてくれるか。その場で大人しくアナウンスを待っているが、螺良は紙と三枝の顔を見比べてなかなか口を開こうとしない。もしお題と合っていなければ、探し直しになるから早くしてほしいのに。
「頼、そういうことでいいんだよね?」
「ん」
「傷付けたら俺が怒るから」
「分かってる」
マイクを通さずに、真剣な顔で会話をする二人。たかが借り物競争なのに、そんなに真面目になる必要がどこにあるのか。一人だけ頭上にクエスチョンマークを浮かべていると、それに気づいた螺良が「大丈夫」と言いたげに微笑みを向けてくる。
「三枝くん、お題もクリアとなったので、見事一位でのゴールとなります! おめでとうございます!」
螺良のアナウンスにグラウンド全体に更なるざわめきが広がる。人気者の一位に湧く声とお題を疑問に思う声、その両方が重なっているのだろう。かくいう俺も、当事者のくせに状況を把握できていなくて、その声に乗っかりたいぐらい。
「ありがとう、くるちゃん」
「いや、連れて行かれたのは全然いいんだけど、お題は何だったの?」
「さぁ、何だろうね」
コースから退場後、三枝に尋ねるも、作り笑いではぐらかされた。何だよ、それ。イライラが募る。三枝も螺良も俺に黙ったまま二人で楽しんで、巻き込んだくせに部外者扱いかよ。
悪意のあるお題じゃないとは思うけど、心のモヤモヤは増すばかりで繋がれたままだった手を強引に振りほどく。このままだとよくないことを言ってしまいそうで、三枝に背中を向けて運営テントに走り出した。
「っ、待って」
慌てた声と足音が後ろからついてくる。このまま放っておいてくれればいいのに。全力疾走で逃げようとするも、体力がなさすぎて運営テントまで来ると自ずと足が止まってしまった。
「何だよ、追いかけてくんな」
「そんな顔してるくるちゃんを放っておけない」
「っ、お前のせいだろ」
「そうだよね、ごめん」
普段なら「これがいつも通りの顔ですけど」って言えたはずなのに、今日はそれができなかった。素直に謝られると、俺ばかりが子どもじみたことで拗ねているみたいで恥ずかしい。
「でも、今は言えない」
「…………」
「言えない代わりに、最後のリレーで一位を取ってクラスを優勝させるから、それで許してくれないかな?」
ここまで言うほど、絶対にお題を知られたくないのだろう。俺も大概頑固なところがあるけれど、三枝も案外似たもの同士だ。
「馬鹿にした訳じゃないんだな?」
「それは絶対に違う」
「……、後ろ向いて」
「え?」
「早く」
三枝に譲る気がないと分かったから、俺が折れるしかなかった。しょうがないなと息を吐き、背中を向けさせる。その命令に大人しく従った三枝だが、今から何が行われるのか、そわそわしているのを隠しきれていない。
「じっとしてろ」
「え、何、怖いんだけど」
手に取ったのはすぐそこに置いてあった、飾り気のない真っ黒の油性ペン。三枝のTシャツの裾を少し引っ張って、そこに小さく「勝て」とだけ記す。俺は別にいいけど、人気者のお前に何も書いてないのはもったいないから。書き終えて、その場所をぽんと軽く叩く。
「はい、もういいよ」
「何したの?」
「内緒」
お前だって言わなかったのだから、俺がやり返したっていいだろう。脱いだらすぐにバレるけど、今はこれでいいや。何も反論してこないあたり、三枝も俺が譲ったと理解しているのだろう。
「ほら、もう自分のテント戻れ」
「くるちゃんのテントでもあるんだけど」
「俺はまだここにいるから」
「……、絶対リレーは見ててよ」
「はいはい、分かった」
渋々歩き始めた三枝の肩が落ちている。意外と感情が分かりやすくて、おもしろい。
「一番取れよ」
「っ、うん!」
その背中に軽く声をかければ、ぱあっと笑顔になった三枝が振り返って手を振ってくる。その様子が犬にしか見えなくて、思わずくすくすと笑ってしまった。
そして、やってきた最後のリレー。ここで一位を取れば、二年C組の優勝が決まる。最後ぐらいクラスのテントで見守ろうと運営テントから戻ってきた俺は後方に立つ。どのテントも前は三枝目当ての女子たちでぎゅうぎゅうだった。
すると、座って待機している第六走者の螺良がアンカーの三枝のTシャツの裾を指差して何か話しかけている。話の内容までは分からなかったが、目を丸くした三枝が慌てたように裾を引っ張って確認しているから、あのメッセージがバレたのだと察する。じいっと裾を見つめていた三枝は、螺良に何か言われたのか、顔を赤くしていた。
本番前にそんな腑抜けた顔をして大丈夫かと少し心配していると、ピストルの音が響いてリレーがスタートする。それに気を取られて、真剣な瞳がこちらを見ていることには気づかなかった。
第一走者から三番目につけているから、まずまずの出だしと言えるだろう。しかし、どのクラスも足の速いメンバーが揃っていて、なかなかその差は縮まらない。
三位をキープしたまま、螺良にバトンが渡る。さすがはサッカー部のエース。見事なまでの瞬足を見せつけて、あっという間に二位に躍り出た。「螺良、かっけー」と呟く声があちこちから聞こえてきた。
そして、そのまま順位を維持してアンカーの出番がやってくる。パチンと、待機している三枝と目が合った気がした。さっきまでとは打って変わって、真面目な表情をした三枝がバトンを受け取り、走り出す。
「頑張れ……!」
両手を祈るように握り締めながら、思わず漏れたのは小さな応援の声。こんなに離れていて耳に届くはずがないのに、三枝のスピードがぐんと上がった気がして期待してしまう。
少しずつ一位との差が縮まって、ゴールまで残り十メートルというところで三枝が一位に躍り出た。有言実行、やる時はやる男だ。悔しいけど、そんな三枝をめちゃくちゃかっこいいと思った。
割れんばかりの歓声の中、宣言通り一位でゴールした三枝を大喜びのリレーメンバーが取り囲む。知らず知らずのうちに、緊張のあまり息がうまくできていなかったようで、優勝に歓喜するクラスメイトの姿を見ながら深く息を吸い込んだ。
「頼、めっちゃかっこよかった」
「やばい、かっこよすぎて泣ける」
「やっぱり好きだよ」
前方からそんな声が聞こえてきて、なんだか胸がざわついた。学年で一番かわいいと言われている女子だって、三枝の虜だ。勝ち目なんてない……、待って、勝ち目って何の? 何の気なしに浮かんできた感情に戸惑いを隠せない。自分自身が分からなくて視線をうろうろと彷徨わせていると、三枝が視界に入る。向こうもこっちを見ていたようで、今度はばっちり目が合ったと確信した。
あ、と思った瞬間に屈託のない、太陽にも負けないほど煌めいた笑顔を浮かべる三枝が大きく手を振る。それに応えようとして右手を挙げるけれど、途中で止めてしまった。俺って、三枝の前でどんな顔をしてたんだっけ。やけに心臓の音がうるさく聞こえる気がして、でもそれが三枝のせいだとは思いたくない自分がいる。
認めたくない感情、抑えられない心臓の高鳴り。これはきっと、体育祭で浮かれているからだと言い聞かせる。ドキドキと未だに胸の奥がうるさいのは、ギリギリの戦いに緊張していたから。それしか、ありえない。
境界線は引かれている。最初は随分遠くにいたはずなのに、気づいたら俺はその一歩手前まで来ていた。
◇◇
体育祭が無事に終了し、なんてことない平穏な日常が戻ってくる。三枝が一歩踏み込んでこようとするのを、一歩退いて往なす毎日。相変わらず、俺と三枝の関係はそれなりをキープしていた。
放課後、図書室に残って勉強するのが最近のマイブーム。家よりも集中できるから勉強が捗る。今日も図書室二階のいつもの席で勉強していれば、女子生徒二人が話しながら書架の方に本を探しにやってきた。
「そういえば、借り物競争のお題のこと聞いた?」
「え、何それ、知らない」
悪いと思いつつ、話題が話題なので耳を欹てる。もしかしたら、三枝も関係しているかもしれない。ずっと気になってモヤモヤしていたことの答えが分かるなら、今はいつでも解ける問題集の答えを求めている場合じゃない。
「お題って、全部先生がチェックしてOKが出たものをボックスに入れる予定だったんだって」
「へー、まぁ、悪意があるものとか紛れ込んでたら、いじめに繋がるしね」
「そう、それが理由なんだけど……、体育委員が勝手に追加したらしくてさ」
「え、じゃあ、もしかして……!」
「うん、頼が引いたのが、」
――バンッ。
いよいよ答えが分かるかもと身を乗り出しかけたところで、目の前に勢いよくリュックが置かれる。
いつもなら「うるさいだろ」と注意する行動も、その相手を確認してしまえば今日ばかりは見逃す他ない。静かな図書室に鳴り響いた音はあまりにも大きく、それに驚いた彼女たちはきゅと口を噤んだ。
「ここ、いい?」
あまりにも綺麗な微笑を浮かべて、有無を言わさぬような物言いで形だけ確認をとる。興味津々で盗み聞きしていたのが見つかって、しかもその噂の中心人物が居座ろうとしている。気まずいったらありゃしない。しかし、罪悪感からNOと拒否することもできず、俯いたまま頷くことしかできなかった。
噂話に花を咲かせていた女子二人組は三枝を見つけて慌てて出て行ったのか、もう話し声は聞こえてこなかった。
「何しに来たの?」
「別に」
「用がないなら帰れば?」
「やだ」
そう話している間も、穴が空いてしまいそうなほどの熱い視線を感じるから、顔を上げることができない。勉強道具を出すわけでもなく、ただ手持ち無沙汰に座っている。
「俺がいたら邪魔?」
「邪魔ではないけど、気が散る」
できるだけ二人になりたくないなと、あえて突き放すようなことを言っても、三枝は立ち去る気配を見せない。
「慣れてよ」
「はあ?」
「最近避けられてるって、俺が気づかないと思った?」
「…………別に、避けてるとかじゃないし」
「そう、くるちゃんがそのつもりならそれでいいよ。でも俺は、もうとっくの昔に吹っ切れてるから。全部、強行突破するって決めたから、覚悟しててね」
急に何の宣言だと、目をぱちくりさせながら顔を上げる。いつものように頬杖をついた三枝は、思いの外穏やかな表情を浮かべていて、何かを悟っているようにも見えた。
しかし、その瞳はどろりと蜂蜜を溶かしたような甘さを孕んでいる。そんな状態なのに、三枝の目には俺しか映っていない。違うだろ、その目はもっとかわいい女の子を見つめるべきだ。
そう思うのに、見つめられていることをはっきりと自覚したせいで、じわじわと体の熱が上がって、耳が赤く染まった。何に対してかは分からないけれど、吹っ切れた男って、厄介だ。
「ふふ、真っ赤だね」
「……夕日のせいだろ」
「かわいいから、今日はそういうことにしておいてあげる」
とびっきりの甘い笑顔を俺だけに向けてくる。こんな三枝、知らない。動揺したとしても、かわいいなんて言われて舞い上がるな。普段から女の子に言ってるから、言い慣れてるだけ。その言葉に大した意味はない。必死に言い聞かせて、湧き上がってくる想いを顔に出さないようにする。
どきまぎしている俺の様子を楽しそうに観察している三枝が、まさか本当に毎日のように図書室までついてくるようになるなんて、この時は思ってもいなかった。