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人知れずの恋


 理由は何も分からないが、どうやら俺は三枝頼という問題児であり、人気者でもある彼にいつの間にか懐かれていたらしい。


 一年生の頃は全く授業に出ていなくて、進級するための出席日数がギリギリだったというのに、今年の三枝は真面目に授業を受けている。提出物もちゃんと出しているようだし、午前中は気だるげにしているものの、遅刻するようなこともなかった。


 最初は気まぐれかと疑っていた教師陣も、一ヶ月もそんな態度が続けば心を入れ替えたのだと、素直に感激する他なかった。


 問題児卒業かと思われた三枝だったが、俺はその行動に疑問を抱く場面に遭遇していた。授業中、不意に隣から視線を感じるときがある。そんなとき、ちらりと盗み見れば、なんとも形容し難い表情で俺のことを見つめている三枝と高確率で目が合うのだ。



 「なに?」

 「……なんでもない」



 分からない箇所があって、聞きたいことがあるのか。忘れ物をしたから、教科書を見せてほしいのか。何かしら理由があってこちらを見ているのだろうと思って小声で尋ねても、きゅと口を結んだ彼は曖昧に微笑んでまた黒板の方を向き直るばかり。


 一回ならまだしも、それが何回も続くと疑問は募るばかりで、心の奥がむずむずしてたまらない。俺と話したくないから誤魔化されているのか、つまりそれって嫌われているのだろうかとも思ったが、休み時間になると別人のように「くるちゃん」と絡んでくるからそういうわけでもないらしい。


 二重人格かと疑いたくなるほどの変わり様。三枝頼という人間の扱い方が分からない。気づけば学校だけじゃ飽き足らず、家でも三枝のことを考えるようになってしまった。認めたくはないが、頭の中の七割を占める悩みの種。だけど、三枝のことで悩んでいると本人にバレるのは癪で、俺は何も気にしていない風を装って、ポーカーフェイスを貫いていた。


 そんなある日、ちょうど定期考査が近づいてきたときのことだった。



 「あ、枢木」

 「何でしょう?」

 「実は、一つ頼みがあって……」



 SHR後、掃除当番に割り当てられていたため、教室の掃き掃除をしていると桃ちゃん先生に声をかけられた。


 満面の笑みを浮かべているのは、何かよからぬことを頼もうとしている証拠だ。去年、面倒事を押し付けてくるときに何度も見た表情だから、瞬時に察して身構えてしまう。げんなりしているのが顔に出ていたのか、桃ちゃん先生は苦笑して首を横に振った。



 「違う違う、そんなに悪いことじゃないから!」

 「桃ちゃん先生のそれは当てにならないんですよ」

 「くぅ……、自業自得だから何も言えない……」

 「まぁ、いいですよ。話ぐらいは聞きます」



 先生と生徒の立場が逆転しているのは、きっと傍から見ても気のせいではない。大袈裟にため息を吐いてから、居住まいを正す。



 「枢木って、三枝と仲良いだろう?」

 「いや、」

 「今年の三枝はやる気みたいだからさ、定期考査前に勉強見てやってくれないかな」



 いつの間に仲良い判定されるようになったんだ。俺は友人未満の関係だと思っていたのに、周りからはそう思われていなかったのが何となく居心地が悪い。


 否定の声も聞こえないほど、桃ちゃん先生には俺たちが仲良く見えているのか。お願い! と手を合わせる桃ちゃん先生の目は真っ直ぐで、そこに濁りはなかった。



 「はぁ……、今回だけですよ」

 「枢木!」

 「もし三枝が来なかったら、俺も次の日から教えるのやめますからね」

 「それは大丈夫! 絶対行くと思うから! 三枝には俺から伝えておくね」



 何を根拠にそこまで三枝のことを信頼しているのか、と思ったけれど、そういえば桃ちゃん先生ってこういう人だった。疑うことを知らない、純粋な善人。


 問題児って、そんな簡単に治らないと思うけど。そんな偏見を抱きながら、教師なのにバタバタと廊下を走っていく桃ちゃん先生の後ろ姿を見送った。


 翌日、チャイムが鳴る前に登校してきた三枝はいつものように「おはよう」と挨拶してから自分の席についた。桃ちゃん先生からまだ何も聞いていないのだろうか。あまりにも普通な態度になんだか拍子抜けしてしまう。


 いや、やっぱり、やる気ないんじゃないか。授業に出るのと、放課後に学校で勉強するのは、ちょっと違うだろう。


 もしも三枝が来なかったら、……まぁ、その時はその時に考えよう。今は授業に集中だ、とまた今日も隣から遠慮なく突き刺さる視線の圧を無視しながら、真面目に勉学に励んだ。


 そしてあっという間にやってきた放課後、静まり返った図書室。二階の奥の方にある席でテスト範囲をまとめていると、目の前に人影がひとつ。


 何か用があるのだろうかと、その頃にはすっかり三枝のことなんて忘れていた俺は顔を上げ、その人物を確認して思わず口をポカンと開いた。そんな間抜けな顔を真正面から受け止めた三枝は、子どもみたいな顔で笑っていた。



 「勉強教えてくれるなら、先に場所ぐらい言っておいてよ」

 「……まじでやる気あったんだ」

 「失礼だな」

 「ごめん……。正直、来ないと思ってた」



 端から期待していなかったのが本音だ。いくら態度が改善されたからといって、授業に出るようになったのは、そうすると決めた本人の意思があったから。


 担任からの話だからといって、あの三枝がまさか放課後まで勉強に費やすなんて信じられなかった。いつもすぐに帰ってしまうのに、どうして。


 驚きを隠せないまま、目の前に腰掛ける三枝に謝ると、彼は気まずそうに笑った。そんな顔をさせたいわけじゃなかったのに。心の中がモヤモヤと曇っていく。



 「ううん、そう思われてもしかたないって分かってるから……」

 「あー、去年授業に出てなかったのって、体調がよくないとか、家庭の事情とか、そういうのっぴきならない理由じゃないんだろ?」

 「まぁ……」

 「ふーん、じゃあいいじゃん」

 「え?」

 「詳しいことは知らないし、別に聞く気もないけど、学校に来るのがしんどいとかじゃなくて、自分でそうするって決めたことなら何だっていいんじゃないって、ただ俺はそう思っただけ」



 例えば、クラスが合わないと感じて教室に行くのが億劫になっていたのだとしたら、今年はそうならないように委員長として助けになりたい。


 まだそこまで仲良くなったわけじゃないし、それなりの関係は継続したいけれど、それとこれとは話が別。首を突っ込んだなら、最後まで面倒を見る。無責任に放り出すのは俺の信念に反するから。


 まぁ、要領のいい三枝なら、俺の手なんか必要とせずに一人で何だってできるのだろうけれど。悩みぐらいなら吐き出す場所になれるだろうか。



 「……くるちゃんはずるいよなぁ」



 うーんと考えていれば、俺の言葉を聞いた三枝が机に突っ伏しながらもごもごと呟くけれど、ほとんど何を言っているのか聞こえなかった。



 「なんて?」

 「学校には来てたんだよ、俺」

 「そうなんだ」

 「そう。屋上とかも行ったけど、三階の空き教室にいることがほとんどだったかな」

 「へー、そこで何してたの?」



 ただの好奇心で尋ねると、三枝は昔を懐かしむように柔らかな笑みを浮かべた。たっぷりの沈黙の後、瞳に甘さを孕んだまま、ただ俺だけを見据える。



 「…………好きな子を見てた」



 あまりの衝撃発言に、再び口をポカンと開けたまま何も言葉を返せない。



 「ふは、すごい顔」

 「いや、だって、そりゃ驚くだろ」

 「ごめんごめん」



 笑われてからようやく口を閉じることには成功したけれど、脳の処理は追いついていない。動揺していることぐらいバレバレなはずなのに、吹っ切れた三枝は話を止めようとしなかった。



 「俺に好きな人がいるのって、そんなに変かな」

 「いや、お前だったら彼女の一人やふたりいてもおかしくないだろうけど」

 「それはそれで心外だなぁ」

 「……告白とかすればよかったじゃん」



 そう言うと、三枝は寂しそうに視線を落として首を振った。



 「見てるだけでいいって、思ってたから」

 「え?」

 「そりゃもちろん面と向かって話したりしてみたかったけど、そんな気持ちより恐怖の方が大きかったんだよね」

 「恐怖……?」

 「好きにもいろいろあるんだよ」



 好きなのに、話しかけることの何が怖いのだろう。恋愛初心者の自分にはよく理解できなくて、三枝が複雑な感情を抱いていることしか分からない。



 「当時は抱えてる感情が好きだけじゃ収まらなくて、暴走しそうだったから。相手を怖がらせて傷つけるぐらいなら、離れてた方がいいでしょ」

 「……それでも、そんなに好きならいっその事、言っちゃえばよかったのに」

 「そうかもね。でも、それが俺にとっての愛の形だったんだよ」



 学校中の女子に告白されているこの男に、これほどまでに思われている人って一体何者なんだ。今年から空き教室に行かずに自分の教室で大人しく授業を受けているということは、もうこの学校にはいないのだろうか。次々に浮かんでくる疑問が思考を邪魔して、さっきからちっともページが変わっていない教科書の内容なんて全く入ってこない。


 俺だけが半ばパニックで、三枝はいつも通り余裕の表情。窓の外を眺めて頬杖をつく姿が大人びて見えて、目の前にいるはずの三枝を遠く感じた。



 「今でも好きなの?」

 「……もちろん」

 「っ、」



 柔らかな笑顔で頷く三枝に何故か少し胸の奥が軋んで、何故か俺が泣きたくなった。だって、こいつがあまりにも優しい顔で笑うから。大好きなんだって、その表情から伝わってくるから。



 「くるちゃんはそんな顔しないでよ」



 三枝の手が伸びてきて、少し伸びて目にかかるようになった前髪を震える指先で払う。駄目だよ、三枝。そんな風に優しく触れられたら、きっと誰だってお前に恋してしまうから。



 「別に、元からこんな顔だし」



 なんだか無性に顔が熱くなって、視線をばっと窓の外に移した。俺と三枝、友人未満の関係のはずなのに、どこか空気が甘ったるい感じがして、落ち着かない。


 だって、こんなの、俺たちには似合わないだろう。この状況をどうにかしようと、俺は敢えてふざけた口調で話しかけた。



 「つーかさ、何で急に勉強しようと思ったわけ? お前、テスト勉強やるようなタイプじゃないだろ」

 「はは、やっぱ俺ってそういう風に思われてるよね」

 「まぁ、うん」

 「そろそろちゃんとしなきゃと思ってさ。後悔したくないから、全部ちゃんとやるって決めただけ」



 その瞳に強い意志を覗かせて、三枝はにっと笑う。



 「どうせ受験するなら、好きな子と同じ大学がいいじゃん」

 「うーん、そうかな。まだあと二年もあるのに、ずっと好きでいるかなんて分かんないと思うけど」

 「好きだよ、ずっと」

 「っ、」



 間髪入れずにさらっとそう言われて、自分が告白されたわけじゃないのにドキッと心臓が跳ねた。顔がいい男の真顔は圧がある。



 「俺だって、何回も諦めようとしたよ。でも、好きな気持ちってそんな簡単には消えないから。これはもう一生の恋なんだって、最近やっと開き直ったんだよね」

 「……三枝がその子をすごい好きなのは伝わった」

 「ほんと?」

 「うん、俺には未知の世界だなぁ」

 「そっか……。その、くるちゃんは、好きな人とかいないの? あ、もしかして、彼女とかいる?」



 何でそんな恐る恐る聞いてくるんだよって、妙に歯切れ悪く尋ねてきたから、笑ってしまう。気の遣い方が変だよ、お前。彼女なんかいないって分かってるくせに、そんな質問しやがって。癪だから彼女がいるって嘘でもついてやろうか。……なーんて、冗談。



 「……いないよ、彼女も好きな人も」

 「そっ、か……、そっかそっか、そうなんだ」



 何かを噛み締めるように、何の意味も持たない言葉を繰り返す三枝の様子が変だ。



 「もし、くるちゃんに、……ううん、やっぱりなんでもない」

 「なに? 喧嘩なら買うけど」

 「何でそうなるの!? 俺、くるちゃんと仲良くなりたいってずっと言ってるよね!」

 「ふは、お前必死すぎ」



 真顔で冗談言ってみたら、めちゃくちゃ必死に反論されてつい噴き出してしまう。わざわざ立ち上がらなくてもいいじゃん。ここ、図書室なんだけど。なんて笑いながら、「こんな三枝、初めて見たな」と新鮮な気持ちになる。



 「くるちゃんって、そんな意地悪言うんだ」

 「お前にだけだよ」

 「……なにそれ」

 「だってみんなの委員長なんだから、真面目にしておかないと駄目だろ」

 「……俺は?」

 「残念、三枝は副委員長だから別。俺のこと甘やかしてね、副委員長」

 「っ、ずるい」



 にっこりと微笑んでみせれば、三枝は何とも表現のしづらい複雑な顔をして呟いた。だけど、「嫌だ」と拒否しない辺り、もしかすると既にこいつは俺に甘いのかもしれない。


 学校一の問題児と呼ばれた男の手綱を握っている。そんな自覚はないけれど、ほんの少しだけ三枝の扱い方が分かった気がした。



 「まさか三枝と恋話する日が来るなんてな。てか、話の流れでつい聞いちゃったけど、俺に話してよかったの?」

 「うん、くるちゃんには知っててほしかったから。なんか、去年の俺をやっと供養できた気がする」

 「またお前は、何でそんな言い方するかな。大切にしてる恋なんだろ? 胸張ってろよ」

 「……はぁ、そういうところだよ、ほんと」

 「え? なに?」

 「ううん、ありがとうって言っただけ」



 そう言って机に突っ伏す三枝は、そこから動かない。集中力を欠きながら、適当に数学の式を書いているシャーペンの動きを目で追っているようだ。



 「今日で終わりにしないよね?」

 「あー、うん。テスト期間中はここで勉強するつもりだから、勝手にすれば?」

 「……絶対行くから」



 話に花を咲かせて、お互いに勉強なんてちっとも手についてない。この状態で切り捨てられるほど、薄情にはなれなかった。


 三枝が来ても来なくても、俺は別にどうでもいい。一人で勉強する方がきっと捗るだろうし、今日みたいに脱線することもないだろう。……でもまぁ、確かに、三枝がいた方が楽しく感じるんだろうなと思ってしまうのも、これまた事実でしかなかった。


 そうして、始まってしまえばあっという間に過ぎ去ったテスト期間。今回も変わらず一桁の順位をキープすることに成功した俺に、八割以上も丸で埋め尽くされた答案用紙を向ける三枝の笑顔は花丸満点だった。



 「委員長は流石だけど、頼も今回すげーじゃん」

 「ふふ、くるちゃんのおかげ」



 螺良に自慢げに話す三枝に、最早問題児の影はなかった。



 「枢木、ほんっとうにありがとう!」

 「え?」

 「三枝の成績がかなり上がったのは、枢木が面倒見てくれたからだろう」

 「いや、俺は何もしてないですよ。三枝が頑張った証拠です」



 桃ちゃん先生担当の英語のノートを職員室まで運ぶ手伝いをしている道中、突然隣で頭を下げられる。土下座でもしそうなら勢いに驚いて、思わず足を止めた。


 少し手伝ったとはいえ、俺ばかり感謝されて、誰よりも頑張った三枝の努力が担任にすら認められないのは納得いかなかった。きっぱりと否定すれば、桃ちゃん先生は慌てたように「それは勿論」と頷く。



 「でも、枢木が一緒に勉強していなかったら、きっと三枝はあんなに頑張れなかったと思うから、何もしてないってことはないんじゃないかなって先生は思うなぁ」

 「桃ちゃん先生は、去年から俺のことを買い被りすぎなんですよ」

 「そんなことないよ。そうやって自分を卑下してばかりで、枢木の自己評価が低すぎるんだよ。自分でも分かってるでしょ?」

 「……残念ながら、否定はできません」

 「ふふ、ほらね。去年からずっと、枢木はいつもクラスメイト全員のことを考えて、みんなのために動いてくれてたでしょ。こんな頼りない先生だから、枢木の存在はすごく有り難かったし、何度も助けられてたよ。ありがとう。でもだからこそ、もっと自分を認めて、よくやったって褒めてあげてよ」

 「…………はい」

 「枢木のしてきたことは、ちゃんと誰かのためになってるんだから。下向いてないで、胸張って生きなさい」



 桃ちゃん先生に出会って、一年とちょっと。まさかそんな風に思われていたなんて、ちょっと感動してしまって目頭が熱い。


 ぐと唇を噛み締めながら、再び歩き出した先生の背中を追いかける。下駄箱近くの廊下に差し掛かったとき、桃ちゃん先生が再びはたと足を止めた。



 「あ、待たせてたんだね。それならそうと言ってくれたらよかったのに」

 「ん? 何の話してますか?」

 「そういうのはいいよ、枢木。あんなに否定しておいて、やっぱり仲良しだったんじゃないか。運ぶのもここまででいいから、早く行ってやりなさい」



 全くもって何を言っているのか分からない。困惑している間に手に持っていたノートたちが奪われていく。


 はいはいありがとねと、勝手に切り上げてスタスタ歩いて行ってしまう後ろ姿に「はぁ?」と投げかける。けれど俺の声は届かなかったのか、何もそれに対する答えは返ってこなかった。



 やっぱり桃ちゃん先生って、意味分かんない人だ。そんな失礼なことを思いながら、下駄箱に向かおうと踵を返してようやっと視界に入る。頬を桃色に染めた女子たちに囲まれている、人気者。


 勘違いが加速したのはお前のせいか。何でタイミングよくそんなところにいるかな。


 待ち合わせをした記憶なんて微塵もないのに、思い込みの激しい桃ちゃん先生の目に入ったから一緒に帰る約束をしていると思われたのだろう。


 はいはい、女子にキャーキャー言われて人気者は違いますね。別に羨ましいとかじゃないけれど、嫌味っぽくそんなことを考えながら三枝たちの横を通り過ぎようとした。



 「あ、くるちゃん」



 ――ピタリ。

 名前を呼ばれると、足を止めざるを得なかった。



 「あ、委員長じゃん。もう帰るんだね」

 「また明日!」

 「ばいばーい」



 三枝が名前を呼んだことで、囲いの女子が一斉にこちらを見てくる。睨むような視線は俺を認めると、すぐに柔らかくなった。多分、新たな女子が来たって敵意剥き出しにされたんだろう。


 単純な彼女たちに手を振ってから靴を履き替える。その間、三枝の方は一切見なかった。今、三枝の顔を見たら、訳の分からないむしゃくしゃを全部ぶつけてしまいそうだったから。



 「ねぇ、頼、一緒に行こうよ」

 「去年はよく行ったじゃん、お願い」



 甘えるような声が聞こえてきて、その場から逃げ出すように邪魔者は退散する。校門を通り過ぎて、校舎前の赤信号でハッと我に返った。いつもの何倍ものスピードでここまで歩いてきたらしい。心臓がドクドクと音を立てていて、落ち着かせるように深く息をする。


 何だ、この感情。苦しくてモヤモヤして、ほんの少しの悲しみも入り混じったような、不快な感情。


 ぎゅっと手を握り締め、青信号になるのを確認して一歩踏み出そうとしたところで後ろから急に腕を引かれた。



 「うわっ」

 「お、危ね」



 ぐらりと後ろに揺れる身体。やばい、倒れる! と思ったけれど、いつの間にか聞き慣れてしまった声の主が肩を掴んで止めてくれた。


 元はと言えば、お前が腕を引いたせいなんだけど。

 そう思いながらも、触れられたところが熱を持っていて、その熱が顔に伝わってきたせいで後ろを振り返られない。



 「くるちゃん、大丈夫?」

 「……もういいから離して」

 「あ、ごめん」



 パッと離れた温もりを惜しく思っている自分がよく分からない。さっきまであんなに不快だったのに、いつの間にか溜飲が下がっていた。自分自身の感情に追いつけなくてそのまま固まっていれば、突然綺麗な顔が視界いっぱいに入ってくる。不意打ちに思わず仰け反ってしまった。



 「っ、びっ、くりした」

 「今日のくるちゃん、なんかいつもと違うね」

 「そんなこと、ないけど。つーか、女子たちはどうしたんだよ」

 「あー……、置いてきた」



 気まずそうに頬をかきながら答える三枝の方に向き直って相対すれば、「やっと目が合った」と彼は目尻を下げる。俺の行動ひとつで、どうしてそんな風に笑うのか。疑問は疑問のまま、胸がまた鳴った。



 「くるちゃんと、一緒に帰りたいって思って」

 「っ、」



 何で俺と……?

 そう口を衝いて出そうになった言葉は、咄嗟に飲み込んだ。



 「だめ?」

 「駄目って言ってもついてくるんだろ」



 不安そうにしながらも、あざとく首を傾げる男に言い放てば、パッと花が咲くみたいに破顔する。散歩に行くと分かった時の犬みたいな喜びように釣られて、笑ってしまった。



 「実は、くるちゃんと一緒に帰りたいって思って待ってたんだ」

 「ふーん」

 「ねぇ、もっと興味持ってよ」

 「やだ」



 だって、それどころじゃないんだって。

 胸の鼓動が高鳴って、口元が緩むのをどうにかしようと頑張っているのだから。


 照れ隠しに塩対応を続ける俺に負けじと、三枝の口は止まることを知らなかった。隣に並んで歩くこの時間も不思議といいものに思えてきて、桃ちゃん先生の言う通り、俺たちは傍から見たら仲良しに見えているのかもしれないけれど、なんかもうそれでもいいやと思ってしまった。


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