4-12 戦争とスクールカースト
放課後、宮奈は職員室へと廃部届けを提出し、たまたま通りがかった生徒会の上田に同じものを渡した。
僅かながら緊張していた廃部手続きはあっけなく終了した。
だから、本当に今日が宮奈にとって最後の部活になった。
旧校舎四階の端っこ。階段を左に曲がった廊下の突き当り。
いつもの場所にやってきて、いつものように暖簾を掲げる。パイプ椅子を小教室から拝借して暖簾の中に配置。カバンを椅子の下に滑り込ませたら、開店準備完了。
さてさて今日はどんな客が来るのかな。我の強い奴は扱いにくいから来ないで欲しいな。客は素直に限る。
――おっとっと、忘れてた忘れてた。掲示板に今日の一問を張らねば。あとツイッターも更新せねば。実はこの部活、公式ツイッターが存在していて、毎日今日の一問が投稿されているのである。
わずかながら洲屋校生と思しきフォロワーもいる。顔も知らぬゾロアスターファンがいつ訪ねてきてもおかしくない。仮面もちゃんと装着しないと。
と、宮奈は無意識でいつもの行動を取ろうとしたが、止まった。
小学生から作ってる自作のなぞなぞ集は、家に置いてきた。ツイッターのアカウントは昨日の夜に消した。仮面は……一応持ってきたけど、もうつけない。
途端に空虚な気持ちになる。
今日、ここに来たのは、ナゾナ・ゾロアスターをやるためじゃない。単に時舛に謝るためだ。もうなぞなぞクラブはやらないんだ。
宮奈は暖簾の中でパイプ椅子に座るだけ。
何もすることがなくて、窓の外を見た。
いつもと変わらない日常があった。春だから桜が咲いていて、放課後だから部活動の生徒が走っていた。皆は始まっているのに、自分だけが終わっていた。
振り返ればこの道には後悔しかない。
先輩との些細なすれ違いがきっかけで風紀委員を辞めたこと。
思い付きでクラブ開設申請の書類を偽名にしてみたこと。
意地を張ってその偽名を正当だと主張し続けたこと。
それが原因で風紀委員会の先輩との関係が悪くなり始めたこと。
昨日、遂にお世話になった先輩三人と戦ったこと。
負けて、そのイライラを全部時舛にぶつけたこと。
せっかく友達になってくれた時舛に、とてつもない悪口を言ってしまったこと。
昨日の衝撃を思い出して、また胸が震えた。頭がぼうと熱くなる。
堂々巡りの思考に入っていく予感。
昼休みに泉先輩に救われたのに、今はまた一人。
一人になると思考が現れる。思考が身体を乗っ取ろうと襲い掛かってくる。
思考を振り切る。振り切れない。
思考はどこまでも追いかけてきて、宮奈を孤独の中に閉じ込める。
雪原にポツンとあるお墓のように、春の日常とは隔離されて、永遠と降り積む言葉の怨嗟に硬く耐え忍ぶ。
――命の果てに気が付いた。
高校生の孤独ってそう美しいものじゃなかったと。
物語で描かれる孤独な高校生ってみんな達観してる。
クラスではいつも一人で、友達がいないけど思考の冴えは抜群。教室の隅から陽キャ集団を見つめながら『彼らはどうこうで~、青春の名のもとにどうこうで~、あんな関係は上っ面で~』と語るのである。
それが最高にカッコいい。
もちろん私もそうなりたかったんだ。っていうか、そういうつもりでいたんだ。
でも、無理なんだよ。所詮高校生の私達が、同じ教室のクラスメイトを『彼らは~』と語るのは。
理由。陰キャって呼ばれるから。
そう呼ばれると平静を保てないから。最近はチー牛とか言われる。更に平静を保てない。
移動教室で自由席だった時、後ろの方に座ると「陰キャが後ろ座ってんじゃねー」って聞こえるように言われる。たまに隣のクラスの仲のいいグループに会いに行くと、「陰キャが集会しとる」と、これまた聞こえるように言われるのである。
そんなこと言われると、平静を保てず、『彼らは青春の名のもとに、あどうたらこうたら~』とか言ってる場合じゃないのである。心臓がキュッと縮み、顔が赤くなり涙がにじむ。アイツら死ねばいいのにと、悔しさを心の奥底にしまい込んで、陰口を聞こえないふりをする。
陰キャラ。嫌な言葉だ。
私が陰気であるかどうかは、私の友達のみ知ることだろう。なぜ友達でも知り合いでもねえ連中に、そんなこと言われなければならないのだ。考える度にムシャクシャする。
多分陰キャと呼ばれる中高生はみな同じ妄想をする。
そうだ私を陰キャラって呼ぶやつを論破してやろう。論破論破! テメエらはお山の大将なんだよ! 人を傷付けることを言ってはいけませんって小学生で習ったろ! テメエらは小学生以下の頭なんだよ! はい論破はい論破! 教室の真ん中で論破論破論破ァ!
……しかし、この陰キャな私がDQN陽キャなアイツを論破するという妄想も、現実には叶わない話なのである。
何故なら私がいくら理屈立てて、人を陰キャと呼ぶことの悪徳性を説明しようとも、あの憎むべき陽キャラDQN集団は、私が全てを説明した後に。
「~などと陰キャラが申しておりますー」
とか。
「理論系陰キャ来たー」
とか言い、私を煽るのである。たまったものではない。ああ、全くたまったものではない。
物語で描かれる孤独で孤高で思考力抜群の高校生は、なぜかこういう目に合わない。ぼっちとは言われるのに、陰キャラとは呼ばれない。
なんでだよクソ、私と同じように陰キャって呼ばれて、論破しようとして「うーわ、お前陰キャ怒らせたわー、謝れよー」って茶化されて泣いてりゃいいのに。昔日の苦い思い出である。
え? なに? そこの君、今、そんなに陰キャって呼ばれるのが嫌なら、変わればいいじゃんって言った?
見た目に気を使えばいいじゃんって言った?
身だしなみを整えるのは人としての常識じゃんって言った?
あーあ、言われちゃったよ。私、素人さんにダメ出しされちゃったよ。
つー、どうしよっかなー、どう説明してやろうかなー。素人さんが口出しするとか普通ありえないんだけどなー。
まあいいや、今日は特別だから優しく教えてやるよ。
――歴史上の日本人の罪には日本人が答えなければならない。
――連続性を含む問いには、連続そのもので答えなければならない。
泉さんはこの手の論調が好きだ。私も好きですよ、春の熊のように。
大人達のスクールカースト観は、まるで日本人の歴史観と共通している。
まるで歴史の過程にはその時々に選択肢が提示されていて、太平洋戦争当時、無謀な軍拡を続けるのか、それともアメリカとの戦力差を計り合理的な政略を立てるのか、ゲームのように選択可能だったと思っている。
そして与えられた状況での選択の連続が、歴史を作ると思っている。
同じように、今高校生の私の前には、意地をはって見た目に無頓着な陰キャラで在り続けるのか、それとも思い切ってオシャレをして高校デビューをするのか、そういう選択肢が提示されていると、大人達は思っている。
その選択の連続が人生だと言う。自由の意味を勘違いした大人が選択権は君にあるのだと声高らかにほざく。
クソ共が、ハッキリ言って、クソ共が。
当時はな、どうあがいても白人優位の世界だったんだよ。肌の黄色いアジア人というだけで私達は見下されたんだよ。私達は白人に媚びを売るのが嫌だったんだ。白人共が侵略先で元から住んでいた人たちに非道なことをしているのも知っていたんだ。
だが、私達は世界を席巻する白人に恐怖し、お前達が悪だとはっきりとは言えなかった。都合のいい仲間内で理想を語り合うばかり、アジアを牽引する日本人の正義を、国際政治の場でハッキリと掲げることが出来なかった。
それはそう、昔日のあの日。移動教室の自由席で、陰キャは後ろに座ってはいけないという暗黙のルールを、私が黙って受け入れたように。陰キャの集会と聞こえて、隣のクラスの友達と一緒に黙り込んだように。私達は怯えて、何も言えなかった。歯向かうと更に酷い言葉をかけられると知っているから、何も言えなかった。
その状況で、高校デビューしろって言うのか。列強デビューしろって言うのか。
選択肢はいつも提示されていて、私達は少し勇気を振り絞るだけで、未来を選択可能だったと言うのか。
ハハハ、ハハハハ。確かにそうだろうよ。君達の言うように、そういう選択肢は提示されていたんだろうよ。
日本人は、そして私は、迷いに迷って、選択したと言えるのかどうかもハッキリしないまま、考えうる限り最も愚かな選択をしたんだろうよ。
その結果大失敗したから、現代の君達は選択が大事だと言うんだろうよ。私に対しても、日本人に対しても。
しかし往々にして、歴史や人生が選択の連続だと主張する君達の一番の問題は、その選択肢すらも上位階級者が作り出したものだということに、相変わらず気が付いていないことである。
黄色人種の皆さんは我々より一歩劣る存在なんですよ。見下されるのが嫌なら軍縮して領土も捨てて、我々のルールに従ってくださいよ。
陰キャラの皆さんは我々より一歩劣る存在なんですよ。見下されるのが嫌ならオシャレして芋っぽいのやめて、高校デビューでもやってくださいよ。そうしたら移動教室で後ろに座らせてあげるかもしれませんよ。
なあ、みんな、聞いてくれよ。私は海外のイケメンサッカー選手ではなくただの日本人だけど、笑わずに聞いてくれよ。
どうして私達が見下されている前提なんだい?
どうして見下されている前提の選択肢を選ばないといけないんだい?
意地を張れば陰キャラとけなされ、ルールに従えば高校デビューだなんただと子ども扱いで迎え入れる。
どうしてそんな選択肢を私が選ばなければならないんだい?
私はな、見た目だけで人を見下す奴らの仲間になりたくねえんだ。
私はこの姿で生きたいんだ。
鼻がぺちゃっとしていて、
目が細い、
背が低い、
だが私の両親と祖父母が可愛い可愛いと愛してくれたこの醜い姿で、
この世界を生きたいんだ。
この姿を陰キャラとかチー牛とか言われる世界そのものを変えてやりたいんだ。
陰キャと呼ばれるのが嫌なら努力して変われじゃねえぞ、クソが。
私の先祖が肌が黄色いというだけで見下されたその世界を否定したかったように、私もまた洒落ていないというだけで見下されるこの世界を否定したいのである。
それは歴史にも学校にも存在する、共に普遍的な願望である。
なら戦争だ。
選択ではなく戦争だ。
普遍の願望に世界の在り方を懸けたなら、人は戦争をするしかないのだ。選択肢そのものを創り変えてやるために。
一年の夏。クラスのDQNが体育の時に私を白豚と呼んできたのを境に、宮奈国は交戦状態へ突入した。小学生の姉妹喧嘩以来の捨て身タックルをかまし、奴を体操マットの上に抑え込むことに成功した。
そこからレスリングである。奴の取り巻きや体育教師、学年主任が止めてくるのを聞かず、奴の茶色い髪を根本から握り続けた。
三時間の戦闘の末に、当時の生徒会長と風紀委員長が肉体派の生徒を連れてきて無理矢理引きはがされる。後日、生徒会役員室で話し合いがもたれ、私とそのDQNは講和条約に調印した。私は生命に関わるような緊急時以外の捨て身タックルを禁止され、奴は生涯他人に陰キャラと言えなくなった。
受けた罰の大きさ的に、私の勝利とみていいだろう。そう、私は守本に勝利したのである。
それを機にアイツらって実はそう強くないことに気が付いた。どんな陰口をたたかれようと、逆に大声で吹聴すればアイツらはビビる。人が集まれば途端に被害者ぶるようになる。大勢を前にすると、泣くことでしか訴えられないアイツらと、大勢を前にしても緊張しない私では、集団に対する強さが違う。
帰りのHRで無理矢理学級裁判を開いたこともある。
原告は私。被告は私がトイレに入った時「コイツうぜえわ~」と言いながらトイレの壁を蹴った奴。結果勝訴。被告は部活のロッカールームに逃げ込んだが、私は部活先でも裁判を開き、後日の帰りのHRで謝らせた。
必要なのは論破の理屈ではなく、大勢の前で言葉を聞かせる度胸だと知る。ちなみにトイレの壁を蹴った奴の名は島村。
連戦の果てに教職員の荒木とも戦った。板書を取るかどうかについて授業中に口論した。五十代のオッサンと口論するのはさすがにヘトヘトになり、知恵熱でぶっ倒れそうになったが、チャイムが鳴ってくれたので助かった。
荒木の授業方針は変わり、ノートの板書は強制ではなくなった。これも事実上は私の勝利だろう。もう教職員につっかかるのは金輪際止めておこうと思ったが。
ともあれ、VS荒木を機に私は自分の特別な力を確信した。ただの口喧嘩や悪口返しとは違う、大義を懸けて大勢の前で戦うことに、ただならぬ興奮と優越感を覚えた。
教室の隅から陽キャを見て「彼らはどうこうで~」とシニカルに語る物語の主人公とは少し違うけど、これはこれで私も達観した存在になれただろう。クラスメイトは私という超越的存在に恐れおののき、何かが変わっていくと思った。
しかし、それで教室の序列が――つまり私が願望にかけた世界の在り方そのものが――変わることはなかった。教室での私は腫物のように扱われ、悪口も言われない代わりに皆から無視される存在になった。
今朝も堤が時舛に、私が陰キャだから絡むななんだと言っていたらしい。あれほど戦って連勝を重ねたのに、私は相変わらず舐められる存在なのだ。
そういえば時舛って、私の武勇伝を知りもしない。私って巻き起こした事件の大きさの割に知名度がない。時舛と堤が付き合ってセックス未遂した話は皆知ってるのに、私と守本の喧嘩動画がネットに流失している話はほぼ誰も知らない。
時舛が風紀委員になって北林さんと付き合い始めた話はもう広まっているのに、私が先輩三人と戦ったことは誰も話題にしない。
戦って戦って、なお世界の中心は向こう側にある。
どうして、と疑問に思う。
私は超越した存在なのに。私は諸君らの上に立ち、達観した視点で語る存在なのに。時舛はこの達観に影響され、過度なオシャレや人間関係に悩むのを止め、私についてくるはずだったのに。
どうして、私が世界の中心にならない。
――孤独。誰にも話しかけず、誰からも話しかけられない状態のこと。
それは決して美しいものではない。孤独の人は教室の光景をクールに考察しているわけでもない。その頭の中に理路整然と整った思考回路があるわけでもない。
孤独はただ怨念の言葉だけを溜め続ける。
騒ぐクラスメイトをうぜえと思いながら見ている。
声に出さないだけで死ねと一日に七回は言っている。
でもそっち側の人間になりたいといつも妄想している。
この醜い孤独の中で、私は薄々と疑問の答えに気が付き始めていた。どうして私が世界の中心にならないかって。それは先生方の私に対する困ったような対応、先輩が私に言うこと、同級生が私を見る目、私を取り巻く全ての環境が、私に語り掛けているではないか。
そう、実は私って特別な存在じゃなく、ありふれた存在ではないのかと。せいぜい各学校各学年に一人はいる程度のレアリティなのではないかと。
だから学校の皆は、私を知ったように語るのではないか。
つまり宮奈藍子みたいな奴どこの学校にでも一人はいる説。
私はこの説を裏付けるようなクラスメイトの会話を盗み聞きしたことがある。
こんな感じ。
「うちのクラスの宮奈って奴やばいで。授業中に荒木と喧嘩して勝ちよった」
「それ知ってる。ノート取るか取らんかでやろ?」
「うん。アイツ見た目ただの陰キャやけど、めっちゃ強くてさ」
「ああ、口が強い子なのね。いるよね、そういうタイプの陰キャ」
なんとなんとわたくしは! 度重なる戦乱の果てに! 『ただの陰キャ』から『そういうタイプの陰キャ』にランクアップしたのである! なんだよそういうタイプって! わたしゃポケモンか! ええ!? 草タイプと見せかけて虫タイプでしたってか!? ええ!?
……と、盗み聞きした時は大変憤ったものだが、実は私にも思い当たる節がある。
確かアレは小学五年の頃、クラスの男の子に長谷川君というのがいて、その子は少し変な子で、自分の眼鏡を外してはツルの部分を舌で舐める癖があった。
それを同級生に気持ち悪いとからかわれると、長谷川君は発狂したように騒ぎ立てるのである。
彼も帰りの会の嫌なことがありました発表会で、よく学級裁判を起こしていた。私は裁判の開かれる度、物言わぬ傍聴人に徹し、そんなにからかわれるのが嫌なら眼鏡のツルを舐めるの止めろよと思って見ていた。
え? ひょっとして私って、その発展形の一種?
私の裁判の時もクラスメイトの大半が物言わぬ傍聴人になっていた。原告の私が担任教師もろとも吹き飛ばす勢いで、トイレの壁を蹴った島村を糾弾している時、クラスメイトはずっと黙りこくったままだった。
私という超越性に恐れ慄いているのだろうと思っていたが、よく考えれば、それは私が長谷川君を見る目と同じだったのかもしれない。
そんなに怒るなら眼鏡のツル舐めるの辞めろよ。
そんなに怒るなら陰キャラするの辞めろよ。
……さすがに眼鏡のツルを舐める趣味がある長谷川君と、無化粧無装飾を主義にしている私とでは根本的に何か違うと思うけど、学級裁判激強キャラという意味では同じだ。
意固地で頑固で攻撃されると狂気じみて騒ぎ立て、しかも周りを巻き込み学級裁判で弁舌する奴。学校に必ず一人はいる『そういうタイプの陰キャラ』だ。
みんな一度は遭遇したことがあるから、私という超越的な存在を見ても、さして驚くことはない。教室のルールはいとも簡単に私を飲み込み序列の中に組み入れてしまったのだ。
まさしく、そういうタイプの陰キャとして。
ははは、なーんだそういうことだったのか。私って学校に一人はいるような奴だったんだ。あれだけ頑張って戦ってきたのに、私は特別じゃなかった。スクールカーストを超越したわけじゃなかった。
ハハハ。ハハハ。はははのは。
……だったらさ。この私ですら、陰キャって呼ばれてさ、所詮スクールカーストの一部でさ、超越した存在になれないならさ。
一体誰がスクールカーストを壊せるんだよ。
一体誰が普遍の願望を叶えてくれるんだよ。
陰キャラが嫌なら変わればいいじゃんって、誰があの忌まわしき選択肢を創り替えてくれるんだよ。
私は湯豆腐のように細い息の中で悟った。
私達は学校のクラスメイトを『彼らは』と語ることはできない。学校に『彼ら』なんて存在はいない。『彼らは』と語りうる達観した自分も存在しない。
学校に入った私達は必ずスクールカーストのどこかに位置づけられる。入学した時から、この枠組みの中で暮らす定めにある。どんなキャラを装ってもどんなに戦っても、スクールカーストからは抜けだせない。
故に学校には『私達』しかいない。私達は私達について『私達は~』としか語れない。
私達は青春の名の元に、クラスメイトを陰キャラと呼び、チー牛と呼び、陽キャと呼び、DQNと言ってお互いを嘲笑しあう。たまに私みたいな異端児も生まれるけれど、それすら学校が病のように内包する私達の一種に過ぎない。戦っても戦っても、そういうタイプの陰キャにしかなれない。日本人がどれだけ異端でも、世界の中の一国に過ぎないように。私達は私達であることを止められない。
世界に社会人という名の民主主義が訪れて、私達は私達を辞められる。
人種いじりが禁止になるように、陰キャラいじりやDQNいじりも禁止になる。禁止になったから過去の私達を『彼ら』にして語れる。そこに達観したような自分を作り出せる。そんな人間は誰一人としていなかったというのに。
私は私に希望を与えた全ての創作物に問いたい。
私達の先祖は私達をイエローと呼んだ白人に仲間入りしたのか。
私達は今、私達を陰キャラと呼ぶ彼らの仲間入りすべきなのか。
そして、この枠組みの最下層で世界転覆の野望を抱く私も、あるいは枠組みの一番上にいる大嫌いなアイツですら、私達は等しく同じ私達に過ぎない。
私達は私達であることを辞められない。この不毛な戦いを終わらせるためには、時間が経つのを待つしかない。
このやるせなさを忘れてしまったのか。