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3-15 風紀委員長北林京子『私には義務がある』 

「アスカのモノマネって北林さんの十八番でした?」

「別に。出来るってだけ」

「練習してるでしょ」

「してないし」

「うそ。じゃあなんで出来るんです?」

「映画見たから」

「見ただけであのクオリティ?」

「まあ、友達の前でノリでやったりするけど」

「絶対一人で練習してる」

「してない」

「他のレパートリーは?」

「だからレパートリーとかないって。私は君みたいな芸人さんじゃないから」

「でも俺達は同じ世界に生きてる」

「肌の色だけで反発するこの世界でね」

「言葉は通じる」

「『朝まで生テレビ』見たことある? 日本語でも通じてない」

「リンカーンの『朝までそれ正解』なら見てましたよ。むっちゃ面白いんすよアレ」

「そんな昔のバラエティ見てないし」

「今ユーチューバーがパロディで動画上げてるじゃないですか。例えば、『”か”で始まるお弁当に入ってたら嬉しい具材は?』みたいなお題に皆で答えるゲームです」

「形式は知ってるけどさ」

「ちなみに答えは? 『か』で始まるお弁当に入ってたら嬉しい具材」

「え? 唐揚げとか?」

「残念。正解はかまぼこです」

「なんで。かまぼこは絶対にありえないでしょ」

「いいや違うんです北林さん。『朝までそれ正解』は『かまぼこ』を正解に出来る、お笑いの中で最高の形式なんですよ」

「ええ? 最高の形式?」


「ええ最高の形式です。『朝までそれ正解』では、まずグループの中で一番強い浜田が進行役をします。進行役は初めに常識人の天野や宮迫に無難な回答を出させて観客の共感を呼び寄せる。次にボケのさまぁずやウドちゃんが常識とは少しズレた回答を出して無難派に対抗する。


 そして、無難派とズレ派の言い争いを俯瞰したような態度で見ているのが天才の松本。天才は無難とズレの両方を皮肉りながら自分の回答を出す。つまり『かまぼこ』なんです。これがまた無難もズレも超越した絶妙なセンスのボケになってオチがつく。


 『朝までそれ正解』の王道パターンは大体こんな流れ。難しいことをやっているように見えて、実はそれぞれが役割分担が明確だから笑いどころを作りやすいんですよ。進行役、無難役、ズレ役、天才役、これさえ揃えば絶対笑いになる。大喜利としても答え方が限定されているから、素人にだって回答を作りやすい。


 逆に言えば、役割分担さえできるなら素人でも出来るお笑いなんですよ。二年の間でもよくやります。皆ホントは天才役の松本がやりたいんだけど、天才役が出来るのはクラスで一番面白い奴だけ。俺は松本に憧れてズレたボケを出すさまぁずの三村役。全員からお前はないって突っ込まれるの」


「ふぅん、長々と説明ありがとう。でも残念、その舞台、私の出演できる役はなさそうね」

「どうして。北林さんは絶対に浜田の役で」

「私、とんねるずの方が好きだから」

「うっ」

「やっぱり通じ合えないのね、私達」


 走りついた先は旧校舎の一階、風紀委員会室だった。

 鍵を開けて中に入れてもらったものの、会話はこんな調子で、北林さんは全然俺のペースには乗ってくれない。リンカーンの『朝までそれ正解』大好きだったんだけどな。


 それでもめげずに話題を探していた。


 俺達にとってのとんねるずと言えば『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』が一番有名。確かに北林さんの芸風的には、空気を読みあうバラエティー大喜利よりも、芸達者が一人で作り出すモノマネショーの方がいいかもしれない。背が高くて顔も濃いから、ブラックスーツの男気ジャンケンもよく似合いそうだ。


 俺は細かすぎての話題を振ろうとした。雅楽と豆腐屋のモノマネを披露した人は当時高校生だったらしいですよと、興味を引こうとした。


 けれど北林さんは、俺が言いかける前に、ピシャリと言い放つ。


「別に、辞めるんなら辞めてもいいから。風紀委員会」


 ……これ以上、会話をする気はなさそうだった。そう言ったきり、北林さんは俺の隣から離れていく。壁際の銀のラックまで行き、青いファイルをいじり始めると、俺に背中を向けたまま振り返らない。


「一回すれ違ったくらいじゃ、嫌いになりませんよ」


 俺は言った。

 北林さんから言葉は返ってこなかった。

 やっぱり丹波さんの言うとおり、いきなり距離は縮められないか。

 だったら俺も、飾らない素直な距離感で話すしかないだろう。


「俺が思ってること、話してもいいですか?」


 返ってくるのはポニーテールの揺れだけ。

 俺は話し始めた。


「昨日のくじびきショーカッコよかったです。お世辞じゃなくて本当にそう思ってる。クラスの全生徒の情報を把握して、魔王劇をやりながら手を挙げられない生徒を探してく。普通の女子高生には出来ないですよね。尋常じゃない精神を持ってないと出来ない。俺も舞台に立つことが多いから、北林さんを見た時は衝撃でした。今回は変な形で風紀委員になっちゃいましたけど、多分俺アレがなくても、何かしらの形で北林さんに近づいてたと思います」


 反応はないけれど、ポニーテールの揺れは止まっている。俺の言葉が届いていると信じて続ける。


「その後、風紀委員会室で丹波さんや泉さんに遊んでもらいましたよね。美味しい思いをさせてもらった後、俺が先輩二人を口説くゲームみたいなことしました。でも今思えば、初対面の先輩二人をああいう恋愛色にしてからかうのは、少し軽率だったかなって反省してます。もし北林さんの気に障ったなら、謝ります。すみませんでした」


 北林さんはまだ振り返ってはくれない。でも聞いてはくれているんだろう。北林さんの手は銀のラックにかたったまま、動いていなかった。

 次の話題、コレが一番難しいと思って俺も覚悟を決める。自分でも纏められるか解らないけど、とにかく話すしかない。


「次に宮奈のことですが」


 そう口にした瞬間、初めて北林さんが口を開いた。


「宮奈のことはいい」


 バッサリと斬られる。意図が解らず困惑する。名前も聞きたくないほど嫌いなのかと思った。

 でも違った。


「彼女のことは組織的な問題だから。なぞなぞクラブのことも、君の優柔不断なダブルブッキングのことも、ここで話をしても解決にはならない」


 安心した。やっぱり北林さんってキレ者だと思った。俺と北林さんの対話では、宮奈を紐解くことは出来ない。

 それを解ってもらえるなら、あとはもう素直に語るだけだ。


「宮奈が帰った後、北林さんに怒られた時は、うん、怖かったです。俺もあの時は絶対に宮奈の所に行かなくちゃと思って、焦ってて、言葉足らずになってました。始めから宮奈の所に行くって言えばよかったですよね。紛らわしいこと言って、ごめんなさい」


 スッキリと謝る。長々とは語らない。傷を舐め合いにきたわけじゃないから、次で終わりにする。


「俺からはソレだけです。昨日の一件だけで北林さんのことを最低なやつだとか、そんなことは思ってません。むしろ、今日は更に北林さんへの興味が増しました。さっきのモノマネめちゃめちゃ面白かったですから。だから俺はもっと北林さんと話したい。たった一回すれ違っただけで、一生喋らないとか、そんな関係にはなりたくない。今日はそれを伝えたかったんです」


 俺から伝えるべきことはコレで終わり。振り返らないポニーテールを見つめる。

 北林さんの後ろ姿。女子なのに、背高い。百七十くらいある。

 腰の位置も高い、ふくらはぎのライン綺麗すぎ、走ったら絶対足速い。運動できる人の脚。黒いストッキングは大人っぽい、上履きの背に書かれた苗字は、止め跳ねくっきりの武骨体。

 女子だからって丸文字は書かない、強い人の脚。


 ……でも、こういう場面では、ただの女の子なのかなぁ。


 北林さんから言葉は返ってこなかった。


 悔しいけど、丹波さんの言う通り。喧嘩の翌日で、男女の距離はいきなりは縮まらない。

 手を引いて走り出せば何か変わると思ったけれど、性の幻想で飛躍した物語は、結局は何も生み出さない。そう、身をもって実感する。


 喋れない女の子の言葉を無理に待っても、物語が重くなるだけだ。

 ここはヒロインの気持ちを察してあげて、頷くだけで物語が進むように、フォローしてあげるのがヒーローの努めだろう。


 セリフは簡単。また放課後話しましょうね、俺は諦めませんから。そう言って立ち去ればいい。女の子が「うん」と言うだけで進行するシナリオを作り出す。


 俺が口を開きかけた時だった。


「うん、私も、昨日は、嫌な気持ちになってた」


 ぽつぽつと言葉が漏れ始めた。声は春の一人雨のように弱かった。

 銀のラックから手が離れる。先輩が振り返る。いじけた獣のように俯いている。


 白指の前髪いじり。垂れた腕の裾掴み。戸惑った上靴の足踏み。


 それでも言葉は届いてくる。ぽつぽつとぽつぽつと。髪を跳ねる雫のように寂しい音で。


「時舛に、初恋の人に似てるって言われた時、完全に調子乗って、初な奴なんだと思って見下した。それで、君が遊びで泉を口説いた時、想像以上に凄いし、丹波と話してる時もめちゃめちゃ面白くて、私の出る幕なんてなくて、嫉妬した。本当に丹波や泉を取られちゃうんじゃないかと思って、すごく嫌だった」


 空では誰かが泣いていた。大事な友達を軽い男に渡したくなかった。

 やっぱりあの時の俺、やりすぎてた。イジるにしても、イジられるにしても、もう少し節度を保てばよかった。


「それでイライラしてて、宮奈が来て、宮奈に言い負かされて、更にイライラして。時舛がバイトしてるって守本に聞いてたから、私風紀委員長だし、絶対に注意しようと思ってた。でも、バイトも噂だけで確証はないって解ってたし、正直イライラをぶつける矛先にしようとも思った。泉と丹波で遊ばれて、宮奈にもちょっかいかけてるって思ったら、もうイライラ押さえられなくて、時舛が帰るって言い出した時、勝手にバイトだって決めつけて、一回胸倉掴んだら、後に引けなくなった」


 ツーっとおでこが冷たくなる。言葉は肌を濡れるように染み入る。部屋の中で雨の音を聴くように、それ以外の全ての音が遠ざかっていく。

 今、俺はこの人に何と言葉をかければよいだろう。雨降りの空模様に問いかける。俺も悪かったですって、言えばいいかな。バイトなんて本当はしてないんですって、正直に大道芸のことを言えばいいかな。


 迷う。留まる。辞める。いくら叫んでも空に言葉は届かないと知っているから、今は北林さんの言葉が止むまで、待ち続けるしかないだろう。


「昨日の夜は丹波に散々怒られた。バイトしてるとか、胸見られたとか関係ないって。言っちゃダメなこと言ったって。私は、自分は悪くないって駄々こねて引き伸ばしてたんだけど、そんなの、結局丹波に構ってほしかっただけだって、自分でも解ってるから」


 そこまで言うと、北林さんは顔を上げた。前髪を払う。騎馬みたいに駆ける眉が現れる。強い鼻筋が現れる。西洋の絵画みたいな陰影が現れる。

 そして、俺と向かい合う。雨に打たれたみたいな、滲んだ目で。


「昨日、ゴメンなさい。言うべきじゃない事言いました。悔しくて筆箱も振り回しました」


 聴いた。俺は確かに聞き届けた。

 北林さん、やっぱりただの女の子じゃなかった。ヒーローの作ったシナリオについてくるだけの人じゃなかった。自分で言葉を作り出せる人は、絶対に何かの物語の主人公だ。多様な形で解りあえる人だ。


 なら、俺もそれに答えよう。彼女を雨の世界から連れ出そう。傷心の女の子を癒すのは、いつだって俺の役割なのだ。

 そう信じて疑わず、俺は言いかけた。


「北林さん」

「待って。まだ、私から言うから」


 けど止められた。踏み出した一歩と一緒に、スンと俺も止まった。

 どうして。これ以上は何も要らないのに。


 もう一度向かい合う。滲んだ目。瞬き一つ、硬く変わる。


「私はこの高校の風紀委員長だから、私の振る舞いが全ての生徒に影響することは自覚してる。私が子供じみて振る舞えば、私の後に、子供じみた後輩が続くこと、自覚してる」


 寂しい雨の声ではなかった。執念じみて低い声だった。息を継ぐたびにゴロゴロと重く、声は乱層の黒雲が集うように変わっていく。


「私には義務がある。この学校の誰よりも鮮烈に生きること。この学校の誰しもを惹きつけること。この学校の誰一人を孤独にさせないこと。そのために言葉を尽くすこと。そして私の放った全ての言葉は、どんなに酷い言葉も、幼い言葉も、無かったことにしてはいけないこと」


 ギョロリ、目が覗く。滲んだ目。

 血潮を噛むような瞼の力。硬く鋭い目尻の尖り。落ちない雷鳴のように低い声。光らない黒雲のように厚い空気。


 言葉はまるで天から授かったかのように、降りてくる。


「この学校で交わされる全ての言霊は、いずれ私達が経験するより大きな舞台での、武器となり、愛となり、そして罪となる。学生はみんな卒業で死んで、全ての言葉が赦されて、社会人へと生まれ変わるなんてことは、私達にはない。私達はこの学校で使われた全ての言葉を継承する。そのために風紀委員会は何十年と通じる言葉で戦う。一度放った言葉は死んだ後にすら残り続けると、その覚悟で言葉を使う。洲屋高校風紀委員長の義務を、私自身が望んで背負っている」


 声を失うほど、俺は打ち震えた。

 俺が父親の名を借りなければ主張できないものを、この人は他の誰にも頼らず自分の言葉だけで主張した。俺にとっては足枷でしかない貴き者の義務が、この人にとっては、それ自体が言葉の源だった。


 どうしてそんなに強くいられるのだろう。どうしてそこまで自分に自信が持てるのだろう。俺と北林さんでは、たった一年しか生きてきた年数は変わらないのに、同じように滋賀県の田舎町で過ごしてきたのに、どうしてこんなにも言葉が違うんだろう。


「宮奈のことも必ず私達が何とかする。彼女の個人的な性格も、組織上の対立も私達風紀委員会が解決する。放っておいたりはしない。宮奈と話し合うべきは私達だった。私達が取り組むべきだった」


 息を飲んで見守った。滲んだ目をずっと見ていた。その先の言葉を焦がれるように待った。


「だから、時舛。私のことを、洲屋高校の風紀委員長のことを、もう一度信用してほしい。絶対に後悔させないから、風紀委員を続けて欲しい」


 ――芯底、俺は北林さんをカッコいいと思った。

 空の息が垂れほど、目の奥に熱を帯びるほど、カッコいいと思った。


 悪いと解っていつつも、俺は比べてしまった。

 あんな陰キャラとは関わるなって言う同級生と、誰一人孤独にさせないと言う先輩を。

 スマホのメッセージで『アイツは害悪だ』と嘯く後輩と、何十年と通じる言葉で戦うと言う先輩を。


 どっちが好きかって、そんなの決まってる。


「はい。北林さんのこと信用します。風紀委員会続けます」


 俺は言った。

 結局、北林さんの物語に引き込まれてしまった。俺が手を引いて走り出したのに、これでは俺が北林さんの物語のヒロインになっているではないか。

 それでもいい、その方がいい。

 俺は北林さんを信じる。北林さんの言葉を信じる。そう決めた、傍にいてこの人を聴いていたい。

 スッと気恥ずかしさで鼻をかく。もみあげを触る。前髪をいじる。


 すると不意に目があった。


 目の前にいる先輩と。憧れの先輩と。

 切れ長の目、騎馬みたいに駆ける眉、堀の深い鼻筋、絵画じみた陰影。

 コッチをジッと見ている異性の瞳。

 カッコいい。背高い、脚長い。カッターシャツの線が綺麗、指先まで繊維が繋がってるみたい。けど爪はキッチリ切りそろえてる、手首に筋が浮かんでる。強い人の腕。もしも、あんな人に手を引かれたら、腕を組んで街を歩いたら。


 ――え?


 ウソウソウソ、俺、心臓ドキドキしてない?



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