3-4 会話することでほぐれる思考
「……はぁ」
悩み過ぎて、頭が痛い。
独り言激しいし、一人で叫んじゃうし。
楽しいこと思い出して気分転換しようと、別のことを考える。何も楽しいことは思いつかない。じゃあもう寝る。目がギンギンして眠れない。スマホ、堤のラインが怖くて電源つけれない。
ベットでゴロゴロ、一分の進みがやけに遅い。その割にウトウトもしてこない。
それでも一時間くらい経った。一向に眠気は来ず、漫画を開いたり閉じたり、結局、宮奈のコト考えてる。
今日の最後の宮奈。暖簾に入れた手のひらの感触。
……アイツ、マジで胸揉ませてきたよな。そりゃあんなけ悪口言ったら明日からまともに話せないだろうし、いっそセックスして関係を清算してしまおうと思ったんだろうな。ホント思い切りのいい奴。
それにしてもデカかった。巨乳だった。色白巨乳だった。
あのまま揉みしだけばセックスコースだったし、なんなら今日は母親パートで夜十時まで帰ってこなかったし、絶対ここでヤれた。
「……」
もう一度、思い出す手のひらの感触。心臓のリズムがコロンと変わる。心音が小声で何か言ってる。
時舛、ヤりたいって。
うっそマジ?
まだまだ思い出す手のひらの感触。カッターシャツ越しの柔らかさ。女性の身体。手を包み込むほどの肉感。胸の谷間。もっと指を動かしたかった。ビーンズクッションみたいにこねくり回して、手に馴染ませてやりたかった。
ベッドから体を起こす。壁を背もたれにして足を伸ばして座る。
ドクンドクン。心音はマジだと言っていた。
ヤりたい、ヤりたい。
面倒な問題に悩むことに飽きた脳内が、一発抜いて楽になれと言っている。気を逸らすほど濃厚な欲望が下腹部に溜まって、ただでは収まってくれそうになかった。
「あー」
どうする。親はもう帰ってきてるけど、ヤるか?
実は時舛、女慣れしたフリをしているけど、こっちの儀式にはあまり慣れていない。自分の部屋で下半身を露出する勇気もなくて、トイレでこそこそと処理する方法もイマイチ解らない。大体家族が使う場所でそんなのしたくない。
だから、いつも忘れたフリをして誤魔化している。毎晩のように誤魔化している。自分で処理をするともなれば一大イベントで、入念な準備が必要。やりたくなったらすぐ出来るほど、俺はこの儀式に慣れていない。
ただ我慢することには慣れている。触りさえしなければ何ともならないことだけは知っている。
だから別のことを思い出して気を反らそうとした。
今日の風紀委員会のこと。
放課後に北林さんがやってきて、魔王じみたくじびきショーを聞いて、堤と北林さんが修羅場になって、風紀委員会室に連れていかれて、丹波さんと泉さんと出会って。
その後。
「……」
今一番余計なことを思い出してしまった。
泉さんに見せられた、丹波さんにも見せられた。泉さんはたゆんたゆんの胸元、丹波さんはくっきりと下着と素肌の境界線。俺は見た。
性の興奮に拍車がかかる。硬いだけの棒が潤いを帯びてくる。心音が内側から体液を押し出しているかのように、熱い焦燥感に駆られる。
気を反らす。反らしきれない。泉さんのグラマラスな身体と、丹波さんの下着の色を永遠と繰り返し思い出している。ヤりたいヤりたいと心音が叫んでいる。熱くて薄い粘液がパンツにはみ出て濡れる。
耐える。心音が快感を呼んでくる。ズボンとアレのわずかな摩擦が一粒だけのキャラメルのように美味しい。下腹部が熱い。もうすでに吐き出しているような錯覚を覚える。
でも大丈夫、この薄い液と熱いだけの湿気は本物のアレではない。触らなければ大丈夫、だからもうちょっとだけこの感覚を味わおうとして。
油断した。俺は一番好きだった光景を思い出した。
北林さんのスカートの中。黒ストッキングの奥に見えた白い欲望の形。
ほぼ無意識に少しだけ触っていた。ズボン越しに、パンツ越しに。手で輪っかを作って竿全部を握るように、本能的に。触る、触る。
「――っ」
ヤバい。不意に腰が跳ねる。ソレが射精の予兆だと気付いて慌てて腰をおさえた。
息を止める。体を丸めて空き巣のように静かにする。脈々と快感を得ようとする身体の性機能を全力で止める。
「……」
なんとか収まった。パンツも確認したけど無事だった。
もう嫌になった。危ない橋を渡った直後、それでもまだヤりたいと叫ぶこの体が嫌だった。
ベッドから椅子に移動する。性欲から顔を隠すように勉強机に突っ伏す。親の顔を浮かべながら、ヤろうかどうか迷った。どうとも決定できずに時間だけが過ぎる。
無意識でスマホを拾っていた。電源を入れる。堤と池谷が未だにラインしてきてる。無視。守本からの返信はなかった。つれない奴、ますます好きになったよ。
惰性でスマホを触る。あて場もなく待受画面を左右にスライドする。どこをタップしても俺を熱中させてくれるゲームはない。どんなゲームも一月すれば飽きる。
新しいゲームをしてみようかなと、ストアアプリを開いた。
おすすめゲームコーナーを見る。色とりどりのキャラクターが四角い枠の中で輝く瞳を俺に向けている。適当に一つタップした。
スマホの画面は当然のように性的な光景を映した。髪色の明るい女性のキャラクター。谷間の潰れるほど大きな胸、へその見える細い腰、スカートの下の長い脚。張りつめた衣服の下で好き放題に性を誇張された女性の身体が、胸を突き出すようなポーズで俺を誘っている。さあゲームを始めようと。
気恥ずかしい。目のやり場に困る。こんなのゲームどころではない。こういうのを見るといつも挫折する。ゲーム自体は面白いんだろうけど、今日もやっぱり性のパレードに負けて止めてしまう。
ストアアプリを終了してホーム画面に戻す。
すると、ちょうどのタイミングで電話が来た。ドキッとしたけど、相手は男友達の田口だったので安心して出た。
「もしもし」
疲れ果てた声が出る。対する田口も、ちょっとやつれ気味の声。
『よ、元気か?』
疲れ果てた思考のまま、会話する。
「元気じゃない」
『だろうな。北林さんと宮奈の二連戦やもんな』
「うん。え、てかなんで田口も知ってんの? どこ情報よソレ」
『まあ、北林さん泣いてたし、生徒会の南原さんも動いたし。俺も事情徴収されたし』
「ああ、生徒会長の南原さんね……でも俺が元気じゃないのは、ソッチの件じゃなくて」
『え? じゃあなに?』
「え、ええっと」
言いあぐねる。
まさかこの空気感で、こんなしょぼくれたテンションの会話で、アレが出来ずに悩んでいるとは言えまい。
『悩んでるのは宮奈の件の方? てかその前に、俺もあの時ギャグ振って悪かったと――』
田口は何か言いかけるが遮る。宮奈の話題はいくら話しても泥沼になるだけだ。
「いや宮奈の方はいいのよ。色々考えたけど、俺の中での結論は出たから」
『どんな結論?』
どんな結論かと言われれば、正直に話すしかねえよな。俺は耳に当てたスマホに向かって、ありのままの感情を吐き落とす。
「俺に何とかできる問題じゃないっていう結論」
『……そっか。そりゃそうよな。アイツは抱えてる問題の次元が違うよな』
「ガチ。知ってると思うけど、俺今日の放課後に宮奈と約束してたのに、それすっぽかしてブチ切れられてさ」
『らしいな。宮奈、風紀委員会でバチバチに喧嘩した後、その憂さ晴らしの罵詈雑言を全部時舛に浴びせたって』
「うん、浴びさせてもらいました。でも延命処置だけは施した」
『延命処置って?』
「宮奈、あの調子やと学校来んくなる可能性もあるなって思って、俺だけはアイツの味方でいることにした。とりあえずアイツは明日も学校に来る」
『え? ということは縁切ったわけじゃないの?』
「違うよ。こんなことで縁切るわけねえやろ。宮奈にくそみそ悪口言われて、俺もキレそうになったけど、なんとかへりくだって謝りつくして、泣き落としかまして、最終的には明日もう一回話すって約束した」
『お前マジで神やな。それは流石すぎるわ』
「やろ? 宮奈に関しては神フォローできたと思う」
『うん。すげえよ。てか泣き落としって何。宮奈相手にも通じんの?』
「泣き落としはヒステリック状態になった女の子を落ち着かせるテク。罵詈雑言の悪口に対してガチ泣きしながら謝ることで、相手の共感性を呼び起こして相手も泣かす」
『ふはははは! すげなそれ! そのテク使えんの地球上でお前だけやろ!』
笑う。気心の知れた友達と話していると少し心が軽くなる。
別に現状の問題に何の進展もあるわけじゃないけど、自分の思いをそのまま口にして、それを友達に肯定してもらうだけで、凝り固まった思考がほぐれていく。
面白い話って、そういう時にホロっと漏れる。
「でも俺、泣き落とした後ガッツリ宮奈の胸揉んだで」
『え!? ちょっと!? なんで!? なんでその流れで胸揉めんの!? どういうこと!?』
「いや違うねん。俺もそんなつもりはなかったんやけど、俺が謝りつくして泣き落としかました後、宮奈も泣いてくれたから、しばらく手握っててあげたの」
『うん』
「そしたらアイツ、俺の手を胸の谷間に擦り付けてきて」
『はははははは! なんで!? どういう意図で!?』
「多分やけどな、アイツ俺に悪口言いすぎて、明日から俺とどう接すればいいか解らへんくなったと思う。それで、もういっそセックスして関係を清算しようっていう目的やと思う」
『ああー、そういう算段か。それは頭いいのか悪いのか』
「いや女として頭いいぞ。もしも宮奈の見た目が北林さんクラスやったら、俺今頃全部許して抱いてるから」
『ははははっ! 宮奈、足りんかったのか! それはそれで悲しいなアイツ!』
「でも、宮奈の胸めっちゃデカい。ヤバい。大きさだけなら歴代一位」
『歴代とか言うな生々しい!』
笑う。どうしようもない男の下ネタで笑いあう。ほぐれた思考が柔軟に言葉を選んで、次々と言葉を通わせていく。
『いやー、いつもの時舛で安心したわ。泣いてたらどうしようと思った』
「大丈夫、泣いてはない。てか、学校で散々泣いたからもう涙はでん」
『え、学校で泣いたん?』
「宮奈に人格全否定されてな。さすがにあの時は心ぶち折れた」
『辛いな。よくキレずに縁保とうと思えたよ』
「頑張った俺。あでも違うわ。俺、北林さんにはキレてしまった。やらかしたわ俺」
『待て時舛。北林さんの件は満場一致で北林さんが悪いってことで決定してるから。むしろお前がキレて北林さんを泣かしたことは称賛されてる』
「そうなん? てか満場一致って、どの界隈で満場一致? どの辺のグループ?」
『いや北林さん以外全員。生徒会も文化委員会も丹波さん一派も俺も上田も、全員お前の味方』
「みんな状況知ってんの?」
『知ってるよ。宮奈のとこ行くために早く帰ろうとしたのに、風紀委員会舐めんなって言われてエロマスって煽られて胸倉掴まれた後、筆箱振り回されたんやろ?』
「見てきたかのような!」
『生徒会がガチで事情聴取してるからな。今この世に北林さんの味方はおらん!』
力説する田口。俺の行いが肯定されて嬉しいわけだが、さすがにここまでくると逆張りしたくなるのが男ってもん。
「待って。じゃあ俺は北林さん擁護派やわ!」
『なんで被害者本人が擁護派になんねん!』
「田口、聞けと。俺もネタじゃなくてガチなんやけど、俺ほんまに北林さんとの一件は深く考えてないし、さほどダメージも受けてない」
『そうなん? 俺聞いてるだけでも許せへんねんけど』
「確かに北林さん酷いんやけど、それには事情があって、言ったらあれは初共演時によくある役者同士の交通事故みたいなもんやねん」
『想像つかんて。なに初共演時の交通事故って』
「いや実はな、風紀委員会の中で雑談してる時なんやけど、成り行き的に一瞬だけ俺が場を回してしまってん。その時に泉さんと丹波さんは扱いやすいから、回しの中に入れてあげられたんやけど、北林さんはキャラが掴みづらいから、ハブったのよ」
『ああー、なんとなく解ったような』
「そういう雑談の中で不機嫌にさせたやろうなって所はある」
『待て。それでも胸倉掴むのはおかしい。お前は女に甘すぎる』
「舞台立つ人間はそんなもんや。北林さんも心のどっかに魔王宿してはんねん」
『なんなんその舞台役者は特殊理論。許されへんもんは許されへんって』
「許される! 何故なら俺達は喧嘩も早いけど、その代わり」
『その代わり?』
「恋愛の展開もめっちゃ早い。俺、明後日には北林さん抱いてると思う」
『はははははは! なんなんお前はもう! どっからその自信湧いてくんの!』
笑う。半分冗談半分本気の屁理屈を唱えている時が一番面白い。
常識的に考えて明後日に北林さんとセックスしてるなんてありえないんだけど、ここ数日が激動の展開になるってところは確か。
「まあまあまあ、味方してくれるのはありがたいけど、北林さんの件は俺の力でなんとかしたい」
『いけんの? あの人も相当ヤンチャやぞ』
「いける。今度、俺の舞台で解らせたる。役者としての格の違いって奴をな」
『ふふっ、それは楽しみにしてるわ』
冷静に考えて舞台で解らせるってどういうことだろう。自分で言っておきながら、どういう状況なのか解らない。
だが、そんな妄想を友達に話しているだけで無性に面白い。
雪解けた心は弾みながら次の言葉を探してる。
ちょうど話題が北林さんに流れてきたので。
「ところでさ、北林さん彼氏おらんってマジ?」
『え? まあ、多分おらんと思うけど。おったらあの人絶対言いふらすから』
「言いふらすタイプなん?」
『言いふらすっていうか、感情爆発してすぐ全員に言うと思う。ってちょっと待て』
「え、なに?」
『ひょっとしてお前、ガチで北林さん狙ってる!? 悩みってソレ!? あんだけ学校で問題起きてんのに、恋煩いが一番の悩みなわけ!?』
「違う違うんやって! 別に狙ってるわけじゃなくて!」
『じゃあ何、時舛の悩みの根源はどこなん?』
「いやそのですね、俺にも色々と立て込んだ事情が」
『ほらお前その態度。もう北林さんのこと好きやん。絶対好きやん』
「だから違うって! 根拠皆無やろ! どこに北林さん好き要素あった?」
『だって時舛、柄にもなく抱くとか言ってくるし。女の乳揉んだ自慢してくるし』
「ただの下ネタ! いっつも言ってるやろ!」
『いや言ってないぞ。お前普段は下ネタ言わん。特に実際の女に対して乳揉んだとか絶対言わん』
……そうだっけかな。
まそうよな、確かに普段は言わないよな。ゲスゲスなのは心の内に留めてるし。
俺は男友達にヤり自慢するタイプではない。むしろ、そういう男っぽい世界が嫌いだから元女子校の洲屋高校に入ったわけだし。
『お前が下ネタする時は誰かを好きになり始めた時だけ。やたら性に対して強気になり始める時期がある』
「そんな」
『堤で下ネタ言ってみ。アイツの好きな身体の部位は?』
「だから、そういうの良くないからさ。堤が聞いたらショックやろうし」
『でも明後日には北林さん抱くんやろ?』
「えっへへ、え? いけるかな? ワンチャンあるんちゃうかなと思ってて」
『ほら。もう反応が違う』
「今のは誘導尋問やん! 誰しもそうなるやん!」
『いやならんやろ』
「なる! もう北林さんは凄いの! 凄い人なのアレは!」
『じゃあその北林さん推しの理由はなんなん? 好き以外に理由あんの?』
ここまで詰められると、段々と面白さより恥ずかしさが勝ってくる。
同時に自分の子と理解してもらいたい欲が出てくる。本当の自分を解ってもらいたいという欲求が唇をわなわなと動かす。
違うのだ田口。
俺が下ネタするのは、別に北林さんが好きなわけじゃなくって。
「まあその田口よ」
『うんなに?』
「今日、不可抗力で、ホンマに不可抗力で、北林さんのパンツを見てしまったわけですよ」
『それで?』
「それで、えーっと」
くっ。ここまで来たら察してくれ田口。
陽炎稲妻水の月の真の悩みを察してくれ。誰の手にも捕まらない夢幻の蝶は、その実ピュア過ぎてアレが出来ないのだと伝わってくれ。
『あ解ったわ。お前またオナニー出来ない病発症してるやろ』
「ぢょっど。そんな直接言わない!」
それはトキマス的世界観を著しく崩壊させる言葉だった。
カタカナで、オとナとニ。トキマスが絶対に発言できないワード。同じ下ネタでも『抱く』とか『胸揉んだ』とかは冗談っぽく言えるんだけど、オとナとニだけは冗談でも言えない。
聞いただけで恥ずかしく、足場がぐらつくような感じがして、途端にいつもの調子が出なくなる。
田口は俺があたふたしているのを構わず言い放つ。
『解ったわ! 上田にも連絡してお前がオナニーするよう説得したるやんけ!』
こうして男達の最も深く、そして同時に人間としてクソほど浅い下ネタ談議が始まるのである。