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2-17 実は大物司会者でも何者でもない俺

 宮奈の視線の先で、泉さんは言う。


「解りました。時舛に聞きましょう」


「え――?」


 俺は思わず声を漏らした。


 俺?


 焦った。このタイミングで俺。

 まさか俺にバトンが回ってくるとは思わなかった。でもよく考えたら俺で当然だ。あの場に立ち会わせた当事者って、北林さんを除けば、今は俺しかいない。


「時舛、貴方の目には、北林の対応はどのように映りましたか?」


 泉さんに問いかけられる。焦る焦る。心がまとまらない葛藤を始める。


 ――俺は何を言えばいいんだろう? どこから話せばいいんだろう? 全部話せばいい? 要約されてた方がいい? ありのままの方がいい?


 何より、俺はソレを、どんな風に語ればいい?


 理想を言えば、俺も泉さんのように皆が納得できる理屈を話して、この殺伐とした空気を和らげたかった。

 でも、まさか今この生死を彷徨う境界線で主治医に代わってメスを握る度胸はないし、その技術もない。手の震える俺では、泉さんを補助する看護師すら務まらない。 

 なら、目には目をの理論で、俺も病的に振舞おうか。病的に強い奴を演じてみようか。出来る気がしない。だって俺はあの亡霊より重い病にかかったことがない。俺の病なんて抵抗にすらならず飲み込まれていくだろう。

 じゃあ魔王の化身にもなる。北林さんの絶対の味方としてふるまう。無理、出会って二日目の人に身を投げ出す覚悟ははない。

 かといって、丹波さんの仲間になって遊び人のチャラ男っぽく、細かいことはいーじゃんって受け流すことも出来ない。


 全部出来ない。俺のリズムでは物語を変えられない。どこにも何にも結べない。


 人は喩えられるから強くなる。みんなそうそうたる役柄を背負うからこの論争の大舞台を戦える。リアルの台本に俺の役柄は書かれていなかった。誰か、俺に役を与えてほしい。この面子の中でも十分に戦える比喩を俺に与えてほしい。


 願うほど、考えた言葉が頭からスリ落ちていく。空っぽの頭にリアルな心音だけが聞こえてる。ドクンドクンと鼓動が、虚無感と一緒にあの言葉を運んでくる。



 陽炎稲妻水の月 姿見せても触れさせず 夢幻の蝶とは俺のこと



 まるで俺のためにあるような、美しい比喩だった。俺は人間達の望むようにゆらゆらと揺れて鳴らして、誰しもをも魅了することの出来る存在だった。誰にも捕まらない自信があるから夢幻の蝶を名乗った。


 でも、この比喩達はどれも人間とまともに接しない。自然の美しい情景は人間達を惑わすことは出来ても、人間と対話をし、自分の意見を聞かす存在にはなれない。逃げる蝶はどんな言葉も置いてはゆかずただ消え去るだけ。


 考えてみれば、俺はその通りの存在だ。人を笑わせたり、喜ばせたり、慰めたりする言葉はたくさん持っているけれど、自分の意見を主張して議論をするための言葉は一つも持っていないんだ。


 ……だから、ごめん、宮奈。俺はこの場面で俺以外の何かに変わることは出来ない。この空気の中で、どこまでも正直な自分を演じるしかない。


「えっと、確かに俺がギャグをしたっていうのは、正しいんですけど、なんか、田口の方は違うくて、その、アイツはよく喋る奴だけど、ギャグは振らないっていうか」


 出だしから情けなかった。

 纏まってないから「えっと」とか「なんか」とか言う。無意識の愛想笑いしてみたら、笑いの欠片もない視線が返ってくる。四人分。怖気づいて、更に言葉が絡まる。

 泉さんだけが俺に助け舟を出してくれる。


「時舛。違うというのは、例えば田口の言動はギャグを振ったようには見えなかったとか、あるいは、貴方を乗せたのは田口だけではなかったとか。そういうことですか?」


 それで絡まっていたものがゆるっと解ける。そう、俺を乗せたのは田口だけではなかった。


「後藤。後藤なんです。まず、後藤が廊下でギャグをやってたんです。一組は、誰も笑わなかったんですけど、変な空気になって、北林さんが廊下側の窓を締めようとして、でも、後藤の方が早くって」


 焦りながら話す。記憶を掘り起こすのに精いっぱいで、語り方なんてない。思い出したものが言葉になってるだけ。


「待って。それはいつの話?」


 一人回りしていた俺の話を、丹波さんが止めてくれる。


「えと、そう、俺が手を挙げた瞬間」

「それはくじで最後まで残って、免除のために手を挙げたんだよね?」


 頷く。一人回りが他の人の理解と噛みあって、ようやく視線が和らぐ。

 ぽんと丹波さんの手が頭の上に乗る。悔しいけど落ち着いた。

 俺はようやく自分のリズムを取り戻して話し出す。と言っても、ありのままを話すだけだけど。


「俺が手を挙げた瞬間、廊下から後藤のギャグが聞こえてきたんです。確か……バーチャルユーチューバーはどうのこうの~ってやつ。一組の教室はそれで笑える空気でもありませんでしたし、シーンと変な空気になるだけでした」


 記憶を整理してサラサラと話す。せめて主役達の論争がスムーズに運ぶよう、俺は村人Aのような淡白さを心掛ける。


「それで北林さんは廊下の窓を閉めようとしたんです。でも、北林さんが窓を閉める前に、後藤が窓から顔を出したんです。で、手を挙げてる俺を見て、時舛ギャグでもするのかって、アイツがギャグを振ってきたんです」

「ん? 後藤がギャグを振ったんですか?」


 泉さんが確認してくる。俺は頷いて「そうです」と言う。

 そこからも俺はスラスラと説明した。後藤の後に田口が乗せてきたこと。クラスメイトが注目したこと。俺がギャグの詩を詠んだこと。それが大爆笑になったこと。

 最後に、なけなしだけど自分の意見を添えておく。


「まあその、ギャグの前フリって言っても色々ありますし、コテコテの解りやすいのから、仲間内だけで通じるノリまで。特に二年のノリって、とんでもない無茶ぶりを真顔でやって、あえて笑えない雰囲気を作ってから、人が困ってる所を笑うみたいな、そういう所もありますし。俺もそのノリで、真顔でやってましたから」 


 たどたどしい喋り。自分の意見なのに、自信を持って話せない。曖昧で柔らかい表現ばかりを選んでしまう。


「ですから、その、北林さんがギャグの前フリに気が付かないのも、仕方ないのかなって」


 それでも、自分の思ったことを言った。村人Aがとりあえず主人公一行の味方をするみたいに、俺もとりあえずは、風紀委員会の方の味方をしておいた。

 四人を伺う。村人Aのメッセージ音は何かを変えただろうか。せいぜい不穏が無音になったくらい。

 何も変わっていない顔色の中で、一番始めに口を開いたのは、丹波さんだった。


「私もトキマスの言う通りだと思う。ただでさえ人の前で話すのは緊張するし、後藤みたいなのにいきなり変なの始められたら止められないよ」


 同意されて安心する。胸の鼓動がおさまりそうになった時、ギリっと宮奈が俺を睨んできた。考えることもできずに、俺は目を反らした。


「ああそうか。時舛、お前は優しいやつだったなぁ。他人の悪口を言えない」


 ガンガンと不穏が鳴っている。結局俺の言葉は一瞬の無音を作り出しただけ。病は何も変わっちゃいない。


「北林さんのことはいい。お前にとって不本意な立候補であったかどうか、それだけ答えろ」


 亡霊のような奴が強制してくる。俺は怖くて目を合わせることもできなかった。


「答えたらどうなるの」


 丹波さんが間に入ってくれた。宮奈は間髪入れずに返す。


「故意であれ偶然であれ、北林委員長の対応には疑問が残ります。彼が不本意な立候補だったと言えば、今回の委員選定は白紙に戻すべきでしょう」


 状況は何も変わっていないように思えた。

 しかしよく聴けば宮奈はサラリと主張を変えていることに気が付く。

 さっきまで『北林さんが不誠実なら無効』と言っていたのが、『俺が不本意なら無効』になってる。宮奈は北林さんが誠実だったのを認めたってこと? じゃあ俺の当選は有効なんじゃないかな。


 そんな論理的なことを考える。けど、それを口にする勇気はない。きっと睨まれれば取り下げてしまう。俺は怒られてる小学生のように、黙りこくることを選んだ。


「アタシは一年の時、嫌々で、もちろん不本意で風紀委員会に入ったよ」


 俺の代わりに丹波さんが答えていた。床ばかり見ている俺と違って、上を見て宮奈を見つめていた。生々しく強い声が自分の過去を語りだす。


「一年の頃色々問題起こして、強制的に風紀委員にさせられたんだけど。ただの委員会の癖にルール多いし、作った書類は全部訂正されるし、わけわからん哲学の本読まされるし、ふざけて先輩怒らせて、北林と喧嘩して、草野と河村イジメた件は、全校集会にまでなったよ」


 まるで感情がそのまま音になったみたい。笑顔の裏にある哀しい過去を聞いてるみたい。こんなの聞いてたら、否が応でも心が揺さぶられる。 


「でも、あの時の風紀委員長は、絶対に辞めろって言わなかった。何回でも怒って、私は舐め腐ってたんだけど、ずっと同じこと怒ってくれた。辞めろって言ったら本当に辞めちゃうから言わなかったんだと思う。そのおかげで、バカだったけど今は頭良くなったし、泉とかの話も分かるようになったし、風紀委員会には感謝してる」


 赤い前髪がキっと前を向く。丹波さんは自分の言葉で、あの亡霊と対等に張り合っている。


「だから、トキマスが本気で嫌だって言うまでは、私も離したくない。ちょっとの嫌程度なら辞めさせないし、続けさせて、絶対、風紀委員になってよかったって言わせるから」


 俺達は何も言えなくなった。

 宮奈ですら何も言わなかった。多分、こういう感情を剥き出しにする喋りはアイツも苦手なんだろう。歌舞伎役者にとって生々しさは天敵なんだ。型も様式もないリアルな音には、返す言葉を持っていない。


 場は膠着状態になる。北林さんは変わらず窓際の壁に背を預けたまま、丹波さんは宮奈を見つめたまま、泉さんは時計の針の音を聞いている。


 ……俺は正直、ここにいる全員のことを凄いと思った。みんな自分の意見を持ってる。それを言葉にして戦っている。俯いている俺とは違う。

 俺はいつも人の目を伺って、意見が衝突することを避けてる。男同士の喧嘩もさほどしたことがない。同級生より一足先に大人になったようなフリをしてきたせいで、俺はこんなにも情け無い人間になっている。


 だから少しだけ、この空気に触発された。自分の言葉を発するべきだと思った。

 長らく触れていない弁を絞り、勇気を捻りだす。比喩になるなら、やっぱり村人Aくらいの迫力だけど、俺はそれでも手を上げる。


「あの~」


 おそるおそるのヒョロい声。四人の視線がガッってくる。それだけで意識が吹き飛びそうだけど堪える。情けない調子の情けない言葉運びが始まる。


「俺はその、この風紀委員会も宮奈のクラブも両立したいです。でも今日だけはその、宮奈と、昨日から約束してまして、そのー、うー、宮奈が俺に怒るのはやむなしなんです。怒られるの俺なんです。ですので、今日だけは宮奈のクラブにもちょっとだけ顔出したい、みたいな~」


 情けない喋りなのは解っているけど、宮奈に先約があったことは事実。俺はなんとかこの約束を守りたかった。

 時間が止まったかのように静かになる。言葉を続けようかと迷った時に、唐突に泉さんが声を張った。


「ああそうだったのですか! 時舛はクラブ活動があるんでしたね! これは大変忘れていました!」


 怒られているのかと思って焦る。オロオロと目を泳がせていると、泉さんはずいと俺に迫ってくる。


「それで? 時舛、貴方はどこのクラブに入っているんです?」


 俺は普通に答えようとした。


「なぞなぞクラ」

「時舛!」


 言い終わる前に遮られた。見れば宮奈が鬼のような形相で首を横に振っている。

 な、なぜ?


「彼はサッカー部です! サッカー部に入るつもりなんです! 彼は実はサッカーが天才的に上手いんです! 小学生の頃はスポ少で!」


 宮奈は適当言い散らかしている。すると泉さんは人を嘲笑うように表情を変える。まるで無知を馬鹿にする魔女のように、冷たく言った。


「それは時舛にギャグを振っているのですか、それとも真面目に言っているのですか。私には解りかねます。ともかく私は貴方に黙れと言うべきでしょうね。あなたに取り合って私が不誠実にされてはたまらない」


 声からはどんな優しさも消えていた。キュンと胸が縮むほど容赦がなかった。言葉はノドを刺すように空気へ浸透し、宮奈は口を閉じた。

 泉さんが俺に向き直って聞いてくる。


「貴方の所属しているクラブは?」


 俺は今度こそ普通に答えた。


「なぞなぞクラブ、ですけど」


 泉さんは言う。


「そんなクラブは存在しません」

「え?」

「存在しません」

「た、確かに部室は暖簾ですけど、でも生徒会からは認められてるって」


 どういうわけか解らない。

 すると、北林さんが動いて壁際のラックから一つのファイルを取り出した。ファイルを開くと、一枚の用紙を取り出して読み上げる。


「なぞなぞクラブ。部長氏名、ナゾナ・ゾロアスター、学年クラス不明。備考、ナゾナ・ゾロアスターに正体なし」


 それで理解がいった。

 そうだ、そうなんだよ。宮奈は書類の名義をナゾナ・ゾロアスターで通している。そのせいで、宮奈は風紀委員会から正当なクラブとして認められていないんだ。

 つまり、そう、それはー。


「氏名非公開でのクラブ運営は校則違反です。生徒会役員会はこの校則違反を放置していますが、風紀委員会は認めていません。よって、風紀委員会の人間がなぞなぞクラブに所属することは絶対に許しません。また、なぞなぞクラブの活動を理由に、風紀委員の活動を早退することも許しません。

 風紀委員会より校則違反団体の活動を優先できるなら、風紀委員会は実質的に拘束力のない、帰りたい放題の組織になってしまいます」


 泉さんが実に的確に説明してくれた。ぐうの音も出ないほどの正論だった。

 校則違反を取り締まる立場にある風紀委員会にとって、部長氏名非公開のなぞなぞクラブは正当なクラブとして認められない。風紀委員である俺がなぞなぞクラブに所属することを許すなら、それは間接的になぞなぞクラブを認めることになる。そうなれば風紀委員会は、言ってることとやってることがチグハグになるし、泉さんの言うように、どんな理由でも早退できる緩い組織になりかねない。


 だから風紀委員会としては、俺をなぞなぞクラブに参加させたくない。


 つまり、今やってる俺がなぞなぞクラブに参加していいかどうかの議論って、組織のルールをかけた問題だったんだ。ただ生意気な後輩と理不尽な先輩が個人的な因縁を争っているわけではなかった。

 組織である以上、風紀委員会は簡単に引くわけにはいかないんだ。


 風紀委員会が宮奈をかたくなに拒む理由に納得がいった。


「彼を連れ去りたいなら、今すぐなぞなぞクラブの部長の名義を変更してください。貴方の氏名学年クラスを明らかにしてください。話はそれからです」


 そして、転じて言えばそれは、宮奈がルールを守りさえすれば収まりの付く話ということでもある。個人的な因縁で争ってるわけじゃないんなら、宮奈がルールさえ守ってくれればそれで済むことなのだ。


 つまり、書類上の名前をナゾナ・ゾロアスターから宮奈藍子に変えればいい。


 北林さんから宮奈へと、一枚の用紙が手渡される。


「ほい紙。これに名前書いて、同じものを職員室と生徒会役員会に提出すること」


 横から丹波さんが気だるげに言い放つ。


「まー、名前さえ書けばー、週に一回くらいならトキマス貸してあげてもいいんじゃない?」


 二人はこの調子。部長氏名の名義さえ変えるならそれでいいと言っている。

 なら俺も、この流れに乗るしかない。


「頼む宮奈、俺を救うと思って」


 ぱっちりと手を合わせて、宮奈を拝む。

 宮奈は一瞬だけ迷うそぶりを見せた。迷っているなら俺が手を引こうと思って笑顔を作りかける。

 でもダメだった。


「違う! なぞなぞクラブの部長は、ナゾナ・ゾロアスターなんだ! 宮奈藍子なんかじゃない!」


 宮奈は激昂して用紙を握りつぶした。作りかけた笑顔が吹き飛んで消えた。その対面で、顔色一つ変えない泉さんが対応する。


「では時舛はクラブ無所属です。ここで彼を解放する理由はありません」

「生徒会はなぞなぞクラブを認めています! なぞなぞクラブの開設書類は現に通っていて!」 

「審議されていないだけのことを認めたとは言わない。どうせ五月の定期監査で潰れるからと、放置されているだけですよ」

「でも! 私は南原生徒会長から、旧校舎の廊下に暖簾を掲げる許可を貰っています!」


 宮奈は強く言い放った。

 すると一拍だけ音が止まった。怖いほど静かになる。天才の視線だけが絡んでる。互いに言葉は溢れている。視線は紐のように結ばれていて、二人の間ならどんな言葉も伝わる。

 その中で泉さんが言った。


「なら、生徒会役員会が間違っているだけだ。我々は氏名非公開でのクラブ運営は認めない」


 これ以上は議論しないと。言葉は十分すぎるほど伝播した。

 宮奈は言い返せなかった。収まりきらない荒息が次の言葉を探してる。

 泉さんを睨んだまま何か言おうとしたが、結局躊躇ったまま言わず、代わりに俺を睨んだ。


「時舛! 君は無理矢理風紀委員にされたんだぞ! 君の意思さえあれば委員会は抜けられる! 君さえ嫌だと言えばいいんだ! それだけでいいから!」


 執念じみた叫びだった。怨念じみた形相が俺の心を震わせた。


「宮奈、俺は、その、なぞなぞクラブも風紀委員会も、どっちもやりたくて。だから、行ける時は絶対行くし、宮奈さえよければ土日とか全然参加するから」


 震えながら答えている。どうにか怒りを収めてほしい。

 ただそれだけの思いで下から目線のへりくだりを繰り返す。こんな言葉が届くはずがないと解っていながら、そういう健気な自分を演じるしかなかった。


「どうして!? 昨日は私のなぞなぞクラブに入るって言ったじゃないか! 嘘なのか! 嘘だったのか! 私より、こっちの先輩の方が楽しいのか!?」


 案の定、宮奈は収まらない。声を張り上げたまま、ついぞ先輩の間をすりぬけて俺の元まで来る。頬を叩こうというほど高く手を振り上げると、その手で俺の手首を掴んだ。


「いたっ、待って。宮奈、どうして」

「うるさい!」


 宮奈は俺を引っ張る。無理矢理にでも連れだそうとする。

 その細い腕を見る。

 捻れば折れそうなほど弱い手首。雪細工のように繊細な指。筋肉とは無縁の女子の腕。


 それを別の誰かの手が掴んだ。


 決して柔らかくはない手首。切り揃えた爪。多少運動神経が良いというにしては強すぎる筋の繊維。スポーツをしているとすれば、これは土のマウンドで剛速球を投げるための腕だろう。男子に混ざっての野球か、それか鬼監督の下でやる本気のソフトボールか。


「彼は風紀委員。なぞなぞクラブに参加させるわけにはいかない」


 北林さんが言った。

 宮奈は止まって、見比べてしまった。自分の手と自分を掴んでいる手は違いすぎた。

 何も言えない。何秒も計算中になって、結局言葉は出てこない。


 宮奈は力を抜いて、俺の腕から手を離した。そのまま誰と目を合わせることもなく背中を向けた。


 宮奈は抗う意味を失った亡霊のように去っていく。本当はもう死んでいるかのような足取りで委員会室から消えてゆく。誰もいない雪の墓へと戻っていく。


 俺には届かない場所へ行ってしまう。


 所詮村人Aでしかない俺には、今この場で、宮奈を追うことは出来なかった。


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