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2-15 緊急報道。バラエティー放送中止


 宮奈は委員会室を闊歩した。

 俺の元までこようとして――三人の先輩に阻まれた。


「ハロー宮奈。どした怖い顔して」


 丹波さんが言った。宮奈よりもうんと背が高い茶髪。着崩したカッターシャツが、半分宮奈を見下すように立っている。


「……」


 泉さんは何も言わない。けど友好的でもなかった。宮奈と同じ本読みの目なのに、全然仲間を迎え入れようとしない。


「何か用事?」


 北林さんが宮奈の前に立った。察するまでもなく、用事がないなら出ていけの意だった。 


 ――どうして、そんなに冷たくするの。どうして、笑って出迎えてあげないの。


 この理由が解らないほど、俺はバカじゃない。

 宮奈って元風紀委員だ。このグループから一度出て行った人間なんだ。一度出て行ったら簡単には帰ってこれない、それって女子帝国の大原則。


「宮奈。ごめん、今日は」


 それでも俺は空気を和らげようとした。この場で自由なのは、唯一男子の俺だけだから。


「大丈夫、君はいい」


 すると丹波さんが俺を止めた。まるで俺が仲間じゃないみたいな言い方で。バイト初日を相手にする先輩みたいな言い方で。俺は悶々とした気持ちを抱いたまま、席に留まるしかなかった。


「彼は私の友人です。今日の放課後は約束していた。やけに来るのが遅いので、迎えに来たんですよ」


 俺と違って宮奈は強い。アウェーの空気に全く動じず、芯のある声で俺を取り返しに来たって言ってる。


「もう風紀委員会の人間よ。ここから連れて行くのは無理」


 でも相手が悪かった。三人の中で一番強い先輩が答えている。この魔王のようなオーラを纏う北林という人は、力強さだけで押し切れる相手じゃない


「委員長。まさか彼が自分の意思で風紀委員会に入ったとでも?」


 後輩が議論をしかけようと問う。だが先輩は取り合うつもりがないほど冷たい。


「彼は自分から手を挙げて風紀委員に立候補した。だから貴方のクラブのために、風紀委員会室を出すことはない」


 ……確かに、そうだったけどさ。俺が自分から立候補したみたいなもんだけどさ。

 しかしそうとは言え、ここまで風紀委員会が頑なに宮奈を拒む理由が俺には解らない。いくら出戻り厳禁の女子帝国とはいえ、ここまでするのは、ちょっと酷いとは思う。


「待ってください。宮奈、俺今そっち行こうとしてて」


 俺は間に割って入ろうとしたが。


「大丈夫。今は座ってて」


 丹波さんに強引の席に戻される。

 なんで。なんでさ。なんで宮奈が来ただけで険悪な空気になって、俺が会話に入っちゃいけないのさ。

 肌のざわつく感覚が収まらない。生意気で挑戦的な後輩と、それを睨む先輩達の構図。


 宮奈はあの目のまま、学校に殺されたかのような硬い目のまま、風紀委員会室の真ん中に突っ立っている。


「相変わらず話を切り取るのが上手いですね、北林さんは」


 それでカチンと空気が張った。著しく不快な空気が室内を充満した。

 北林さんの指先がピクリと動く。昨日、福原を締め上げた先輩の顔つきになる。もしもそれを言ったのが福原だったら躊躇なく胸倉を掴み取っただろうが、相手は口の回る宮奈。掴んだって嬉しがらせるだけ。


「全部話したら覆りますって? あんまり長いことお前の話聞いてる暇ないで」


 だから手に触れずにプレッシャーをかけた。凄みを効かせてよく喋る口を黙らせようとした。


 対する宮奈の啖呵は、人を唖然とさせるほど、ゆっくり。


「時舛は、北林委員長に、詩を詠んだそうじゃないですか。くじびきで委員選ぶよ委員長、ポニーテールが尊すぎ、なんだかやれそうな気がする。と」


 ――似ている。ゾロアスターがイリュージョンショーをやった時と。


 バラエティーで俺が飛ばす言葉よりうんと遅い。校内放送で上田のような話上手が聞かせるよりも更に一歩遅い。

 ゆっくり話せるのは自分に自信がある証拠だけど、さすがにこのスピードでやるのは毒だ。遅すぎて人を馬鹿にしていると思われる。その反応が漏れなく視線に表れて話者に返ってくる。


 宮奈の立場に共感した身体がブルッと震える。案の定、睨まれてる。


「それで?」


 短い言葉が返る。強い人ほど多弁しない。

 宮奈は早くしろと言いたくなるほどの間を空けながら、返した。


「この詩は、明らかに、下の句でお道化ています。彼の作風では、ありえない詩です。この詩を詠んだ彼を、正当な立候補として扱う貴方は、頭がおかしいとしか思えない」


 怖いもの知らずの物言い。多弁を誘うかのような挑発的な表情。反論してみろよと投げる視線。


「――」


 けれど先輩は乗らなかった。女子校生らしく『意味解んないんですけど』とか言わない。高い声で『ハァ?』とすら言わない。

 蔑むように睨むだけ。やっぱりこの人は生意気を黙らせるやり方をよく解っている。


 この態度が、言葉を消した。言葉がないから視線だけが残った。物語はより残酷な方に作り替わった。


「――」


 互いの目と目が硬く鉄鎖のように結ばれている。震えた声を出せばキンキンと響くようになる。女じみた金切声では鉄を伝播しきれず相手に何も伝わらない。どれだけ正しいことを言っていても、震えたなら伝わらず、オモチャにされて遊ばれるだけ。


 物語はそういう世界になった。


 俺にはもう見ていられなかった。先輩がヤり始めるみたいに目を反らした。俺の視界の外で宮奈の弁が始まった。


「お道化るというのは、ギャグをしたという意味です。彼は普通ギャグの詩を詠みません。笑い声は五組まで聞こえてきた。聞けば、クラスメイトの田口が彼に、ギャグをしろとせっつかしたそうです。だから時舛は、ギャグの詩を詠まざるをえなかった」


 宮奈は一度も震えなかった。どこにも言葉を飛ばした節はなかった。幻の鎖はギリリと音をたてる。この緊張の密度を、言葉は正しく伝播する。


「――」


 北林さんは冷めた目をしている。そこに宮奈はしっかりと目を合わせる。

 すぐに言葉を続けない。まるで視線で会話しているみたい。違うなら口を挟んでもいいですよと、生意気な後輩の顔。先輩は聞かず睨み続けるだけ。鉄鎖は決して緩まない。


 宮奈は再び話し出す。じっとりと遅く、同じ言葉を何度も噛みしめるほどのスピードで。


「委員長。なぜ、田口の行為を止めなかったんです? あの場は風紀委員会が交渉権を行使して得た時間だった。委員会規約に定められる交渉権を使ったからには、風紀委員会と生徒側の双方に、誠実な対話をする義務があった。田口の言動は、明らかに誠実でなかった。だから、田口が発言した時点で、貴方は茶化すのを止めるよう注意するべきだった」


 宮奈は最後まで自分のスピードを貫いた。幻の鎖が重く振動し、俺達に意味を運んでくる。こんなにもゆっくりなのだから、その意味を理解できないはずがない。怖くて目を反らしている俺ですら宮奈の言っていることを理解する。


 ――言われてみれば確かに、あの時、北林さんは田口が茶化したのを注意すべきだった。それでこそ誠実というものではないか。恐ろしい顔をしたあの先輩は、その問いかけに答えていないではないか。


 問いが理解された瞬間、視線の恐ろしさは薄れる。問う人と問われる人の構図が明確になったからだろう。無言の恐ろしさが、ただ無回答なだけの時間に変わったのだ。


 問われる人の目が一瞬だけ動く。それを問う人の目が見ている。視線の鎖はそう簡単には外れない。

 答えないんですかと生意気な後輩の顔が、ギリギリと鎖を締め付ける。反応がないことを全員に知らしめるような間を作り出してから、鈍足の語りを再開させる。


「でも、貴方は田口を見逃した。その方が面白くなるからと見逃した。貴方の不誠実な対応で、時舛はギャグをせざるを得なくなった。こんな立候補は無効です。貴方の交渉中に行われた、全ての意思表示が、無効です」


 一体どんな心臓をしていれば、この緊張の中で自分の喋りを貫けるのだろう。宮奈の据わったような目に俺は慄いた。まるで視線の鎖は宮奈のものとなった。

 雪氷のように硬い目が北林さんの喉を捕らえて離れない。答えられない一秒ごとに喉の繊維が冷たくおし潰されていく。


 ――あのくじ引きは、全て無効になるのだろうか。何か言い返す手段はないだろうか。


 ヒュルリヒュルリと枯れ葉を転がすように希薄な心音が、俺の耳にも聞こえている。それは不穏のリズム。ノンフィクションの音色。小鳥も消える静けさ。張り詰めた弦のような緊張。


「あ――」


 魔笛も奏でる喉が、何かを言いかけた。あの時の自分は不誠実ではなかったと言いたかった。でもその根拠を見つけられない。苦々しくもあっさりと口を閉じた。重い雪氷は喉に押し込まれたまま、唇を噛んでその鈍痛を我慢する。


 そこに硬い視線が迫る。喉元の氷を更に深くまで押し込むように言う。


「私かて長いことお前の言い訳待ってる暇はあらへん。殴り合いで決着つけるか? ええぞ、なんぼでも殴られたるわ」


 ……そういえば、宮奈も生粋の関西人だった。グロテスクなほど激変した口調は、死にかけの戦意を失わせるには十分すぎた。


「殴り合いなんて、しないし」


 勝負はついた。俺が目撃したのは先輩がヤるところではなくて、先輩が目を反らすところだった。北林さんは本当に殴られたかのように顔を横に向けて、喉を掠れるような声で言う。


「……宮奈の言うことは一理ある。反省する。今思えば、田口のアレは止めるべきだったと思う」

「自分の不誠実を認めますか」

「まあ、うん」


 言いながら、北林さんは教室の端まで移動する。窓際の壁を背もたれにして不安そうに腕を組んだ。息苦しそうな喉からは、もう音が出ることはないだろう。


 ……正直、予想以上にすごい。宮奈って、ただの理屈屋さんじゃないんだ。ただ口が上手いだけの奴じゃないんだ。北林さんみたいな人が相手でも、目合わせて啖呵切って、押し勝てるような奴なんだ。

 バケモンみたいな奴だと思った。これ本当にどうなるの。俺、本気で宮奈に取り返される?


 宮奈は視線を移す。濁流のような覇気を纏ったまま、俺の後ろを見ている。そう、風紀委員会って北林さんだけの組織じゃない。一人やられたって、あと二人残ってる。


「えー、やだートキマス絶対離さんしー。いいじゃーん、もう入ったんだから


 丹波さんが言った。半捲りの腕を俺の首に絡みつけ、傍目にも解るくらい胸元を押し付けてきた。そうやって後輩を挑発するのに俺は使われた。


「丹波さん。彼に気軽に触れるのはやめてください」


 宮奈は言った。北林さんを相手にするのと同じ調子だった。


「なんで?」


 一段と冷たい声が返る。赤い茶髪のスレンダー。学校一可愛くて、学校一義理堅い人。

 今の宮奈にとって一番やりにくい相手だと思う。宮奈は元風紀委員で一度この組織をやめた身。一方、丹波さんは守本のようなダークでヤンチャなシティガールを率いているボス。

 つまり、後輩の不義理を許す人じゃない。組織を抜けた宮奈が筋を通すまでは、絶対に受け入れない腹積もりだろう。こういう人に理屈を聞かせる勝負は通じない。


「ソレは私の男です。軽い丹波さんじゃ釣り合いませんよ」


 宮奈はシンと言った。夜に降る雪のようだった。


「……」


 丹波さんは聞かず俺に触れ続けた。だが赤い髪がわずかに跳ねたのが解った。さす

がに気に障ったんだろう。


 ――どの口が言ってる。勝気な目つきが宮奈を睨み返そうとして、その前に、宮奈が吠えた。


「私の男や言っとんじゃワレ!」


 丹波さんがビクッと反射的に離れる。深雪が瞬時に暴風雪となって、プライドもろとも吹き飛ばしたかのようだった。


「トキマスは泉に憧れたから風紀委員になったんだってさ。アンタの男っていうには

まだ早いんじゃない?」


 丹波さんは何か言ったが、宮奈には効いていなかった。暴風過ぎ去った後の木枯らし、完全に負けセリフ。丹波さんはふんと鼻を鳴らして俺から離れてゆく。


 ……すごい。宮奈、人によってやり方を変えてる。理屈も抜きの、面子百パーセントの勝負も出来るんだ。ソレは私の男ですって、そんなセリフ言われたら俺もちょっと惹かれる。俺のために本気で吠えてくれるなら、遊び人っぽい丹波さんより宮奈を選びたくなる。俺がそう思うってことは、この勝負は丹波さんの負けに違いない。


 宮奈はまた一歩踏み出してくる。


 負け知らずの硬い目つきで。赤白くなるほど握った拳で。誰にも気を許さない意志を剥き出しにして俺を見ている。

 まるで攫われた姫を助けに現れた勇者みたい。それは多分、白金の鎧を纏った正統派じゃなくて、薄暗い麻布に身を包んたダークな奴。目的のためには時には手段を選ばないような奴。


 今ダークヒーローの前に最後の敵が立ちはだかってる。知性と敬語の声が宮奈を止めた。


「確かに、時舛のギャグは田口が唆したようです。北林は田口が発言した時点で止めるべきだった。我々の不手際を認めましょう」


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